人生黄昏時

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後昔北山時代【2】

2021年08月10日 00時00分15秒 | 日記

  北山は、攀安知(はんあんち)の時代までに

交易などによって経済力、軍事力

政治力と北山は全盛期を迎える

 

史書中山世監、球陽に攀安知は

驕り、淫虐無動で善政を行わず独裁政治になり

北山側の各按司は離反していったとある

 

佐敷按司尚恩招は

1406年に中山王武寧を攻撃し滅ぼして

尚恩招が中山王になり その子尚巴志に命じて

 

1416年に、読谷按司、越来按司を

味方に引き入れ 北山から離反させた

 

国頭按司、名護按司、羽地按司も中山連合軍に組して

大軍をもって北山を攻め

 

激しい攻防が繰り返されたが

北山城は難攻不落の城で

戦いは3日続いたが攻め落とせなかった

 

尚巴志は策を講じ

北山の重臣本部平原を買収し

 

味方に取り込み北山城はついに陥落し

攀安知は自害し3代94年続いた

王統も滅び北山は独立国としての幕を閉じる

 

尚巴志は1421年父の死の後を継いで

1422年に中山世の主(王)位に就く

 

1429年に南山王他魯毎を攻め滅ぼし

三山を統一し琉球国の最初の統一国家 

 

尚氏王統が成立した

コメント (1)
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