青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

なんば東宝 ~南街会館を覚えていますか?

2022-02-28 | 昭和の映画館

今日は全国各地で今年最高の気温になるなど、こちら大阪でも温かい1日でした。梅もかなり楽しみましたし、明日からは3月「桃の節句」を目前にし、益々春近し。一方コロナ感染は止まるところを知らず、気分は浮かれることがありません。決算期、移動の時期を迎えますが、くれぐれも油断なくお身体ご自愛下さい。

「南街会館」と聞いて、すぐに話が通じる人が少なくなりました。今は「東宝南街ビル」と呼ばれて、「TOHOシネマズなんば」や「ユニクロ」等が入る複合ビルとして親しまれています。

 南街会館はそのビルが出来るまで、そこにあった映画館です。南街劇場・なんば東宝南街シネマ・南街スカラ座・南街文化劇場が入っていました。

写真は昭和40年の「なんば東宝」です。

昭和12年に東宝がミナミの興行拠点として南街映画劇場を建設、昭和13年1月オープンしたのを起源とする難波東宝。新興勢力で梅田を拠点とする東宝は、この大劇場でミナミの興行界に進出しました。南街劇場は宝塚歌劇の上演と洋画上映、なんば東宝は東宝封切館でした。

ちなみに南街劇場、梅田の北野劇場、道頓堀の大阪松竹座は、大阪・洋画の3大殿堂でした。

建物の老朽化が進んだため平成16年(2004年)、南街劇場で上映された「七人の侍」を最後に50年の歴史に幕を閉じています。

南街会館は歴史があり、それ以前にこの場所で明治30年にシネマトグラフが、入場料を取って上映されており、これを以って南街会館が、日本の映画興行発祥の地とされています。そのことに感銘をおぼえた阪急電車や東宝の創業者、小林一三は記念碑を残しており、TOHOシネマズとなった現在も、1階のTOHOシネマズ直通エレベーターの右側の壁にそれは埋め込まれています。


富国生命ビル ~大阪・ド真中の変遷史

2022-02-27 | 昭和・懐かしい大阪の風景

ここは紛れもない大阪・梅田のド真ん中の地点です。左に阪急百貨店、正面に富国生命ビル、右に曽根崎警察署を見ることが出来ます。全て、今もそこで機能していますが、ビルの外観は変わり、その周辺も大きく変わりました。

上は昭和42年(1967年)の景色。道の真ん中を大阪市のトローリーバスが走っています。昭和28年に開業し、主に市内周縁部を走りました。最初の路線は大阪駅前~淀川区・神崎橋間で、写真の車両も「神崎橋」の方向幕を出しており、梅田の阪急前を大阪駅方向に進んでいるところです。トローリーバスは昭和45年に全廃されました。

こちらは翌年・昭和43年頃(1968年)で、自動車がどんどん増えている時だったそうです。そして右側の曽根崎警察署は、「東洋一の警察署」と呼ばれていました。その理由は、鉄筋コンクリート5階建ての「スクラッチクリンカータイル張り」。斬新な外観と構造が、当時としては珍しかったので「東洋一の警察署」と言われ、見物人が後を絶たなかったそうです。しかし、地盤地下で庁舎が傾き、現在に至るまでに何度か建て替えられています。

こちらは2005年頃。曽根崎警察も近代的になり、梅田パルビルには長らく「プロミス」の看板がありました。世の中で「サラ金地獄」等と言われても、看板は落ちそうで落ちないデザインの通り鎮座していました。

梅田パルビルには上から下まで、上新電機のディスクピアが入っていて、1階がカメラ、2階から上がCDやレーザーディスクを経てDVD売り場になっていました。90年代、この梅田界隈で輸入CDを最も取り揃えていたのは、ここだったと言えます。カントリーミュージックなどの品数も本当に豊富でした。

横断歩道を隔て南側には火事で焼失した喫茶店「アメリカン」があり、その向かいには映画館「梅田グランド」と「梅田花月」が。お初天神通りに入ると、昭和~平成には「養老の滝」「本陣」「八刀伝」「天狗」等、時代と共にいろんな居酒屋が賑わいました。

そして現在は、阪急百貨店も富国生命ビルも新しく建て替わり、こういう光景になりました。富国生命ビルは耐震性の問題から2008年に建て替えが進められ、2010年に竣工。特徴的なのは森の大樹をイメージしたという、地上に近づくにつれ面積が大きくなっていく下層部の複雑な構造です。さらにガラス面の複雑な光の反射を利用して、森の大樹の動きを演出しています。近くに行き、下から見上げると、まさに大きな樹に見えるから不思議です。

いつもビルが建て替わる度に、これが永遠に続くかのように思うのですが、次に大きく変わる景色を見るのは僕ではなく、次の世代の人々なのでしょう・・・。


懐かしい“コーヒーカップの乗り物” ~宝塚ファミリーランド

2022-02-26 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

僕にとっての子供の頃の遊園地と言えば、「宝塚ファミリーランド」と「エキスポランド」が東西の横綱でした。

今では見なくなった、こんな乗り物がありました。地面の上を回転する同じようなデザインのモノも、古い映画の中などで見ることがありますが、こちらは水上ボートです。

昭和40年(1965年)頃の「宝塚ファミリーランド」の写真ですが、東洋一と言われた大温室(奥の円形の建物)と、ウォーターワールドに浮かぶコーヒーカップ型の水上ボートが人気で、家族連れのお客で賑わっていました。

ボートと言えば、白鳥の型のものもありますが、昭和40年代はコーヒーカップが人気。街中の公園には、同じように座って回る、地球の型の遊具がありましたね。

宝塚ファミリーランドは、明治44年に「宝塚新温泉」が開業し、翌年「宝塚新温泉パラダイス」として開場しました。

昭和40年代になると、大浴場を備えた「宝塚大温泉」があり、北側に動植物園と遊園地、園内西側には戦前から続く動植物園がありました。他にも「宝塚昆虫館」や創業者小林一三の生家、世界各国の民族衣装を着た人形を展示していた「宝塚大人形館」、阪急電鉄の実物車両や鉄道模型などを展示する「電車館」、日本庭園もありました。

2003年8月31日をもって完全に営業を終え、90年以上もの歴史に幕を閉じましたが、同じエリアにあった「宝塚歌劇」で有名な「宝塚大劇場」は、今なお人気を集めています。


千日前 ~流行の発祥地!

2022-02-25 | 昭和・懐かしい大阪の風景

かつて千日前は、流行の発祥地でした。どんなモノがここから誕生したのでしょう?

1つは「アルサロ」。正式にはアルバイト・サロンと言いましたが、アルサロの第1号は、この千日前でした。アルサロは、経験の浅い女性が素人のアルバイトという触れ込みで、客の飲食の相手をする店のこと。

大劇の地下にあり、開館当時は入るために行列が出来たと聞きました。大阪人の新しいモノ好きは、昔からです。写真は昭和60年(1985年)撮影。

アルサロが全国に広がって、未亡人サロン、ヤングサロン、ミニサロンと、次々と増殖蔓延しました。何かに似てると書いてしまえば不謹慎か?

もう1つは第1号ではありませんでしたが、宝塚の向こうをはって「少女歌劇、レビュー」が、千日前の大劇に本拠を置いていました。OSK(今は日本歌劇団)の「春の踊り」や「秋の踊り」は宝塚歌劇と並んで、2大歌劇と言われた時代もありました。現在はOSK日本歌劇団は、宝塚歌劇団、松竹歌劇団(SKD)と並び、3大少女歌劇と呼ばれることもあります。


今だから“旅行計画”を立てる?

2022-02-24 | 本は友達・読書も大切です!
ちょっと面白い本を買いました。
 
 
地球の歩き方 ムー ~異世界(パラレルワールド)の歩き方❗️
 
コロナ禍でどこにも行けない。特に海外旅行には今暫くは行くことが出来ない。ならば、世界中のことを面白おかしく下調べしておこうと思った矢先にこんな本を見つけました。
 
僕の年代の人ならまず知っている「地球の歩き方」と「ムー」。共に1979年創刊のロングセラーブランドがスペシャルコラボをしました。世界中に残る謎と不思議に満ちたスポットの数々。諸説あるなかで、地球の歩き方、ムー、両方の視点から各スポットの神秘にせまるパラレルワールド(同時並行世界)の歩き方。何を信じるかはアナタ次第。想像力を無限大に、世界を旅して自分の目で真実を確かめてください!
 
 
昔から伝説や遺跡に興味があった僕。これまで生きて来た間に何か所かは実際に足を運びました。友人の1人は新婚旅行で「モアイ」を見にイースター島に行きました。
 
旅行と伝説が好きな人には最高のコラボ本です。400ページ以上の分厚さと情報量、フルカラー!謎の古代遺跡やオーパーツ、UFO、UMAなど、一般論から奇想天外な説まで、眠れなくなるほど面白い世界の不思議が満載。アマゾンでは入荷未定の売れ行きです。お近くの書店でどうぞ。