人生黄昏時

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北山城監守時代【2】

2021年08月20日 00時00分12秒 | 日記

  北山(北の島の意味)は権力の中心としいて

北部地域を統治していた北山城

 

1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ

北山は政治的に独立国として失う

 

中山は北部地域を統括するため

監守を置いて支配していく

 

第一尚氏王統は二代・第二尚氏は五代

北山城に監守を置いたが

 

1609年に薩摩軍の侵攻によって

北山城は焼失し五代監守克祉は死亡する

北山城の前後にあった

 

今帰仁ムラと親泊ムラも破壊され

そのため集落は麓(現在の今泊)に移動した

また監守一族もムラ内に移り住む

 

1665年監守七代従憲のときのとき

監守一族は王府の命により首里に引き揚げた

 

その後も監守政治は首里に居て続けている

北山城は城主を失い廃城となる

監守制度は240年続いた

 

その後の北山城は

一代目監守 韶威を元祖とする子孫が管理を行う

 

それから84年後(1749年)に監守制の経緯や

首里に引き揚げた事情

北山城を永代に管理し続け礼典を司ることを

 

首里王府より許可されたことなどが城内に

「山北今帰仁城監守来歴碑記」として建てられている

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