青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

映画は劇場で楽しみました!~OS劇場

2024-05-05 | 昭和の映画館

名探偵コナン「100万ドルの五稜星」が大ヒット中のGWです。昔は定番の映画と言えば、洋画もしくは時代劇、そして「男はつらいよシリーズ」が興行的には強かった。そして邦画の超大作と言えば黒澤明監督で、その動きは世界からも注目されていました。1980年に「影武者」が公開された時は、日本映画歴代興行収入の1位に輝きました。

そして、その記録を塗り替えて1位に輝いた作品が、1983年公開の「南極物語」で、配給収入は59億円。写真は昭和58年(1983年)の8月、大阪・OS劇場に出来た行列です。僕が興行収入に関心を持ち、覚えていたのはここまで。

「E.T.」や「ジョーズ」「エクソシスト」の時、映画館前に出来た長い行列を今も思い出せます。大ヒット作品を大きな映画館で鑑賞する。シネコンしかない映画館ばかりで、全席指定席の現在、二度と見ることが出来ない光景ですね。

この後ジブリ作品等のアニメ作品が次々と記録を塗り替えて行くのに伴い、興行収入から興味が失せて行きました。子供、いや家族連れを動員出来れば興行収入は伸びますし、映画の料金もどんどん値上がりしましたので、単純に興行収入の数字を比較しても、良い作品が示される訳でもないからです。

現在日本映画の興行収入1位は「鬼滅の刃・無限列車編」、その後に「千と千尋の神隠し」「君の名は。」「ONE PEACE FILM RED」「もののけ姫」と続きますがアニメばかり。確かに日本のアニメは世界に誇る文化と言われますが、昭和のジジイの僕には、アニメは平和な国・日本の作る「おとぎ話」としか思えず、上に記した作品、全く面白いとも観ようとも思わず今日も生きています。日本のアニメ、教訓めいたことも示唆していて、心に刺さるとか感動するとか聞くのですが、所詮は底の浅い机上のゆる~い空論みたいな印象しか僕は受けません。「名探偵コナン」シリーズは、理屈抜きのエンタメとして面白いと、僕は気に入っています。


“北野シネマ” を忘れていませんか?~梅田のど真ん中にありました!

2024-05-04 | 昭和の映画館

大阪の懐かしい映画館と言えば、僕は現在のHEPナビオ(ナビオ阪急)の土地にあった「梅田東宝会館」を1番に上げますが、そこにあった映画館と言えば、北野劇場、梅田劇場、梅田スカラ座、梅田地下劇場の4つばかりを話題にして来ました。

すみません。東宝会館が取り壊されるまでの間、もう1館あったことを忘れていました。単にうっかり忘れていました。僕の通った梅田東宝会館には、もう1つ映画館があり、全部で5館が軒を並べていました。忘れていたのは「北野シネマ」です。本当にすみません。

北野シネマはATG(日本アート・シアター・ギルド)の上映館として、根強いファンを持つ映画館でした。昭和53年(1978年)に、ナビオ阪急として生まれ変わるために、閉館となりました。

北野劇場、梅田劇場、梅田スカラ座の3つの映画館は、座席数を減らしながらもナビオ阪急に入りましたが、北野シネマは消えてしまいました。そもそもATG系の映画自体、公開本数も減っていたので、その後ATG系の映画は、三番街シネマ2で上映されるようになりました。百又ビルにあったシネマ1,2,3も今は無くなり、大劇場が消えたことは寂しい限りです。

ちなみに3大劇場の座席数は梅田劇場が1450席、北野劇場が1370席、スカラ座が900席でしたが、ナビオ阪急になった後は、それぞれ920、1016、937と小さくなりました。しかし、その後この3つの劇場も、何度かリニューアルされて、TOHOシネマズと名前を変えた今では「8」つの劇場となりました。3大劇場の座席数は、元の梅田劇場が現在のシアター3で、北野劇場がシアター1、スカラ座がシアター2になりましたが、それぞれ座席数は、470、747、475と更に小さくなりました。時代の流れとは言え、残念です。大劇場が懐かしい!

 


街角の懐かしい “映画の看板”

2024-03-27 | 昭和の映画館

映画館も大型館が全て閉館になり、シネコン全盛時代の今では映画館の風景も、僕が若かった時とは様変わりしました。

映画館だけではなく、映画と言えば「看板」ですが、劇場前の看板も今では「こじんまり」して、その映画館特有の「色」もありません。また、電車の車窓から見える映画の看板も今では皆無です。昔は大阪梅田駅に到着する直前、線路の左右には映画の看板が並んでいました。今ならDDハウスが見えますが、当時は看板の後ろにどんな建物があったかなどは気も付きませんでした。

この写真は、街角の映画看板です。大阪ミナミのスバル座横にあった看板。封切り作品ごとに替わる看板は、キタの「OS劇場」のものでした。巨大スクリーンの「シネラマ」の文字が懐かしい。こういう看板が昔は繁華街を歩くと、すぐに目に留まったものです。今は駅のホームの地元の病院の看板すら消え去ってしまいました。

 


1978年夏の“OS劇場”は熱かった!

2024-03-21 | 昭和の映画館

久しぶりにブログのカバー写真を代えてみました。と、言っても選んだのは大阪梅田にあった「OS劇場」。当時大阪一の大きなシネラマスクリーンを持つ劇場でした。指定席も常時備えた、他の劇場よりワンランク上に位置付けられた大劇場。前回は白黒写真でしたが、今回は別角度からのカラー写真です。

ただし、今回も前回と同じ時に撮った写真なので、上映している映画も同じ「スター・ウォーズ」で昭和53年(1978年)7月24日の写真です。

こちらが前回のカバー写真につかっていたもの。

夏の暑い日に、と言っても今ほど暑く感じない昭和の夏の、スター・ウォーズに熱かった青春の1ページです。今の梅田とこの頃の梅田・・・比較にならないくらい、70年代の梅田が僕は大好きです。

最後に・・僕は春の選抜甲子園を楽しんでいますが、今日の広陵=高知の試合で、広陵が攻撃時に「炎のファイター」の曲を演奏しているのが嬉しかった。演奏している高校生、聴いている観客の中には、それがアントニオ猪木のテーマ曲だと知らない人もいるとしても。


大学帰りに「淡路東宝」

2024-02-11 | 昭和の映画館

阪急・京都線の淡路駅・商店街の中央に、映画館があったことを思い出しました。十三・弥生座と並ぶ、いわゆる名画座。大学からの帰りに、何本か映画を観たことがありました。淡路は阪急電車の京都線、千里線が交わる駅であり、千里線から地下鉄の堺筋線へ、阪急電車の車両が乗り入れもしています。近年ではJR淡路駅も出来て交通の便が良くなる一方、昔ながらの映画館の灯は消えてしまいました。

写真は「淡路東宝」で、ここはいわゆる名画座(ロードショー後に、古い映画も交えて2~3本立てで映画を上演する)で、無くなったもう1軒は「淡路ニュートーホー劇場」。にっかつのポルノ映画を上映する映画館でした。十三で言えば「十三ロマン」がこれに当たります。同じポルノでも「十三アカデミー」は、週替わりでポルノを上映する、もう少し格下の劇場でした。どこがアカデミーなのか?って言っても誰も知らないから笑えない・・

淡路東宝の傾斜のある場内は、昔ながらの大劇場の風格を持っていました。この写真のロビーから2階へと続く長い階段を上り切ると、目の前に現れる待合所があり、その天井の高さには驚いたものです。その待合の写真が無いのは残念!

「淡路東宝」に僕が初めて行ったのは、高校時代。「エクソシスト」が目当てでした。悪魔祓いのシーンは怖かった。ついでにもう1本の映画も・・の、「ついで」が「サスペリア」でした❗️ エクソシストを警戒していたので、その後つい油断していたのでしょう・・サスペリアの衝撃は凄かった。

イタリアのダリオ・アルジェント監督の代表作「サスペリア」。「決してひとりでは見ないで下さい」との宣伝が反響を呼んでいましたが、当時「大スポ」が「本物の幽霊が写っている」等と煽っていたので、子供だましの映画だろうと思っていたら、いや、本当に怖かったのです!
 
オープニングの空港でいきなり、ただならぬ雰囲気を醸し出し、主人公スージーの友達が針金の部屋に追い詰められて殺されるシーンは今でも覚えているし、極彩色の画像と不安を煽る音楽で、観てるこちらが追い詰められていくような映画でした。最近DVDも発売していますし、リメイクもされましたが、僕はこの時観て以来、1度も観ていません。このDVDはすぐに売り切れて廃盤になるようです・・。
 
「サスペリア」が「淡路東宝」の名前を不動のものにしました。(笑)淡路東宝・・懐かしい。
 
 
平成29年(2017年)に閉館したのは、本当に残念でした。