青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

アレクサンダー・カレリン氏がレスリング教室!外務省が招待!

2009-01-30 | スポーツの話題

男子グレコローマン130kg級で1988年ソウル五輪から五輪3連覇し、世界選手権9連覇、世界一に12度輝き、2000年シドニー五輪で銀メダルを取って引退した、「人類最強の男」と称されたアレクサンダー・カレリン氏(41=ロシア)が1月29日、東京・ナショナルトレーニングセンター(NTC)でレスリング教室を開講。前日に合宿を終えた全日本チームの選手や自衛隊などの選手が集まり、“人類最強の男”の指導に耳を傾けた。またこの日、カレリン選手の足に合うレスリングシューズが用意できず、黒い靴下のまま講習会を始めるというハプニングもあった。

カレリン氏は、26日に来日。29日にNTCと国立スポーツ科学センター(JISS)を視察し、同日午後、1時間半だけだったが日本選手に技術や練習方法の一端を伝授した。ロシアの国会議員(3期目)として、外務省の交流事業で来日したカレリン氏。必殺の「カレリンズ・リフト」も披露し、グレコ96キロ級の全日本王者・北村克哉(23)=FEG=らを軽々とぶん投げた。北村は「クラッチを組まれたら動かなかった」と規格外のパワーに驚きの声をあげた。

カレリンの超人的な強さの象徴、カレリンズ・リフト。これはパーテレ・ポジションから相手の胴体をクラッチし、後方に反り投げるという俵返し(サイド・スープレックス)に相当する技で、アマチュアレスリングではポピュラーな投げ技の1つである。しかしそれは軽~中量級における話であり、カレリンが出場していた130kg級では前代未聞の大技だった。カレリンがこの技を使うまでは、130kg級において相手を俵返しで投げるという概念自体が存在しなかった。投げられる側は当然ながら頚椎に多大な荷重がかかるため、カレリンにパーテールポジションを奪われた相手がこの技を恐れて、そのままフォール負けを選ぶという場面がしばしば見受けられた。

カレリン氏は99年、日本のリングで格闘家・前田日明と対戦して勝利を収めたが、総合格闘技については「(前田戦)1回で十分。見るのはいいが、やる気はない」と語った。この時の試合は猪木―アリ戦以来の本物同士の一戦で、現役最強の強すぎるカレリン氏に驚いたものだった。現役世界王者がオリンピック前に異種格闘技戦を行ったことにも、本当に驚いたのを覚えています。前田日明はカレリンとの対戦前、カレリンズ・リフトについて、「あれはレスリングのルールだから通用する技。自分は絶対に喰らわない」と自信を持っていたが、実際の試合では見事にカレリンズ・リフトを受けてしまった。カレリンのクラッチはあまりにも人間離れした強固極まるもので、前田曰く「えっ、こんなクラッチあるの?と思った」、全く抵抗することが出来なかったという。なおこの対戦で前田は頚椎を負傷している。

ひざをついたカレリン氏に挑んだ城戸選手だが、そのが城は崩せずフォール負け。

スパーリングを行った全日本王者の斎川選手だったが、一瞬にして体に密着されたり、手首をつかまれて動きを制されたりして何もすることができず、操り人形のように動かされていく。見ていた日本協会の福田富昭会長が「ダンスみたいだ」と声をかけると、カレリン氏は「レスリングは、美しくハーモニーのとれたダンスだ。ただ、2人でやるダンスではない。1人でやる(動きを決める)ダンスでなければならない」と話した。斎川選手は「手が大きく、力が半端じゃなかった。一瞬にして攻められ何もできなかった。本気になってスパーリングやったとして、今のままなら怪我をさせられるでしょう」と、現役選手さながらの強さに舌を巻いた。

このあと、自分より長身のデニス・ロバーツ選手(国士大)相手にテークダウンを奪う技を見せ、リフトのための補強トレーニング法と、1人でもできるチューブを使っての練習を披露し、選手からの質問を受けた。強くなるためのトレーニングを聞かれると、「秘密のトレーニングなどない」ときっぱり。現役時代の平均的な練習時間は、2時間を1日2回、週5回の練習だったという(注=少ないように思えるが、選りすぐられたロシアのトップ選手はこのくらいが普通と言われている。質の高さや集中力がすごい。)選手が驚いたのが、1週間に3度くらい、約10kmのランニングをしていたこと。重量級の選手にとってランニングはあまり必要でないようにも思われるが、カレリン氏は長距離のみならず中短距離もこなしていたそうだ。3000メートルは11分くらいで走ったという。

このあとも選手から「チャンピオンでいた時にプレッシャーは感じていたのか?」「2016年に東京にオリンピックがくるでしょうか?」「ロシアの施設と比べて、NTCはいかがですか?」「1日にどのくらいウォッカを飲むのか?」など質問が相次ぎ、カレリン氏に対する関心の高さがうかがえた。

カレリン氏は最後に「練習で一番大事なことは、できるだけ多くの相手と練習すること。体重は関係ない。体が大きく違うときは、(最初にやったような)ひざをついての練習をやればいい。しっかり練習して上を目指すことは、すばらしいこと。日本にとってレスリングは伝統的な競技。昔に学び、強かったときを再点検すればいい。」とエールを送り、教室を終えた。佐藤強化委員長は「もともと生まれ持った体が違うのに、さらに一生懸命に練習していたのだと思う。強いのは当然ですね」と、持って生まれたすば抜けた体力に努力を重ねてつかんだ栄光であることを強調。「指導してもらったことを、今後に生かしたい」と話した。


ロング・バケーション ~ロケ地を探して(2)

2009-01-15 | ぶらり散歩

ロンバケを最近観たので、懐かしく昔撮った写真を拾い出して来ましたが・・。



この川沿いに降りる階段の踊り場もよく使われていましたが、上手いものです。背景のビルは変わっていますが、撮影当時もあった左の大きなビルと、この右にある(写真には写っていません)明治座が写らないように撮影して、ロケ地の特定をされないように工夫しています。分かる人には分かるでしょうが、日本全国で見れば、ほとんどの人が知らないので、いろんな所で撮影されているように見えますが、ほとんどが中央区のこの川べりを中心に、この近辺で撮影されています。



ラストシーン、コンクール会場から南ちゃんを追いかけて来た瀬名君ですが、下の写真の1番奥の赤丸地点を走っています。結構幅が狭く、マンション側からはそれほど高くないのですが、川側からは結構な高さがあって、かなり危険な場所です。この幅の狭い場所で、抱き合ったり、走ったりはまず無理!ドラマでは見えませんが、撮影の時は転落防止の足場があったのでしょう。

真ん中の赤丸が地点が踊り場(写真1番上)のシーンの場所。1番手前が瀬名君と南ちゃんがキスしたり、瀬名君と涼子ちゃんが歩いているシーンに使われ、

この写真を撮っている撮影者の僕の立っている橋が、番組のタイトルバックでも使われている橋です。矢印方向に瀬名君のマンションがあり、そことこの写真の間に、南ちゃんがスーパーボールを飛ばして拾いに行った、金網の柵で囲まれた更地が当時はありました。

「何をやっても上手くいかない時・・いつも頑張る必要ないんじゃない?そういう時は頑張らない。神様がくれた長~いお休み」。ドラマ「ロング・バケーション」での名セリフでした。

さて、ドラマの中でいつも瀬名君と南ちゃんが二人で行く中華料理屋さん。ここも見つけました!名前もドラマと同じ「萬金」なんです。しかもどこにあったかというと、東京は八丁堀。僕が一時勤めていた「やる気スイッチホールディング」本社から、歩いて5分。「え?こんな所にあったの?」という、東京都中央区入船3丁目にありました。(笑)これまで紹介して来た写真の現場から随分離れた場所です。

上がドラマの、下が当時の萬金です。のれんに電話番号が入っています。ドラマでは入っていませんでした。店の外からの撮影にここを使い、店内のシーンはセットを作って撮影したそうです。しかし笑ってしまうのが、この萬金の向かって右の建物の会社です。その名を音羽堂と言います。そう、瀬名君が最後に優勝し、ボストンへの切符を手に入れた「音羽堂コンクール」の名前はひょっとしてここから?と笑ってしまいました。(失礼)

当然中に入ってラーメンを食べて来ました。ドラマでのニンニク丸ごと入った餃子はさすがにありませんでしたが、ドラマと同じように狭いお店なのに、いつも満員です。「お店の創業は、戦前の屋台ラーメンからでして、もう60年以上になりますでしょうか」とのお話でした。店内には出演者、山口智子、木村拓哉、松たかこ、竹野内豊の4人のサインがありました。ラーメン、とっても美味しかったです。

さて最後にこの写真ですが、そう、南ちゃんと瀬名が結婚式を挙げる教会です。設定ではボストンに行った二人ですが、実はここはロンドンのホランドパーク駅近く、スタンホープテラスを直進した突き当たりで、当時は「St. John's Church」と言いました。現在は「St. John Hyde Park」と変わり、保育園として使われています。


ロング・バケーション ~ロケ地を探して

2009-01-12 | ぶらり散歩

僕は1996年に、膝の靭帯及び半月板損傷で3か月の入院・リハビリをした時が、社会人になってからの1番長いお休みでした。その後も転職に当たり、長いお休みを取ったこともあります。今考えれば、僕にとって必要なお休みばかりでした。その時は焦ったりもしましたが、それがあったから今の自分があると、今では疑うことも無く思えます。

さて、その10年後の2009年・東京は中央区を歩いていると、何やら懐かしさを感じる景色が・・・。

「もしや」と思い、急ぎ足で進むと・・・。川沿いの景色の1点に、僕の意識が集中して行きました。



やはりそうでした!見つけました!この景色をご存知の方はいらっしゃいませんか?この景色は僕が「長~いお休み」を取った時、苦しかった時に見て、心を和ませたTVドラマの中の景色でした!そのドラマは・・・



そう「ロング・バケーション」です!

瀬名君のマンションは建て替えられ、その前にドでかいマンションが出来てしまった為に、三井生命ビルが隠れてしまっていますが、紛れもないロンバケの瀬名君のマンションのあった場所とラストシーンの堤防です。

近寄って辺りを散策すると、ラストシーンで登場する三井生命ビルは瀬名君のマンションの真後ろ。よく出て来るシーンは全てこの隅田川の堤防付近での撮影であったことが判明!ロケ場所が分かりにくいようにアップで撮影していたんでしょうが、行けば分かりますね。いや~懐かしい。心癒されます。

ドラマ撮影終了と共に取り壊された、瀬名君のマンションの位置は、今も残っている隣のマンションと、電柱の変わらぬ「石川米店」の看板がキーになって(この写真撮影の1週間後、この広告看板は外されていました)、この地点を特定出来ました。



道路も変わっていませんが、南ちゃんが立っている画面左側、川側の空き地は全て大きなマンションになり、瀬名君のマンション横のバスケットが出来た敷地も、瀬名君のマンションと統合されて1つのマンションに。街路樹と電柱だけは今も変わっていませんでした。



ロマンチックに瀬名君と南ちゃんがキスした堤防シーンは、堤防下の川沿いの公園からのショットです。この堤防、結構幅が狭く、マンション側からはそれほど高くないのですが、川側からは結構な高さがあって、やや危険な場所です。

ドラマでは見えませんが、撮影の時は転落防止の足場があったのではないかなと思われました。思わずここに座り、夕日を眺めさせてもらいました。いい場所です!

*写真は上がドラマで、下が僕が実際に撮影したものです。


キラー・カーン ~気が小さな人でした。

2009-01-08 | ぶらり散歩

先月に続き、ご紹介するお店は「ちゃんこ居酒屋 カンちゃん」です。

お店のドアを開けるとすぐに元プロレスラーのキラー・カーンが立っています。大抵の人は驚くでしょう。とにかく身体がでかい!1人3,500円の「カンちゃん鍋」はお薦め。その迫力に驚くと思います。たまにキラー・カーンは自転車に乗って、近所をぶらつくのが趣味ですが、自転車が本当に可哀想です。

この人の良いカーン。昔は小沢正志といい、日本プロレス時代からのレスラー。その前座時代にもらったサインを披露すると、ここでも驚いてくれました。(笑)

何しろ、新日本プロレス時代に海外修行でNYに行き、あのアンドレ・ザ・ジャイアントの足を折った大ヒールとして、全米でアンドレとの遺恨試合を繰り広げ、どこもかしこもフルハウスにした人です。日本よりもアメリカで、カブキと同じくスーパースターの地位に登り詰めた人です。

お店の料理はボリュームがあり、だし巻も美味しいです。ただ僕は満腹になり、一人前も食べきれません。歳を取ると食べる量が減りますね。我が家の高校生なんかいくらでも食べますから・・・。僕も昔はそうでした。

お客さんからの「タッグパートナーで上手かったレスラーは誰?」という質問に、「タッグは嫌い。だって俺パートナーに気を使うからダメなんだよ。俺はシングル向き。」と照れくさそうに苦笑いしながら話していました。

しかし、カーンはいろいろあったのは事実ですが、事実を勘違いしてそれを真実だと思い込む癖がある。その1つがジャパンプロレス~全日本プロレスへの移籍にまつわるお金の問題。長州の移籍金がいくらだの、推測でモノを言い過ぎる。「長州の悪口は本では書けないから、いつでも店に聞きに来てよ」とことあるごとに発言し、それが多くの出版物に掲載されています。

この日も、「長州の話を聞きたいなら、また来てよ」と言われた時、このお店には来ることは無い・・僕はそう思いました。こういう無責任なところが、結局誰も彼の引退を止めなかった原因だと思います。気が小さいだけに、いつかトラブルを起こしそうな気がします。

今回は小沢ではなく、キラー・カーンのサインを頂戴しました。

昨年12月にご紹介した「カブキ」のお店も、このお店も素晴らしいのは、彼らがいつもお店に出ているということ!人に任せてオーナーをしているだけではありません。いつでも彼らに会えるということです。よくある、「このお店は誰々が経営しているのよ・・」というお店ではありません。ファンの方はぜひどうぞ!