八面山だより

八面山 神護寺からのお知らせ&日常

秋の彼岸終わり

2022-09-26 21:42:16 | 日記




今日で秋のお彼岸は終わりました。

昨日はオハギ作れなかったので朝から小豆を炊きました。 電気圧力鍋なのでふっくら美味しく炊けました🥳

粒あん好きな父をはじめ仏様にお供えました。

父は喉に食べ物が通らなくなってからも「オハギ食べたい」と何故か通って食べてたなあ。

お父さんどうですか?

生きてる時に炊いて食べさてたかったなあ。

野菜ジュースを沢山作っては飲んでもらってたなあ。

今ならもっと色々学んでもっともっと上手に介護できたよなあ。と思う彼岸の終わり。

失敗を恐れず進もう。あるいは止まろう。と新しい年を取り改めて思うのは😆

「やってだめなら辞めればいいんや。オマエならできる。」

何を根拠に。

と恐怖でいっぱいの私への父の言葉。

コレが今も私の支えです。

「助けて〜」と声に出すことが大切なことも大人になり学びました。


毎日のように親子の争いの相談電話があります。

どちらの言い分も正しい事が多い。
少しずつ、どちらも悪かったり。

難しいなあ。

 人間わかってるようで、わかり和えてない事が多いから先ずは、自分の想いを伝える訓練も必要です。

手紙は仰々しい時代になってきたのかなあ。
チビっ子へ、これを伝えときたい!と思うこと前は手紙にしてたけど最近はラインに手伝えてます。


感情的にならずに伝えられるから。

それと別に日記も少し書いてます。

想いを伝える手段は人それぞれてすよね。


どうぞ彼岸あけても仏道(明るき幸福社会)を求めましょう🥰🙏




「さっきのオバチャン、お父さんやお母さんが居らん時にはアキサン、あんなあー聞いてくれんかぇ?っち私が小学生の時から電話してきよったんよー。長い付き合いよな。ここ何年か電話無かったけど、またかかりだしたけん。元気になってきたんやろなあ?」

「えーっ。小学生からなん?小さいオバサンやん。長いなあ付き合いが。」って。


うちのお寺って、忘れた頃によく電話かかってきます。
不思議なコミュニティー。

自由すぎ。

だから続くんかな?

信仰。

お不動様の元に集う。

今日はつかれたので早く寝よう。



秋の日

2022-09-26 13:32:07 | 日記


秋の夜長に虫の音色の季節に成ってきたなあー。と思ってたらコクワガタのメスが網戸に来てました。

昨日来なくてよかった。虫好きの男の子に、捕まってたよー😂

この子は冬眠できるのかなあ?

何故かコクワガタのメスは年に何度かやってくる。
オスは来ないですよね。

神護寺奥の院に行く予定が雨で行け無くなったー。と思ってたら信者さんのお母さんが亡くなられたとのご連絡にインゲさんは、急いで枕経にお参りにいきました。



秋のお彼岸明日まで

2022-09-26 00:52:18 | 日記
明日で秋のお彼岸期間は終わりますよー。

何かしましたか?

今日も精一杯生きたかなぁ?

もうちょっと何かできたかなあ?

やりたくてもできなかったかなぁ?


生きるって色々。

そうやって一日一日過ぎてくのかなあ。


古くからに信者さんが亡くなったと連絡を貰った。

寂しくもあり、ずーっと御供養を続けてた子供さんたちに逢えたのかなぁ?

とオバちゃんの供養をお彼岸でさせてもらった。

「嬢ちゃん」と話してくれる言葉の響きや眼差しがとても、優しい方でした。

沢山の悲しみを超えて優しさに溢れてたのかなあ。

御供養からお孫さんの幸せを祈り続けてました。

90代の方があちらの彼岸(仏の世界)へかえっていかれる。

様々な困難を乗り越えて仏の世界へ変えるんだなあ。

すごいな長く生きるって。

強く優しい人だったなあ。


強い信仰心を持っにはやはり何かあった方が多いのかもしれない。
またそういう事があって一族や親族も信仰心が、篤くなるのかもしれない。


神仏への祈りは、拝むと速解決なんてことではない。

私達の悩みに寄り添ってくれるのが信仰なのてまはないか?私達が寄り添うのが神仏なのかな?

みなさんが信仰心のない方たちから、「そんなに拝みよんのに、あんた、いつも大変やなあ。拝む意味あるんで?」と言われる。とよく聞きます。

信仰心はある人にしかわからないですよね。

今日はチビっ子が沢山お参りに来られてました。

「オレ遊びたい、お参り嫌だ!!」と始まる前は言ってたけど法要の間は、悪そうな男の子達も静かに座ってましたよー。


「ココお寺よ」「怪我せんように、お願いせな」とばあちゃんに言われてました。

法要と言う空気感。
小さなお子さんもなんとなくわかる。


「騒いでも仕方ないから、連れてきてください。お参りの空気にふれることが、経験に繋がるから、子供は騒ぐもの。直ぐに大きくなるから😌🙏」

反抗期チョット寺から離れても、遠くに家を離れ出てくと、実家に帰った時に親やばあちゃんが言わんでも、お寺に一人でサッと参りに来るんですよね。

「わかりますか?」とにこやかにお参りに来てくれる。

「わかるよー。」ということが多いが時々分からなくてもご愛嬌で。

私にとっても祈りや神仏のあるココは、拠り所ですが、
改めてお寺はそんな場として必要だなあと思った彼岸法要でした。


宗教離れと言われ続けてますが〜逆に信仰心のある人々は信仰心篤いですよー。

お不動様と共に生きる。

苦しいことも多いけど。

嫌になるけど活きるぞ!!