青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

ブックファースト渋谷店が懐かしい!

2024-05-19 | 昭和・思い出は色褪せない

東京に住んでいた時、本屋さんと言えば神田神保町に行くのが楽しかった。行けば行くほどに懐かしい古本や、「こんな本があったのか!」という素敵な本を見つけてしまい、いつも帰りには財布が空っぽになってしまいました。

でも新刊などを買う時は、渋谷のブックファーストを利用していました。大好きな西村フルーツパーラーの並びにあった大きな書店でした。大きな貫禄のある建物で、すぐに気に入りました。

そもそもブックファーストは1996年(平成8年)3月24日に、阪急電鉄直営の書店として、僕が通勤乗り換えに使っていた川西能勢口駅の改札内に1号店が開店しました。

この写真が1号店である、川西能勢口店ですが、今はもうありません。また同年12月11日には、阪急電鉄梅田駅構内の2階にあるJR大阪駅連絡通路にもブックファーストは開店し、お馴染みの店として利用していたものです。

時が建ち2000年代に入り、僕が東京での初日に所用で降り立ったのが渋谷駅。そこで目に留まったのがブックファースト渋谷店でした。

関西の書店が東京にある!と店内に入ると、地下では後に世間をお騒がせした女優の高樹沙耶さんがサイン会を開催していたのを覚えています。目の前で見る女優さんはさすがに綺麗でした。この店舗は1998年6月、東急百貨店本店の斜め向かいにオープン。渋谷駅周辺で最大の6フロア計約920坪の売り場を持つ大型書店として雑誌や専門書など約70万冊を取り扱っていましたが、残念なことに2007年10月14日に、ビルの建て替え工事に伴い閉店となりました。

しかし、驚いたのはその4日後、もともと「旭屋書店渋谷店」(2005年9月閉店)があった渋谷第一勧銀共同ビルの地下1階・地下2階に「渋谷文化村通り店」として電撃・移転オープンしたのです。

地下の為に店舗は地上からは分かりませんが、看板はマツキヨの上に!これは2009年の様子ですが、西村フルーツパーラーの横、マツモトキヨシの上にブックファーストの看板があります。

書店内部も綺麗でしたが2フロアに縮小されたことで在庫数も少なく、かなり物足りなさを感じ、ちょっと新刊を覗く程度の使い方になって、ここで書籍を購入することは明らかに減りました。

渋谷店が閉店してビルの工事が始まった時は、渋谷文化村通り店がオープンしていたのにも関わらず、年末の雰囲気とも相まって、とても寂しい気分になったものです。

その渋谷文化村通り店も、僕が東京を離れて大阪に戻った後の2017年6月に閉店したと友人から聞きました。スクランブル交差点前のスタバのあるビルにも書店はあり、小さくても不自由は感じないと友人も言っていました。

大型書店の撤退・規模縮小は全国どこでも後を絶たず、町の本屋さんも減少する一方です。ネットで購入するのはターゲットが決まっている時は確かに便利ですが、漠然と「何か面白そうな本が無いかな?」と本を探す時は、実店舗に足を運ぶに勝るものはありません。

写真は僕の息子が大学生時代にアルバイトをしていた、大阪・梅田店です。昔、御堂筋を挟んで建っていた旭屋書店のように、随分古い本の在庫もあったし専門書も置いてあったので重宝していたのですが、平成26年(2014年)2月に閉店してしまいました。今はブックファーストは阪急電車の駅周辺に広く展開しているので、雑誌や大手出版社の発行部数の多い新刊を購入するのに使っています。

専門書を探すには大阪茶屋町のジュンク堂。ネットでは「日本の古本屋」を時々。忙しくて大阪や神戸の大きな書店に行く暇も無い場合だけアマゾンを使います。僕は本が大好きで、電子書籍は1冊も購入どころか読んだこともありません。インターネットはPCで。スマホで文字を追うのは目が悪くなるだけではなく、いろんな意味で事故の元だと考えています。歩きスマホに運転しながらスマホ、絶対やめてもらいたい!

 


選挙もCMも “名前の連呼!”

2024-05-08 | 昭和・思い出は色褪せない

最近はTV番組をほとんど見なくなりましたが、見ていて思うのはコマーシャルが昔と随分変わったこと。オシャレで人気のCMと言えば、ウイスキーやタバコのCMが定番でしたが、今はそういうCMは流れていません。自動車のCMさえ見掛けない。スマホやゲームの宣伝ばかりです。

もう1つ昔と違うのは、最近は最後まで見ても何の宣伝なのか分からないコマーシャルが多い事。昔はとにかく会社名や商品名を連呼するCMが多く、50年以上経った今でも、忘れられない記憶に定着したCMソングも少なくなりません。「ロート、ロート、ロート、ロート製薬♪」や「明るいナショナル、みんな家中なんでもナショナル♪」「タケダ、タケダ、タケダ~♬」のタケダ製薬など、人気番組を一社提供してオープニングでこういう曲を流していたので、嫌でも記憶に残っています。

それと同じように名前をとにかく売り込むのが、選挙でした。

この写真は大阪府池田市五月丘の昭和38年(1963年)、市議・市長選の投票所付近の家族連れ。周囲は全てをかき消すように、候補者名のビラで一杯です。ところがこれ、当時の選挙制度上、何の問題もありませんでした。選挙になれば普通に目にする、今ではあり得ない光景です。

「とにかく名前を売り込む」ことが、当時は重視された時代でした。

 


音楽は生き残れるのか?~レコードもCDも何処へ?~

2024-05-02 | 昭和・思い出は色褪せない

音楽は生き残るのでしょうか?僕は最近「新譜」を買うことがほとんど無くなり、昔買ったお気に入りのレコードやCD、そしてSACDを、自分のそこそこに高級なオーディオ装置で、音楽を楽しむと言える音量で聴いています。音楽を聴くと、その曲を聴いていた頃の若かった自分の事は勿論、当時の事が脳裏に浮かんでは消えて行きます。やはり自宅でくつろいで、スピーカーからの空気の振動によって音楽を聴くのは楽しいし、音楽だけではなく、エンジニア達が工夫を凝らして作り上げた「音」そのものに、耳を傾けるのも楽しいものです。

僕が音楽CDを買わなくなったのは、お気に入りのアーティストが引退したり亡くなって、もう新作がリリースされないことも大きいのですが、最近の歌詞が聴き取りにくい(僕の耳が悪くなっていることも含め、歌い手の活舌が悪い。歌そのものが下手だから。)メロディラインが無い、単純な音楽が僕の趣味ではないからです。

でも、それだけが理由かと考えてみると、TVから音楽番組が消え去ってしまったことにも一因があると思います。新しい情報がまるで入って来なくなりました。誰が新作を発売するとか、誰が来日するとか、そういう情報に触れる機会も少なくなりました。FMでもトークが重視され、音楽を聴くこと重視から番組の方針が離れて行きました。

YouTubeで再生を稼いだり、サブスク等で音楽を販売しても、アーティスト達は利益をどれだけ得ることが出来るのでしょう?昔はコンサートはレコードを販売するための販売促進活動でした。しかし、いつの頃からか、CDを販売する為ではなく、逆に大きな器でのコンサート開催こそが大きな利益をもたらすように業界が変化しました。レコードやCDの売上枚数よりも、他のことで利益を上げるようになっていったのです。売上の軸が変化しました。その結果、街中のレコード屋さん、レンタル店が姿を消して壊滅状態となっています。

この浜田省吾のレコードが発売された時、作品そのものとは少し違った所で話題になりました。当時はレンタルレコード店が雨後の竹の子のように次々とオープンしていた頃で、これではレコードが売れなくなって、アーティストが食えなくなると大騒ぎになっていました。

このレコードの中で、浜田省吾がレンタルレコードに対する見解を、ファンに訴えたのです。

レンタルレコードの「黎紅堂」が勢いを増していた頃で、この後CDが登場し、レコードからレンタルCDにメディアが変更。同時にレンタルビデオやレンタルDVDが大流行し、TUTAYAが業界を統一してしまいました。(今はTUTAYAさえ姿を消して、Tポイントも消えてしまいました。)

レコードだって、学生などはそうそう月に何枚も購入できる訳でもなく、友人たちと交換してカセットに録音していたし、ラジオでエアチェックもしていましたから、レンタルレコード店が出来たからと言って、そんなにアーティストの収入が減るのだろうかと疑問に思ったものです。そもそも全国のレンタルレコード店が多くの枚数を仕入れます。

その後CDが登場すると、後を追って世の中を席巻したパソコンによって、簡単に複製を作ることが可能になり、メーカーは対抗してコピーガードを施し、CDをいつも購入している購買層から、それによる音質の劣化を危惧する大反対の声が沸き起こり、パッケージとしての音楽の販売方法が大きく揺らいで行きました。輸入CDが国内盤よりも遥かに安価に、タワレコやHMV等の大型店で販売されるようになったことも、音楽業界を揺るがしました。

そして紆余曲折があって現在、老若男女誰もが知っている時代を代表する曲というものは、世の中から消滅してしまったと言っても過言ではありません。これからも、人の心を揺さぶる名曲と呼ばれる音楽は、人間社会でどのように生き残って行くのでしょうか?除夜の鐘の音や公園で遊ぶ子供の声さえ、騒音だと言われる現在、どんな音楽がどんな形で人々に愛されて行くのでしょう。

 


三和銀行オンライン詐欺事件!

2024-05-01 | 昭和・思い出は色褪せない

最近は事件で犯人が海外逃亡となると、逃亡先は「ドバイ」が多いような気がしますが、昭和の時代に海外逃亡と言えば、フィリピンの「マニラ」でした・・と、個人的には記憶しています。事件の容疑者が出国していると言えば、マニラ。怖い所なんだろうと想像したものですが、アキノ氏が1983年8月にマニラの空港で、衆人環視の中射殺されたことで、マニラのイメージは僕の中で最悪になりました。その何年も後にマニラ出張に行くと、ほぼイメージ通り。更にそこで日本からの駐在員が現地妻を持ったりしているのを見て、自国へのイメージも悪くなりました。

オンライン詐欺は今では普通というか、聞いても驚かない犯罪ですが、最初に聞いた時は驚きましたし、世間でもかなり話題になりました。特に東京での事件ではなく、地元大阪のしかも僕がその前を何度も通る場所で起きた事件でしたから。

この写真は昭和56年(1981年)9月の、その事件「三和銀行オンライン詐欺事件」が起きた、三和銀行茨木支店です。

三和銀行茨木支店の女性預金係(当時32歳)が愛人と共謀し、茨木支店のオンライン端末を使って1億8,000万円を架空入金。現金5,000万円と保証小切手額面8,000万円を引き出しました。

この犯人の2人の名前、今でもフルネームで覚えています。僕と同じような60歳半ば以上の人なら、ほとんどの人が犯人の名前を記憶しているのではないでしょうか。それくらい、昔は大きな犯罪は世間を騒がしただけではなく、その記憶は風化しなかった。今は悪質な犯罪が次々と起こるので、いちいち覚えていられない・・・そんな気がします。

で、この女性が逃亡、潜伏の後、9月8日に警察に拘束されたのがフィリピン・マニラでした。同日、貢がれた男も逮捕されました。マニラのイメージがこの事件だけで、物凄く悪くなりました。

この事件によって僕の周囲の女性たちは一様に親から、「付き合う男には気を付けろ」と言われていました。また、数年前には当時この銀行に勤めていた為に、嫌な思いというか災難を被った関係者の話も聞きました。友人の知り合いが、当時ここに勤めていた2のです。事件から半世紀が過ぎても、まだ話題に上ることがある。何か問題を起こしたら、本当にどれだけの迷惑を周囲に掛けてしまうか。当事者で無くとも被害を被るのが、良くも悪くも日本社会です。

 


海外旅行 ~円安にもっと危機感を!

2024-04-27 | 昭和・思い出は色褪せない

円安が止まらない。マスコミは円安のメリット・・輸出が伸びる等と書いていますが、為替レートによって値段が安くなるからと言って、輸出品がそんなに伸びるのか?それほど魅力的な輸出品が数多くあるのか?そんなことよりも、我々一般人にとっては、何でもかんでも値上がりで、生活が脅かされる方が大きい。何十年も前に比べて給料も上がらないし、生活は苦しくなる一方です。

単純に円が安くなるということは、日本と言う国に対する諸外国からの評価が下がっているということ。更に言えば、日本の将来に明るさが見えないということです。それを現在のように放置していては、数年先には数年前に、我々日本人が後進国・発展途上国と呼んだ国々の方が豊かになる。そして苦し紛れに外国人労働力を求めた日本には、外国人スラムが出来、外国人犯罪が横行するようになってしまう。日本人は今が未来への最大の正念場であると分かっている人もいるだろうけれど、この流れを変える人間が皆無です。

写真は昭和62年(1987年)11月の大阪国際空港のロビーの様子です。円高メリットを満喫しようと海外へ出かける旅行者で賑わっていました。インバウンドで騒がしい空港ロビーとは様子が全く違いました。

昭和62年と言えば、景気が急速に好転し、いわゆるバブル景気が始まった時です。この年の日本人の出国者は前年比約131万人増の約683万人でした。

僕が若い時は1ドル360円から、250円、200円を切る円高時代となり、海外のいろいろな商品がどんどん安くなり、ガソリン代も下がり続け、生活が豊かになり続けました。円高によって生活が豊かになることをまさに実感しました。ここ数年、海外の品物が高く感じ、遂に円安が急激に進み始め、もう止まりそうにありません。何もかもが転がり落ちて行くようです。その証拠にお金の無い若者だけが結婚できなくなり、少子高齢化が進む。年収の良い20代の若者のほとんどは、僕が若かった時代と同じように結婚もしているし、恋愛が面倒などと言っていない事実をきちんと取り上げるべきです。

マスコミが創作する世の中の風景。もういい加減そういうものを見破るべきです。