賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

野菜の価格の高止まり

2025-02-25 17:19:21 | 日記
スーパーマーケットに行った。

食料品価格が2倍になってるな。

そう感じた。

そもそも高いのは全てだろ。

だから逆の方から見れば所得が下がってるという事だろ。

所得が上がってれば、世間の平均給与所得が2倍くらいになれば今までと同じということだ。

で、その今までというのが「いつのことか」じゃあないか。

高度経済成長期よりも前なら、今の物価高と比較しても「同じ」だったかもしれない。

つまり、ここ50年くらいの物価指数が良すぎた、という見方もできる。

元々、江戸時代から以降、西洋化によって世界との比較がなされて、それで物価を算出してきてないか?

一ドルが三百六十円の時代の物価はどの程度か?

元々庶民の暮らしは今と比べて、そんなに贅沢なモノではない気がする。

質素さを忘れて、世界的に贅沢な暮らしをするのが「当たり前」に感じてる。

『失われた世代』『団塊ジュニア世代』はバブル期を知らない。

その頃の日本人の贅を尽くした暮らしぶりを、その親の『団塊の世代』は暮らしてる。

そして、それが維持できる仕組みを「当たり前」だと思ってる。

そしてそこにあるのが『お金』『財産』だろう。

そもそも、そんなもの、本当に有ったのか?

今、落ち着いて考えるとアヤシイ。

財産などなかったのではないか?

それこそが『バブル』ではないのか?

今でもその『バブル』を持っていようとしてるようにも感じる。

言葉で言えば『贅沢』だ。

戦争を経験した私の親は『贅沢』は嫌悪していた。

生きることはそこにはない、と教えてくれた。

私も素直には受け取っていなかったが、今頃 理解できる。

生きていればどうにかなる。

そういう高いレベルの言葉を身に染みて感じる。

生きることのレベルがあるとすれば、お金は低いレベルの「ただのモノ」だ。

「生きる事」は「自分の暮らしを手にいれること」の出来る高度なレベルで受け取らないと知り得ない。

野菜が高い。

じゃあ作ればイイ。

それだけのことを認識できない次元で生きてる人々。

その中に自分も居る。

虚しいなぁ。

今、思うこと。

仙人になりたい。

そんなこんなを思いながら俗世間を歩く日々だな(笑)

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