初盆に向けて新聞にはお花・お供え・盛り籠・提灯をご辞退致します。
また自宅へのお参りは御縁下さいませ。
とご遺族が載せておられるのを見ていると。
亡くなった方に対しての気持ちを遺族が一方的に断るとはどんなもんなんだろうか?
あまり家族で付き合いをしてないと誰かしら?と全くわからないのでと言う感じでなのかもしれないが。
お世話に成ったからお参りさせて欲しい。とか好きだった物をお供えしたい。という想いを伝える気持ちを断るのは、どうなのかしら?と思います。
お返しをするのが大変だからとか家が空き家だしかたずけに帰る時間がないとか知らない人を家に上げたくないとか様々な理由はあると思うがお盆という大切な日本の風習をこのまま簡素化させて行くのは寂しいですね。
初盆には亡くなった方が迷わず家に帰れるように提灯をさげお墓にお迎えに行く。
なんでも忙しいからとか面倒くさいではダメだと思います。
とにかく続けて行くことが伝統につながる。自分が教わった事を次の世代に伝えたいですね。
昔の人だって忙しかったはずですよね!
盆休みに家族で実家に子供を連れてかえる事から初めては如何でしょうか?
個人で考えるのではなく周りや亡くなった方の気持ちになり動いてみては如何でしょう?
因みに写メは祖母の一周忌の祭壇です初盆の灯籠や子供達の提灯です。一対なんですが左の提灯うつりませんでした。
一周忌は曾孫達が御ときには走り回り賑やかな事が好きだった婆ちゃんの喜びそうな法事でした僧侶も六人とまた親族や女学校のお友達と婆ちゃんの好きな人が集いました。
祖父は法事後の挨拶で婆ちゃんの好きな人々が集まってくれた嬉しさと、そこに婆ちゃんが居ない現実に感際まったようでした。
日頃は長い長いお話しがお礼だけでしたから。
一年はやいですね婆ちゃんが居なくなって又、曾孫は一人増えました。
でも婆ちゃんが徳泉寺に行っても居ないのは寂しいです。
でも思い出や婆ちゃんから教わった事は娘には伝えていきます。
一周忌には喪服と思っていましたが前日に『おまえも衣きて来なさい』との叔父の言葉にそっちのほうが喜ぶかなあ~と僧侶として参列しました。
婆ちゃんが亡くなってから娘の母親として参列していて本気で集中して拝めず子供の世話係に徹してたので、やっと一周忌で婆ちゃんの死に向き合い僧侶としてお参りできました。
婆ちゃんも寺の娘に産まれ養子を貰い寺を守ってきたので大変さを知ってたので私が女性で父を亡くして寺を継ぐ時とても心配していました。
だから、こんな感じやけどまだ寺で頑張ってますよ。ありがとう。と見守ってね私達をとの想いを込めお経を唱えました。
皆さまにも亡き人に想いを伝える機会がありますように。