青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

レコードの宿敵「チリ音」との長年の抗争!

2022-06-17 | 青春の音盤
レコードのプチプチという「チリ音」は嫌なものです。かつて70~80年代には、それこそチリ音対策の品物が、キラ星の如く販売されていたものです。レコードスプレー、いろんなクリーナー、洗浄機、静電気帯電防止装置、乾式・湿式クリーナー、粘着式ローラー・・・しかし、そのほとんど全てが、役に立たなかった。
 
あれから何十年が経ち、レコード文化がCD、ダウンロード、配信と変遷している間に、不思議なレコードをクリーニングする液体と、使い捨ての不織布クリーナー「ビスコ」なるものが現れました。
 
僕が使っているクリーニング液は、今日ご紹介しているモノとは違いますが、レコードに数滴落として拭くだけで、あ~ら不思議。プチプチ音が無くなります。どういう成分だか書いていませんが、昔からレコードを直接水洗いする等の荒業を持ってしても取れなかった古いレコードの雑音が、綺麗に消え去ります。
 
 
値段がやや高価なので、かつあまり知れ渡っていないので(僕もあるコラムで10年ほど前に知りましたが、大々的に宣伝されていませんでした。)こういう催しが開かれるのでしょうね。実際にレコードのクリーニングを実演してくれるそうです。
 
でも・・単純にレコードを拭くだけの作業なのに・・・😄
 
僕も含めてレコード愛好家は、「儀式」が大好きだからね。(笑)

ジャケ買い ~お色気に負けた?

2022-04-03 | 青春の音盤

新年度がスタートしました。今年は桜が早い春。日本の成人年齢は20歳ではなく、18歳になりました。これはかなり大きな社会の変化に繋がると考えています。これまでは日本は社会が平和であるため、老人が投票に行き、社会を動かして来ました。しかし、社会にこれだけの格差が生じると、今後は若者が政治に参加して来ると思います。そしてその原動力がSNSやYouTubeで、若者に影響を与えるオピニオンリーダーが意見を出せば、簡単に大きく社会が変わって来るでしょう。万が一、被選挙人の年齢が下げられたり、インターネット投票が実現すれば、日本が壊れるような変革が起きます。ちょっと怖いですが。

たまには音楽ネタも書いて欲しいという声がありましたので、今日は音楽ネタ。僕が1番音楽を楽しんでいた時は、レコード全盛時代。そして今も配信がメインになった為に、CDの売り上げが激減し、レコードの売上が伸びて来ています。レコードの音、きちんとしたオーディオシステムで聴けば、相当音質は素晴らしい!僕はレコードで音楽を楽しんでいます。

そのレコードを買う時に、よくあったのが「ジャケ買い」でした。中身を聴くことなく、そのジャケットを気に入って買うのです。お金も無いくせに、安い輸入盤でこれをやりました。しかし、意外とそのレコードがヒットすることも多く、別にみんながジャケット目当て買ったからヒットに繋がった訳ではなく、素晴らしい作品=素敵なジャケットだったことが多かった。

このグローバー・ワシントン・JRの「ワインライト」等は、何も知らずにジャズ・フュージョンのジャンルを聴きたいと思ってジャケ買いしたら、あっと言う間にヒットチャート1位の大ヒットになりました。

でも、友人達のジャケ買い・・・お色気路線に走っていました。(笑)セクシーなジャケットのものを買い、ジャケットは部屋に飾る。今の世の中では「いかがわしさ」を漂わせていて、女性からはひんしゅくを浴びそうですが、価値観の多様性と言うなら、女性蔑視と言わないで欲しい。男性が美しい女性に惹かれるのは、僕は普通だと思います。アラカンの人達なら1度はこういうレコード・ジェケットを目にしたことがあると思います。

僕の友人には、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を知らず、80年代に入ってからジャケ買いで、あのアルバムを買った人までいました。部屋に飾るインテリアとして、レコードを買うこともあったのです。CDでは小さくてインテリアにはならないし、配信では飾る物がない。

こういうことも、音楽メディアの売上が下がった一因であるかも知れません。


80年代エアロビクス・ブームはこの女性から!

2022-02-07 | 青春の音盤
僕がリンダ・ロンシュタットと並んで大好きだったのが、オリビア・ニュートン・ジョン。2000年代に入ってからは直接お目に掛かる機会にも恵まれましたが、本当に綺麗な女性でした。
 
ラジオで聴いてレコードを買いに行き、ジャケットで初めて顔を知り、あまりにも綺麗なことに驚きました。1976年の年末には大阪フェスティバルホールでコンサートを観ました。1978年には主演映画「グリース」が大ヒット。この年の世界興行収入第1位でした。余り知られていないようですけど、76年「ロッキー」77年「スター・ウォーズ」と続いた翌年は、グリースが1位!この後はスター・ウォーズやインディ・ジョーンズ、ETなどが1位を占める時代になりますので、かなりの快挙でした。
 
1980年の主演映画「ザナドゥ」は興行成績はコケましたが、レコードは大ヒット。そして、1981年にレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略で大成功したのが、この「フィジカル」でした。
 
 
今見ても、このビンナップ2枚付きのLPレコードの写真はセクシーです。勿論、アルバムタイトル曲の「フィジカル」を始め、良い曲が多かった。オリビア最後の大ヒット作品と言っても良いかも知れません。
 
 
ジェーン・フォンダの「ワークアウト」が1982年にベストセラーにもなり、エアロビクス、レオタードといったものが大流行しましたが、その火付け役がオリビアの「フィジカル」でした。
 
コロナ禍となり、あちこちのスポーツジムなどで退会者が増えたようですが、実際ここ1~2年は運動不足の人も多いと思います。使わなくなった「ビリーのブートキャンプ」等のDVDを押し入れから出して、少し運動することが必要な方も多いのでは?

北原白秋作詞、山田耕筰作曲 ~豊中高校校歌

2022-01-04 | 青春の音盤

北原白秋作詞、山田耕筰作曲という当時の黄金コンビによる校歌は、昭和11年1月17日の校歌発表会に、山田耕筰本人が豊高を訪問し、生徒に直接指導しています。

その後終戦を経て、昭和23年、新制高校として豊中高校は発足しましたが、校歌がなかった状態が8年続きました。その間、生徒自治会が新しい校歌の制定についての議論も行いましたが、旧校歌を何とか再び生かそうという意見が多く、昭和30年9月16日に旧制中学校校歌の2番の「勤倹尚武」と3番の「協同進取」を入れ替えた上で、1番と2番が、現在の豊中高校校歌となりました。

豊中高校・校歌のレコードは、これまでに2枚作られました。その歴史についてお楽しみ下さい。

作曲者の山田耕筰は、当時、豊中中学の校歌以前にも全国各地の校歌を作曲していましたが、そうした校歌が年月を経るうちに、作曲した時の自分の気持ちとは随分かけ離れた歌い方をされるようになることが多いのを、次第に残念に思うようになりました。

多くの作品の中でも豊高の校歌は、自分としては非常に気に入った作品だと思っているので、いつまでもこの作曲した心を歌い継いでほしい。そのためには、自分の気持ちをレコードに吹き込んでおくのが1番良いということで、レコード化を行ないます。

このレコードの説明文には「我等が待望久しき校歌は、昭和10年12月31日に完成した。明けて1月17日、山田先生親しく全校生徒を指導せられ、1月29日には、更に同先生の独唱及び先生指揮の管弦楽によってレコードの吹き込みも完了した。我等は唯歓喜と感謝の念に溢れて、豊中讃歌を高尚しよう。」とあります。

この説明にあるように、レコードのA面は、指揮者として有名な上田仁のピアノ伴奏により、山田耕筰の声高らかな独唱で、B面には山田自らの指揮によるコロムビア管弦楽団の演奏が収録されています。音楽家でもあった山田耕筰ですが、肉声によるレコードは極めて数少なく、山田耕筰がいかに豊高の校歌に熱意を持たれていたかがうかがわれるエピソードです。このレコードは78回転で吹き込まれており、現在では聴くことが難しいことが残念です。

その後昭和30年、新制豊中高校の校歌が決定した時、自治会や学校側でも新しい校歌を再度レコード化しようという動きもありましたが、実現に至りませんでした。そしてようやく昭和54年になって、豊陵会の事業として新たに校歌のレコードを作成することが企画され、9月に完成したのです。

豊陵会報第29号の中で、当時の豊陵会会長・鳥井道夫は「今回、多数の同窓生諸氏の御協力によって、伝統ある校歌に恥じない立派なレコードが出来上がりました。私たちはこのレコードを手元に置くことによって、折に触れて、1人で、家族や友人と、あるいは同窓会で楽しく唱和しようではありませんか。そして夢と希望に燃えた若き日に思いを馳せ、新たな心で明日に邁進したいものであります」と校歌に寄せる思いを記しています。

この新しいレコードは、A面がボニージャックスによって歌われた校歌、B面がAMSレコーディングオーケストラによる校歌演奏で、戦前に録音されたものとはまた違う、マーチ風の軽快にアレンジされた仕上がりになっています。それが今、僕の手元にもあります。


18番まである34分の「大阪で生まれた女」

2021-12-26 | 青春の音盤

「大阪で生まれた女」・・・1979年にリリースされたBORO(ボロ)の大ヒット曲です。最近では話題になっていないようなので、若い人は知らないかも知れませんが、アラカン以上の方にはお馴染みの歌です。

この歌、実は「18番まである34分の超大作」です!

結構そのことを知らない人が多いのですが、僕もこのロング・バージョンを知ったのは、1992年に発売されたCDを聴いたからです。それが「大阪で生まれた女18」。18の意味は18番まであるから。

大ヒットした79年のシングル盤は、原曲の4番、6番、16番の一部の歌詞を使って、夢を追い続けた男を追って、大阪で生まれた女が上京し、別れたことが描かれていますが、フル・バージョンでは男と女が高校生の時に出会い、夢を追い上京する男と一緒に東京で愛し合った日々を綴り、女が別れを選んで大阪に戻ることまでが描かれています。そして、2人がそれぞれ違う伴侶を得たことまでも。

懐かしさを感じた方のために、歌詞を掲載しておきますが、「ディスコ」等、当時の世相を感じる言葉が散りばめられています。

 

放課後のグランドで
待ち合わせて帰る
二人を西陽がつつんでいる
生徒手帳の中の写真が
愛を教えていた
大阪の風をうけて歩いた
まだなにも知らなかった
大阪は二人にとって大きすぎて
怯えるようにながめていた
放課後のグランドで
待ち合わせて帰る
風にほこりが笑ってた


ある日母が眠った朝
ただとまどっていた二人
すべてがその日から
変わりはじめ
男は夢にむかいはじめた
大阪の街を二人で歩き
少し大人を演じていた
大阪の街は二人を見ていた
小さな恋人達を見ていた
ある日母が眠った朝
小さな男が歩き出した


卒業をむかえた3月のある日
二人はもっと愛しはじめ
この愛のくずれる
ことだけがとても怖かった
大阪でぎこちなく生きていても
夢を見れないと思ってた
大阪を出ることで
それに変わる
夢を手にいれようと思った
卒業をむかえた3月のある日
愛はより深くなった


踊り疲れたディスコの帰り
これで青春も終わりかなと
つぶやいて
あなたの肩をながめながら
やせたなと思ったら
泣けてきた
大阪で生まれた女やさかい
大阪の街よう捨てん
大阪で生まれた女やさかい
東京へはようついていかん
踊り疲れたディスコの帰り
電信柱にしみついた夜


男は夢に立ちむかうけれど
女はまもるものがある
男は壁をのりこえるけれど
女は愛をさがした
大阪で生まれた女やさかい
この街をまもりたい
大阪で生まれた女やさかい
この街で何かをさがしてた
男は夢に立ちむかうけれど
女はまもる愛をみた


たどり着いたら一人の部屋
裸電球をつけたけど又消して
あなたの顔を思い出しながら
終わりかなと思ったら泣けてきた
大阪で生まれた女やけど
大阪の街を出よう
大阪で生まれた女やけど
あなたについて行こうと決めた
たどり着いたら一人の部屋
青春に心をふるわせた部屋


ひかり32号に乗って東京へと
涙がとめどなく流れつづけた
街をすてることの涙と
止める言葉をふりきる涙
大阪の街をふりかえると
そこにも夢はあった
大阪の街をふりかえると
そこにも愛は確かにあった
ひかり32号に乗って東京へと
二人きりの夢を持って


立教大学の近くの小さな部屋
それが二人の愛のかたまり
夢を追いつづける二人は
現実のすべてを見た
大阪で生まれた女やさかい
負けられへんと思った
大阪で生まれた女やさかい
がんばらなあかんと言いつづけた
立教大学の近くの小さな部屋
何もないけど輝いていた


学生達でにぎわうこの街に
似合いもしない二人のくらし
求人広告を目でおいながら
なんとかなるよとつぶやいた
大阪で生まれた女やもん
夢をもたんとよう生きていかん
大阪で生まれた女やもん
負けられへんそれが口ぐせ
学生達でにぎわうこの街に
今夜小雨の空の色


今日
西口のロータリーでのもめごと
警官が学生を追いかけてた
生きることに必死の二人には
馬鹿げたことだと思えた
大阪で生まれた女にとって
夕焼け色のビルは喜び
大阪で生まれた女にとって
明日を感じる何かがほしい
今日
西口ロータリーでのもめごと
テールランプに揺れる人影


あつい日々を生きてた二人
夢は現実にくずれ去ろうとする
苦しみの中で二人の愛だけが
ただ一つの本当のこと
大阪で生まれた女にとって
喜びはどこにあるのだろう
大阪で生まれた女にとって
悲しみはどこにあるのだろう
あつい日々を生きてた二人
愛しか信じるものはなかった


ゆうべ二人の部屋に届いた手紙
つらいメッセージだった
そんな暮らしをはやくやめて
大阪へ帰れと言っている
大阪から飛び出した若い二人は
とまどうばかりだった
大阪から飛び出した若い二人は
この街で怯えていた
ゆうべ届いた手紙に
目をふさぐ二人がいた


なすすべもなく眠る人よ
あなたの夢は終りじゃない
現実にくずれ去ることよりも
現実を生きてほしい
大阪で生まれた女が今日
東京を一人出て行く
大阪で生まれた女が今日
生まれた街へと帰って行く
なすすべもなく眠る人よ
自分をこわさないでほしい


扉をあける扉をしめる
きしむような音がする
心に扉があったら
二人の扉に鍵がかけられた
大阪からの手紙はやがて
色あせた悲しみに変わり
大阪からの手紙はそして
色あせた人生の事実となった
二人には好きな人が出来
やがて大人の扉をあけた


やがて愛する子供が出来
あの青春を思い出す
やがて愛する子供が出来ても
あの日々は消えない
大阪はめまぐるしく変わって行く
時代を創る人達の手で
大阪を変えて行く時代の中で
あなたのうわさを聞くことがある
ここで愛する子供が遊んでいる
あの日の思い出にありがとう


最後の手紙
夢をつかんだ人へ
すばらしい人生を創る人よ
あなたがくれた日々に乾杯
大阪は今日もあの日のまま
あなたの青春が残っている
大阪は今日も活気にあふれ
又どこからか人が来る
最後の手紙
夢をつかんだ人へおめでとう
大阪で生まれた女より
大阪で生まれた女より


すべてをつつむ力があれば
愛は終わらない
たとえばあの陽のように
すべてをつつめば
そこに街があり人が住む
そこに川が流れ鳥が舞う
そこに小さなアパートがあり
そこに永久の愛があるかも知れない
でもそれを
大人達は知らない


青春は何かをつかもうとする時
ゆがんだ正義をつかまされもする
それを否定することは出来ない
たとえ小さな過ちでさえも
それは小さな二人の
愛のせいではなく
青春そのものが
ゆれ動く時代

 

後年実は更に19番から21番までの歌詞も作られています。

 

喧騒で騒がしい上六あたりを
娘の家族と歩いてた
このこがまだ若い頃に
夢を語って歩いた道
大阪で生まれた女やさかい
庶民の夢は可愛いもんやね
大阪で生まれた女やさかい
この街の名前を抱きしめてきた
おんなじ夢を持つ娘と
今日は並んで歩いた


悲しみをのりこえるのは
笑うことやね
そやからうちらはよう笑うたね
あの人が逝かはってから
私もだいぶ無口になったね
大阪で生まれた女やさかい
笑う事は得意やもんやね
大阪で生まれた家族やから
しっかり手を繋いでいくんやで
悲しみはいつも台所の
笑いの鍋で煮込んだね


古い話を聞かせてかんにん
あんたらは私の誇りやからね
私の肩を叩いてくれる
小さなゲンコツも誇りやで
大阪で生まれた女やさかい
自分は歳とらんと思い込んでる
はしゃぐあんたらと
何もかわらへん
それが大阪で生まれた女