わかってはいること。
でも見て見ぬふりしたくなること。
本当はこの瞬間はずっとは続かないと思い生きていかねばならぬのですが。
普通が当たり前になってしまうのが私たち人間なのかも知れません。
そこでお釈迦様が悟りを開かれ私たちに生老病死苦は生まれたときからはじまってますよー。
と教えてくれました。
当たり前のことなんやけど…。
つらい。かなしい。いやだ。のがれたい。
難しいですね。
前にも書いたとは思いますが私の父が亡くなったとき『先生が早く死んだのでお山は信じれん』と新興宗教にいかれた方や他の所に行かれたかたが多くてビックリしました。
父は父の人生を一生懸命生きて私たち家族としたら信者さん信者さんでしたので『自分が末期なんやからお参りはやめて!!』と何度も頼んだくらいでした。
父の命が後2ヶ月位かもと宣告されてきた日を今でもハッキリ覚えてますが父は2年も頑張ってくれました。宣告されて、そこからの行動力や頑張りは凄かったので仏の世界へ旅立っ日には『ありがとう。お疲れ様』と心から思いました。
今の私ならこんなこと出来たのになあー。とは思いますので出来るようになったことは他の方へと思って生きてます。
まだまだ出来てないことだらけですが…。
最近はペットの死からも沢山の学びをいただいたり。
僧侶をしてると沢山の生老病死苦の悩みを沢山耳にします。
僧侶として、一人一人がどう活きるかを伝え祈ることが使命なんだけど一緒に辛くなるのでまだまだです。
『生きるって修行』
でも私が言えることは今を乗り越えるために御不動さまお大師さまはは居てくれるってこと。
参ることで救われる。
そこを知ってもらうにはやはり実践のみなんですよね。
『本を読んで勉強するのは好きなんですが滝なんて入りませんよ。瞑想?あー。無理無理。修行したくないですもん。なんで滝なんてはいってる?寒いやろ?でも瞑想法は覚えてますよ。とにかく密教は知りたいから。』
なんて真言宗のお寺にきて堂々と言われる長くこられてる信者さん。
そう言いつつも『お経をあげてもらうと楽になります。』
と好きなときに来られます。
不思議です。
手を合わせお参りする場所を家に作ることができれば毎日の苦が減るのかもなあ。
私たちは自分にもいつ死が訪れるかわからない?事を忘れてしまいがち。
恐れすぎても駄目だけどお参りしてるときくらいは思いだしてもいいですよねー。
彼岸はホトケ様の世界へ行くための修行の期間ですから✨死についてかいてみました。