青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

やっと歳末の雰囲気です

2010-12-30 | ぶらり散歩

明日はいよいよ、大晦日。僕は31日も元旦も仕事ですので、お正月休みはありませんが、仕事が楽しいのですから仕方がありません。(笑)

そんな僕もやっとお正月の雰囲気を感じました。ここ日本橋では水天宮があるせいか、商店街には提灯がズラリと並び、お正月の飾り物を売る露店が並んでいす。これを見れば、さすがにお正月気分になります。

お正月は、人形焼のお店や和菓子のお店は営業です。でも喫茶店は大晦日から3日まで休業の案内が貼り出されています。門前の商店街で、老舗がお店を開けていて、すぐ近くの明治座でも2日から公演なのに、喫茶店は休業??商売する気がないのかな?と思ってしまいました。

まあ、そんな中でもコーヒーを飲める場所は、しっかり確保しましたので安心!

On the last day of the year, we prepare for the new year by giving the house a thorough cleaning. At midnight on December 31st, temple bells toll to ring out the old year.


年末は駐輪にご注意!

2010-12-20 | ぶらり散歩

年末。歳末助け合い運動や、炊き出し、年末特別警戒など、いろんな言葉が並びます。12分の1か月だと思うのですが、やはり年末は悲しいかな、日本ではいろんなことに注意が必要なようです。

ボーナスが出た人出なかった人、いろんな人がいるでしょう。僕の友人は、よく産地直送の野菜を、職場の同僚からもらっています。先日事務所から電話を受け、「ナスがあるよ」と言われ、喜んでもらいに行くと無い!「え~!誰が持って行ったの?」と騒いでいると、あったのは「ボーナス」だったと。職業柄ボーナスが出るか出ないか分からないと、僕に話していたのは、その騒ぎの前夜のことでしたから、出て良かったねと。(笑)

さて、この写真の自転車。路上に結構な時間、放置(駐車)されていたのですが、これってどうなんでしょう?分かりますか?

鍵がついたままなので、乗り逃げ出来るんです!

よく見て下さい。鍵がついているでしょう?持ち主さんが、鍵を掛けていないんですよ。問題はその自転車の持ち主。

誰か分かりますよね?もうちょっと気を付けてもらわないと、奪われて困るのは拳銃や警察手帳だけではないと思うのです。年末に関係なく、こういうことは気をつけてもらわないと・・・。


オリビア・ニュートン・ジョン 2010年・来日コンサート

2010-12-04 | 素晴らしかった興行・イベント

活動40周年を迎えた、英国生まれの世界の歌姫、オリビア・ニュートン・ジョンのジャパン・ツアー。11月26日に、その2日目の東京・渋谷のオーチャードホールのコンサートに行って来ました。40周年ということで、ファンの投票によって選曲されたベスト盤や、紙ジャケットのCDなどがリリースされ、僕のような古くからのファンにとっては嬉しいプレゼントになっています。

このベストや紙ジャケは日本独自のリリース。世界的に発売されたものではありません。現在も大きな人気を誇っているのは、オーストラリアと日本の2大マーケット。アメリカやヨーロッパでのコンサート予定はありません。しかしアメリカでも根強い人気はあり、僕は今回の紙ジャケCDを、大勢のアメリカ人から買ってくれと頼まれました。ちなみにファンの投票によって選曲されたベスト盤には、投票したファンの方の名前が何人かクレジットされていますが、僕は本名とペンネームの両方がクレジットされました。

今回のステージは東京・金沢・名古屋・大阪(と言うか、尼崎)が予定されていました。前回までの来日で、オリビアを招へいした会社と今回の来日招へい元は異なり、今回はウドー。金になると分かれば飛んでくる、あのウドー。案の定チケットも高額になったわけですが、まだ音響の良い中規模のホールをコンサート会場に選んでいただけ良かったと言えます。来年のイーグルスなんてドームで12,000円です。(スティング、ホール&オーツなどオールドネームが続々来日しますが、高い!)

さて、開演時間を迎えると、ステージ後方に設置されたスクリーンに、幼少時代から現在に至るまでのオリビアの姿を追う、写真や動画が次々に映し出されました。幻の映画「TOMORROW」の映像から可憐なデビュー当時のフォト。ジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画「グリース」のカットや「ザナドゥ」のカットも。そしてオリビアの80年代最大のヒット「フィジカル」の新聞報道も披露。BGMには映像にマッチした、その当時の彼女の曲のインストロメンタル。(実はこれは、オリビアのオーストラリアコンサートのDVDのエンディングに収録されているものに、その後を加えたものです。)

そしてステージ上にはドラマー、ギタリスト、ベーシスト、キーボード奏者、男女コーラス各1名、それにサックスやフルートなどのウインド・パートとコーラスも兼任する男性が1名(この人が凄かった!上手い!)といったバンド・メンバーが登場。映像が終わると同時に、ステージ袖からオリビアの歌声が響き渡り、満場の拍手が巻き起こった。姿を見せた彼女は、ブロンドの髪が映えるエレガントな黒いドレスを身に纏っている。

伸びやかだが嫌味のない、ナチュラルでビブラートの効いた歌声が、1975年にビルボード1位を記録し「そよ風の誘惑」を皮切りにホールを満たしてゆく。ファンキーなR&Bや、スウィングするポップ・ナンバーなど、バラエティ豊かな選曲の中で彼女のピンヒールの足は軽快にステップを踏む。これが本当に、62歳の人の歌声と姿なのか?「ドーモアリガトウゴザイマス!ハロー、トーキョー!」と最高にチャーミングな笑顔で挨拶する。客席から「I’m really love you, OLIVIA!!」の声が飛ぶと、即座に「あら、ウチの旦那がいるみたいね」と切り返して笑いを誘った。

「昔、ジーン・ケリーと踊った曲よ。ヒア・ウィー・ゴー!」と、今度はカラフルな照明の中でダンサブルなタイトル曲を皮切りに、映画「ザナドゥ」からの楽曲群を立て続けに繰り出してゆく。メロディは派手ではないがグルーヴィな名曲「マジック」も格好がいい。ギタリストの肩に手を置いたり、男性コーラスとのデュエットで手を取り合ってダンスしたりと、バンドとしてのパフォーマンスも楽しみながらのステージだ。「カントリー・ソングは好き?1971年にアメリカで初めてヒットした曲なの。一緒に歌ってね」と、ステージ中央にバンド・メンバーが集まってボブ・ディラン作の「イフ・ノット・フォー・ユー」からは一転、カントリー・ポップのメドレーが。カントリー、R&B、ディスコ・ポップにバラードと、ジャンル的にボーダレスな楽曲の数々も、彼女の長いキャリアでの人気を支えて続けてきた証明だ。

椅子に腰掛けたまま、「たそがれの恋」が披露されると、そのままムーディーでかっこいいアレンジの「フィジカル」がプレイされ始めたのだが、「ノー、ノー、ノー!やっぱりこれ、立って歌わないとダメじゃない?」と、オーディエンスの喝采を誘いながら演奏中断。本来の力強いダンス・チューンのアレンジで仕切り直し。上手い!懐メロ人気曲であることを逆手に取った、心憎い演出だ。熱いギター・ソロに合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねてしまうオリビア。更には情熱的なラテン・ファンク・チューン「ノット・ゴナ・ギヴ・イン・トゥ・イット」、そしてオリビアがイルカの群れと戯れる美しい映像がスクリーンに映し出される中での「ザ・プロミス(ドルフィン・ソング)」と、彼女の人生における様々な瞬間を切り取った楽曲が続いて行く。

ドレス姿からカウガールへと衣装チェンジ(一貫して黒を基調にしているのがかっこいい)したオリビアは、「ジョン・デンバーの曲です。知っているわね。」と「カントリー・ロード」のイントロをメンバー達と合唱する。「カントリー・ロード」と言えばオリビアのバージョン、という印象を持つ人も、少なくないのではないだろうか。その昔に「おはよう700」のテーマとして使われ大ヒット。ラジオ「ヤングリクエスト」で何週にも渡って1位を独走した曲だ。(最近では「耳をすませば」でもカヴァーされました。)そして「噂」からスタートするロック・メドレーへ。羽織っていたウェスタン・ジャケットを脱ぐと、セクシーでアクティブなキャミソール姿になる。それでも嫌らしさが皆無でヘルシーに見えてしまう。

そして、クライマックスは「グリース」からのナンバーで盛り上がる。ドタバタ恋愛ミュージカルを再現する、男性コーラスとの言い争うような「愛のデュエット」が楽しい。映像では何度も見ているシーンだが、生で見ると一層面白い。「想い出のサマー・ナイツ」ではスクリーンに歌詞が映し出され、オリビアがシンガロングを求めるのだが、正直、日本人にとっては、そんなに敷居が高いのか?と思ってしまった。オリビアファンが集まっていて、平均年齢も結構なのに歌えない??ま、楽しかったからいいけど・・・。

アンコールではこの日「最近録音したばかりの曲なの。世界の人に聴いてもらいたいの」と披露した新曲「Help Me to Heal」に続き、もう1曲の新曲「Grace And Gratitude」をドラマチックに歌い上げ、彼女のステージの最後を長年飾ってきた「愛の告白」を熱唱した。それでも鳴り止まない拍手に、何とオリビアは再度登場。「もう歌う曲がないのよ。全部歌っちゃったから・・。アカペラでもいいかしら?」と、「オーバー・ザ・レインボー」を美しい声で披露。メンバーが全員舞台から去った後、最後にステージの袖に妖精のように消えて行ったオリビアでした。

メドレーで披露されたそれぞれの楽曲やアンコールの3曲まで含めると、実に30曲を数えるというエネルギッシュで濃密な2時間。スクリーンを使ったシンプルな演出ではあったけれど、基本的には「最高のバンドと一緒に、自分が最高の歌を歌えれば、最高のステージになる」とでも言うような、オリビアのパフォーマーとしての根幹で成立したショーでした。自然体なのによく考えてみれば驚異的なパフォーマンスで、あっという間に夢見心地な気持ちにさせられてしまう。そりゃあ世界で40年、愛され続けるハズです。

■セット・リスト■

1: Olivia Walk On (Honestly)
2: Have You Never Been Mellow
3: A Little More Love
4: Sam
5: Xanadu
6: Magic
7: Suddenly
8: Country Medley
[ If Not For You~Let Me Be There~Please Mr. Please~Jolene~If You Love Me (Let Ne Know) ]
9: Don't Stop Believin'
10: Physical
11: Help Me to Heal
12: Not Gonna Give In To It
13: The Promise (Dolphin Song)
14: Soul Kiss
15: Take Me Home, Country Roads
16: Rock Medley
[ The Rumour~Make A Move On Me~Totally Hot~Deeper Than The Night~Twist Of Fate ]
17: You’re The One That I Want
18: Hopelessly Devoted To You
19: Summer Nights
20: We Go Together

EN-1: Grace And Gratitude
EN-2: I Honestly Love You
EN-3: Over the Rainbow


誰も書かない「日本のプロレス発祥の地」

2010-12-03 | スポーツの話題

日本橋浜町と言えば、テレビドラマの「新参者」が有名ですが、僕にとっては自身の企業の地です。そしてもう1つ、日本のプロレス発祥の地でもあります。今日のような記事を、プロレス誌・紙で聞かないのは、昔のことを知る記者が現役で活躍していないし、昭和プロレスが終わってしまった証拠かも知れません。

1960年(昭和35年)、アントニオ猪木とジャイアント馬場の二人が力道山の弟子として、日本プロレスに入門し、トレーニングに明け暮れた場所は、同じ人形町の「レスリングセンター」。今はNTT茅場兜営業所になっています。この斜め向かいの通りに「理容・浪花軒」という床屋が今もありますが、当時、ジャイアント馬場らがよく頭を刈りに行ったお店です。

ところが今回発見したのは、事務所から歩いてたった3分のこの場所です!

現在は三菱マテリアルTC株式会社などの入っている、大丸ピーコックの向かいのビルですが、ここにどんな歴史があったかを知っている人はほとんどいません。当時の住所は日本橋浜町3丁目19番地・・・。大相撲で関脇昇進が決まり、日本橋霞町の売れっ子芸者・小沢ふみさんと結婚した力道山が新居を構えたのがここなのです!

そして、その1年半後の昭和25年9月11日未明、力道山はこの自宅の台所で自ら菜切り包丁で相撲取りの生命ともいうべき髷を切り落とし、廃業への道を選びました。24歳の若さでした。そんな衝撃的な事件のあった、日本のプロレス誕生への歴史的な場所が、僕の会社の目の前にあったのです!

明治座がこのすぐ先にあり、その前には浜町公園が現在もある。昭和30年代には力道山が弟子たちを連れて犬の散歩に浜町公園に出かけていたり、浜町グランドで力道山率いる野球チーム「レスラーズ」が練習試合をやっていたと言います。プロレス・ファンの僕が偶然にも、日本のプロレス発祥の地に起業していたことは、とても嬉しく思えてなりません。


「10万なんてふざけんな!」猪木DVD発売記念イベント!

2010-12-02 | 素晴らしかった興行・イベント

アントニオ猪木のデビュー50周年を記念して作られたDVD『アントニオ猪木デビュー50周年 DVD-BOX』が12月3日に発売となるが、そのプロモーションイベントが11月16日に新宿バルト9で開かれ、猪木が舞台挨拶を行った。

DVD発売記念の作品として、DVD素材を2時間に編集した劇場用映画『燃える闘魂アントニオ猪木 50年の軌跡を上映。この日はその上映前の舞台挨拶。入場曲「炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE~」が流れるなか両手を高く掲げながら登場した猪木は、司会にうながされ、50年の軌跡を振り返った。

1976年のモハメド・アリ戦については、「なんでも“アリ”のモハメドということで(笑)、ルールが決まらなくて大変でした」と猪木。「グローブは4オンスでバンデージを巻いて、本当がどうか知りませんがシリコンが入っていて壁のように堅い」と言い、「こちらも靴のなかに鉄板を入れたんだけど、さすがに気が引けたのでリングに上がる前にはずしました(笑)」と裏話を告白していた。

そんなアリとの試合について「試合中に幽体離脱して、試合をしながら自分の試合を(外から)見たことがある。アリ戦にもそれができれば良かったんですけど……」と悔やむ一方で、「アリに感謝している、というか、この試合があったから猪木の名前が世界に売れた。戦うべくして戦った気がします」と、伝説の試合について語った。

また、87年にマサ斎藤と行った巌流島での戦いについても触れ、「40度近い熱が出ちゃって、(現地で)氷風呂に入って熱を冷ましていた」と振り返った猪木。夕暮れにたいまつを立てて試合に臨んだものの、「たいまつにぶつけられたときは熱かったですよ(笑)」と、今だから話せる素直な感想を口に。

DVDについては「本当は(こういうDVDを出すのは)イヤだよね~。過去の自分を振り返ると、恥ずかしいことがいっぱいあるじゃないですか」と言ってから、「10万円だって!?」と価格への文句も。ファンの気持ちを代弁するかのように「ふざけんじゃね~よ!」と苦笑いしつつも「でも、買っていただかなきゃいけないからね」と話していた。

また、囲み取材では50年という歳月について聞かれた猪木は、「あっという間だった」と話す一方で、「中身は濃かったですよね。いろんな事件、スキャンダルもあったし、政治の世界にも出たし」と感慨深げ。

ファンへのメッセージを聞かれると、開口一番「バカヤロー!」と怒鳴ってから、「……と言いたくなるくらいくらいファンは薄情なんですよ」と苦笑い。「こちらがパワーを持っていないとファンはすぐに離れていってしまう。命がけのメッセージをリングから送り続けないと去ってしまう。ファンほど薄情なものはありませんね」と、人気稼業の辛さも吐露していた。

舞台挨拶の最後には「金が欲しい、女が欲しい、男が欲しい、家が欲しい、社長になりたい、総理になりたい……総理はやめたほうがいいですね」という前口上の後に、「じゃあ行くぞ。1、2、3、ダーッ!」と気合いを入れた。