嘗て人生30年の時代には30歳でこの世の終わりを意識していただろう。
その時代、30歳はやりたいことの到達点に達してなければならない。
私も残りの人生はあと僅かだ。
そろそろまとめを考える。
自分が終わった後のことを考える。
必然的に脳裏にそういう意識が湧き上がる。
昔に生きた人ならば40歳ともなれば死を覚悟した考え方に必然的に到達する。
それが当たり前で、みんなそういう生き方になる。
過去の先輩たちはみんなそうして生き、死んで行ったと思う。
今の時代は人生100年と言われる。
100歳まで死ねない。
ならば40歳などは過去ならそもそもどうなのか?
過去の時代に換算したものを実年齢と考えてみた。
実年齢は寿命の半分にも満たない。
寿命100歳を寿命30歳に置き換えると、
年齢40歳は15歳くらいか?
私は66歳だから21歳くらいかな?
命の長さだけで考え直すと、昔の人の21歳くらいを生きている。
気持ちは昔の人の21歳。
昔の人は若くして大事業をこなしてる、と思っていたが、昔はその年齢で為さないと、遅いのだろう。
今は、寿命が長すぎる。
それに人口も多すぎる。
だから、なかなか物事を為せない。
為す気にもならないのだろう。
坂本龍馬の時代、20歳で世界を夢見た若武者たち。
今なら60歳で夢見てもイイのかもしれないな。
しかし今の時代はちょっと寿命が長くなりすぎた。
少し縮めてもイイのでは無いだろうか、と、勝手に思うのである。
この先、人生200年時代など、仮にそうなったら、少なくとも働く世代は100歳オーバーまで続く。
ありえんだろう。
なかなか悟っていない老人が増えた。
私もその一人。
若くして悟れない原因は長寿の時代にありそうだな。
だから要らぬ想いに悩み、自死を選択する若者が増加してる気がする。
時代背景に於ける人々の感覚の異常なズレなのかもしれないな。
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