山寺は基本湿気が多いですが、梅雨の時期はさらに〰湿気が凄い。
しかも床が自然のスギなのでカビが生えやすい。
なので床掃除は怠らずやらないとヤバい。家族がなにかこぼしてチャント拭かなかったりしてたら、すぐにカビが生えるので家族がいない間に拭くしかない。
公衆トイレも男の人用のトイレになんか、昔からある臭い?と言うか匂いきつめの丸い玉を入れてないとカビだらけになる。
漂白してこの丸い玉が大切である。笑笑
最近はコレを使うところも減りダイソーにしかないんですよ。
インゲさんは、家祓いへちびっ子は学校へ、お犬様は朝寝してる今のうちにしますか?ね。
したくないなあ😅
ソレを繰り返す私です。
朝から母と口げんかをしてしまって何となくイライラしてしまう私です。
なんだかんだ、似てるんやろなあ。
家族にはそのまま、ポンポン言う。
言われると傷つくのに、やっちゃう親子。
穏やかにあれ心。
本当の親子でもこんなだからなあ。他人と通じ合うって難しいのは、当たり前、思いやりとお互いの気遣いがいるんよなあ。
けど、素でいたいわ。
と思う気持ちもわかる。
先日70台独身の方が「だれかおらんかなあ?さみしくて仕方ない。」というので
「おらんよー。そんな人が居ったらとっくの前に紹介しとるよー。おらんなあー。誰でもはだめよー。さみしくても、お互いに良くないわー。」
「そうよなあー。」
「取りあえず、お寺にご飯食べに来たら良いやん仕事終わったらおいでよ。」
「夕方車のりたくないんよー。目がうすくなって見えにくいんやら」
「そうやったなー。なら仕事の休みの日にお昼間においでよー、お寺忙しかったら居間でまっちょってよ。」
そう言えば昔は夕方きてご飯食べてテレビ見て帰りよったなあ。
目が悪くなると夜はムリよなあー。
と色々考えるなあ。
山寺だと年とると来にくくなるもんなあ。
昔はお寺に来る人の為の老人ホームを本気で欲しいと思ってたなあ。
毎日山に来てた婆ちゃん達が関東の息子のところに行く姿をみるのは忍びなかった。
息子と暮らしたいが、故郷と離れたくないし。
このまま故郷で年老いてくと息子に迷惑かかるから。と言うすがた。
寺にいたら、朝起きてご飯食べて山をお参りして掃除しながら話してお昼食べて、夕方本堂で参ってお風呂入ってと、充実してたんだろうなあ。
家族のために拝む!!と言う立派な役割というか使命が、長生きのかくしゃく!とした生きがいだったと思う。
年とっても誰かの為に何かしたい。
という人が多い。
「もう、人のためじゃなくて、自分のことだけして😌」と言われると凄く切ないんだとおもう。
「私と家族のことは、もうお寺でおがまんでいいけん。自分で生きていけるまいらんでも。参るのがもったいないよー。自分のために生きて。」と言われたと信者さん。
「先生、親やけん。言われてもお百度参りしますが、心が荒むと悲しいなあ。娘なのに。」
信仰のしかたは人それぞれ、親子でも違う。
難しいねぇ。
それでも拝むのが信仰かなあ。
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