青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

あなたも「トム・クルーズ」になれる!

2020-03-29 | 今を考える

2001年トム・クルーズが、映画「バニラスカイ」で、大金を使ってタイムズ・スクエアをシャットアウトして撮影したことが話題になりました。今は、お金を使わずとも、当時と看板は違いますが、誰でもトム・クルーズの気分を味わうことが出来ます。

上が映画「バニラスカイ」、下が昨日の実際の風景です。

同じように、ちょっと早起きして始発電車に乗れば、大阪の真中でも、京都でも、一生で一回きりの写真をあなたも撮ることが出来るかも・・・。不謹慎とは言わず、マナーというか節度を持った楽しみ方は「アリ」??


FM STATION マイサウンドグラフィティ

2020-03-27 | 昭和・思い出は色褪せない

昔は、希望の大学に現役合格できず、高校卒業後、浪人していた学生は今よりも遥かに多かった。浪人していた僕は、朝は7~8時には起きていました。勉強だけすればいいのではなく、大学の入学金も授業料も貯めないといけなかったからです。

公立大学に行くには5科目は負担が多く、僕自身私学に行きたかった。しかし、我が家にはお金が無く、行きたいなら自分のお金で行って欲しいと言われたので、勉強だけではなくお金を貯める必要がありました。朝は8:30に現場仕事のバイトの為に集合場所へ。そこから車で現場入り。遠い場所なら往復の時間も時給の対象だったので、喜びました。バイトから帰ると夜は夜中の4~5時まで勉強。大学入学後に部活をするために、体力を落とさない為のトレーニングも忘れませんでした。

その当時の僕の1番の友人はFM放送。現場にもラジカセを持ち込み、お気に入りの番組を聴いたものです。その中でもお気に入りだったのが、FM大阪の「FM STATION マイサウンドグラフィティ」でした。当時、週刊FM、FM fan、レコパルに続き刊行されたFM STATIONが提供の番組で、英語DJと、新譜が1枚(大抵1曲放送時間の都合でカットされる)聴くことが出来ました。

この放送が、深夜にピッタリとはまり、僕の気持ちを和らげてくれたものです。特にこの録音の5分過ぎに聴くことが出来る、番組のエンディングテーマ曲、クインシー・ジョーンズのアルバム「愛のコリーダ」収録の「ヴェラス」が大好きでした。トゥーツ・シールマンスのハーモニカを知ったのは、この曲です。今もLPで聴いて、苦しかった時代を懐かしんでいます。



特に息が白くなる受験前の1月末の夜中の3時(ヤンリクが終わった後にスタート。)を思い出して「ヴェラス」を聴くと、まるで昨日のことのようです。皆さんも思い出のラジオ番組、曲があったと思います。

アルバム「愛のコリーダ」は、「ヴェラス」だけではなく名曲のつまった、80年代を代表するジャズ・フュージョンの名盤です。
 
 

ケニー・ロジャース 安らかに・・・

2020-03-22 | 青春の音盤

カントリー歌手のケニー・ロジャースが、20日米ジョージア州の自宅で亡くなりました。81歳。とても悲しいです。



50年代にデビュー。1977年「ルシール」、78年には「ザ・ギャンブラー」でグラミー賞を連続受賞。80年にはライオネル・リッチーの作品「レイディー」を歌い、これが全米ヒットチャート1位を記録し、押しも押されぬ大物になりました。僕が買った初めてのケニーのレコードが、この「レイディー」を収録したレコードでした。今夜はこれを聴いています。

85年にはアフリカの飢餓と貧困の撲滅キャンペーン「USAフォー・アフリカ」に参画、「ウイ・アー・ザ・ワールド」を歌う1人でしたが(4人目)、「これ誰?」と日本人に言われもしました。カントリーの歌手は大物でも、なかなか日本での一般的な認知度は低かったようです。

同年10月5日、大阪城ホールでの来日コンサートに行きましたが、惜し気もなくヒット曲を次から次へと歌ってくれた素晴らしいステージは、今も忘れられません。(S席 5000円でした。因みに同じ月のクラプトンが4500円。)

安らかに・・・合掌


エアチェック ~FM STATIONの時代

2020-03-20 | 昭和・思い出は色褪せない

かつてFM雑誌と言えば、「FM fan」、隔週発売なのに「週刊FM」、そして「FMレコパル」という3誌が競い合っていました。その番組表をチェックし、買えないけれど聴きたい曲を調べ、「エアチェック」(今は死語となった和製英語。知らない人も多いと思います。)することが、日々の楽しみの1つだった時代がありました。

僕は70年代は記事で読ませる「FM fan」と、初心者向けのオーディオ記事が多かった「FMレコパル」を、毎号見比べて購入していました。

80年代のある日、そこに4番目の雑誌が競争に参入して来ました。「FM STATION」です。FM STATIONとは、FM放送局の英語ですが、当時はそういう呼び方も一般的ではありませんでした。サイズも他誌より大きな、A4より左右共に大きな変形A4。(他誌は全てB5)変わった雑誌だと思いましたし、内容も他誌のように音楽やステレオ機器に詳しいこともなく、一言で言えば「歌謡曲」まで大きく取り上げる、ミーハー雑誌に見えました。

ところが番組表の文字が大きく見やすいし、中綴じなので開いてそのまま置いておけて使いやすい。それで買い始めたら、表紙が「鈴木英人」さんの風景イラストになり、これが毎号鮮やか。しかも、その絵のカセットレーベルが付録に付いたので、僕はこの本を買い続けました。

FM雑誌の購入を止めたのは、FM放送自体、お喋りが多くなり、事前に番組でどんな曲が放送されるかが分からなくなり、しかも頭から終わりまで曲を流すことが無くなって来たからです。録音して曲をコレクションするには不向きになって行きました。それで、FMは卒業。レンタルレコード屋の台頭と時期が丁度重なります。

FM雑誌は何冊か今も持っているのですが、懐かしい。そのイラストレーベルを使った当時のカセットテープも、実家から出て来ました。こういう日々のささやかな楽しみも、昔は多かったと思います。今はもう、僕自身がいろいろなものへの興味を失ったのか、世の中が画一的で面白くないのか・・日々の楽しみがすっかり少なくなりました。皆さんは日々のちょっとした楽しみ、ありますか?

 

ロック喫茶 ビートルズ / 大阪・ミナミ

2020-03-11 | 昭和の喫茶店

僕が大学生くらいまでは、「ロック喫茶」というジャンルの喫茶店がありました。恐らく僕らが最後の世代だったと思います。今では、ネットで調べても写真一枚も出て来ません。

キタでは阪急ファイブの向かいに「キューピット」という名前のロック喫茶がありました。天井から数台モニターを吊り下げ、ロックのプロモーションビデオを流していました。

ミナミでは、このマッチが残っているように、「ビートルズ」というロック喫茶がありました。こちらは地下にある薄暗いお店で、トンネルのような作りの店。1番奥に大型のプロジェクターが設置してあり、プロモーションビデオを流していました。こちらは珈琲1杯で1曲リクエストが出来ました。昼はハードロック、夜はソウルっぽい音楽を売りにしていました。コーヒーは1杯300円で、2時間が原則。(あくまで原則)年中無休で、午前11時から午後11時まで営業。

テーブルにはガラス板。テーブルとの間に雑誌から切り抜いたロックミュージシャンの写真が。プロジェクターには「レッドツェッペリン」や「レインボー」のライブが映し出されていました。ハードロックがメインで、僕などはストーンズをリクエストするのが精一杯で、「ビートルズ」という名の店なのに、ビートルズが流れない。(笑)
 
そして、これだけは言っておきたい。僕以外のお客って、みんな不良たちばかりでした。髪型がそもそも変だし、絶対に未成年なのにタバコを吸っている。でも、お金がないから、珈琲1杯でも何時間も粘る。1度、そもそも店内はロック音楽でウルサイのですが、更に大声で喋っている高校生たちがタバコをスパスパと騒々しいので、「未成年は吸わんとけ」と、柔道部の先輩が注意したらコップの水をぶっかけて来た。僕は身を挺して先輩に水が掛からないようにして、4人組を外につまみ出して。後は想像にお任せします。(笑)
 
80年代に入り、「ベスト・ヒットUSA」の放送がスタート、こういうロック喫茶でも、その録画が流されるようになり、次いでスタートした「MTV」によって、週末に約4時間(金曜夜11:30~3:00)もロックの最新プロモが家庭でビデオ録画出来るようになるに至り、ロック喫茶は姿を消しました。
 
新御堂沿いのオシャレな喫茶店では、ジュークBOXのビデオ版を設置して、100円で1曲プロモーションビデオを観ることが出来ましたし、「サンタモニカ」等では、字幕は無いけれどビデオを輸入し、「フラッシュダンス」や「トップガン」を店内で流して集客していました。まだまだ著作権がゆるい時代でした。
 
明るいアメリカンなお店の時代の到来と共に、暗い不良のロック喫茶が消えていくのは自然の成り行きだったのでしょう。ここに掲載した地図は1975年当時のものです。あなたにとって懐かしいものが載っているといいですね。