スーパーマーケットに行った。
食料品価格が2倍になってるな。
そう感じた。
そもそも高いのは全てだろ。
だから逆の方から見れば所得が下がってるという事だろ。
所得が上がってれば、世間の平均給与所得が2倍くらいになれば今までと同じということだ。
で、その今までというのが「いつのことか」じゃあないか。
高度経済成長期よりも前なら、今の物価高と比較しても「同じ」だったかもしれない。
つまり、ここ50年くらいの物価指数が良すぎた、という見方もできる。
元々、江戸時代から以降、西洋化によって世界との比較がなされて、それで物価を算出してきてないか?
一ドルが三百六十円の時代の物価はどの程度か?
元々庶民の暮らしは今と比べて、そんなに贅沢なモノではない気がする。
質素さを忘れて、世界的に贅沢な暮らしをするのが「当たり前」に感じてる。
『失われた世代』『団塊ジュニア世代』はバブル期を知らない。
その頃の日本人の贅を尽くした暮らしぶりを、その親の『団塊の世代』は暮らしてる。
そして、それが維持できる仕組みを「当たり前」だと思ってる。
そしてそこにあるのが『お金』『財産』だろう。
そもそも、そんなもの、本当に有ったのか?
今、落ち着いて考えるとアヤシイ。
財産などなかったのではないか?
それこそが『バブル』ではないのか?
今でもその『バブル』を持っていようとしてるようにも感じる。
言葉で言えば『贅沢』だ。
戦争を経験した私の親は『贅沢』は嫌悪していた。
生きることはそこにはない、と教えてくれた。
私も素直には受け取っていなかったが、今頃 理解できる。
生きていればどうにかなる。
そういう高いレベルの言葉を身に染みて感じる。
生きることのレベルがあるとすれば、お金は低いレベルの「ただのモノ」だ。
「生きる事」は「自分の暮らしを手にいれること」の出来る高度なレベルで受け取らないと知り得ない。
野菜が高い。
じゃあ作ればイイ。
それだけのことを認識できない次元で生きてる人々。
その中に自分も居る。
虚しいなぁ。
今、思うこと。
仙人になりたい。
そんなこんなを思いながら俗世間を歩く日々だな(笑)
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