青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

東京1,337人!この恐怖の始まりを止めろ!

2020-12-31 | 今を考える

ウレタンマスク・布製マスクを今すぐ捨てて、不織布マスク着用を!

何の役にも立たないマウスシールドをTVで見せて、人の気持ちを緩ませないで!

日本が欧米のような地獄を見るか見ないで済むかは、今が分岐点です!

東京都できょう確認された新型コロナウイルスの新たな感染者は1337人!国内の新規感染者は31日午後6時時点で、初めて4千人を超えて4,188人となり、過去最多を更新しました。

今、いわゆる掛かりつけの町の病院は、休みに入りました。年末年始の休暇に入る前と今では、PCR検査数は減っています!にも拘わらず、日に日に新規感染者数が増加しているということは、実際にはもっと爆発的に感染者が増大しているということです。こんなブログで恐怖を煽っているのではなく、仕事始めの後、1月に入って暫くしたら、一体どういう事態になるかを考えないといけない事態です。

多くは望まない。自分と自分の家族、身の回りの人を守る為に、出来ることをしましょう。外に出歩くことを止める。

そして、不織布マスクをつけることです!

ウレタンマスク・布製マスクでは何も着けていないのと同じです。

それらは不織布マスクに比べて、性能が遥かに劣ります。また不織布マスクでも、効果があるものと無いものに分れます。国産の大手メーカーが発売している「MADE IN JAPAN」と明示され、かつ、全国マスク工業会会員のマークが入ったものを着用しましょう。

下記データを見れば、その理由は一目瞭然です。

2021年8月現在、ウレタン&布マスクのデルタ株を防ぐ効果は、0%、全く無いと考えられています。下の表の不織布マスク以外の数値は一体何だったのでしょう?マスクが不足していた時のものだから、あるいはマスクメーカー(大手企業)に忖度して、こういう数字にしていたのでしょうか?

ウレタンマスクを付けている人が物凄く多いのですが、その人たちは何も着けていないのと同じです。こんなに爆発的に感染拡大しているのが何よりの証拠です。

くしゃみをした時の飛沫の飛び散り方を見て下さい。不織布マスクでは、マスクの外に飛び散っていませんが、ウレタンマスクでは、目の前の人に飛沫が飛び散っています。

マスクの画像を見ても分かります。不織布は隙間なくウイルスの出入りを難しくしています。ウレタンは穴だらけ。

極論を言えば、マスクは効果があるものほど息苦しく、効果が無いものほど息がし易い。だから夏場にウレタンマスクに走った人は多かったでしょうが、これだけ寒くなって来れば、ぜひ不織布マスクを使って欲しい。

富岳のデータでも、同じことが立証されています。

こうしたことを大々的にマスコミが何度も繰り返して言わないのは、ウレタンや布マスクを、TVなどのスポンサー企業が作っているからでしょう。人の命よりスポンサーを優先するマスコミに、人の命より経済を優先するなと政府批判をする資格はありません。僕たちは感染防止のために何をすればよいかを、まず第一に自分で考えなければなりません。

そもそもTVにおいて外で活動するタレントやレポーターが口元に、マスクのように付けているマウスシールドなど、何の効果も無いことがハッキリしているのに、ああいうものがTVに出る事が、人を油断させるのです。

また、不織布マスクであっても、日本製のきちんとした品質の製品と、お菓子屋の店頭などで叩き売られている粗悪な品質の中国製品では、効果が全く違いますの購入には注意が必要です。

①フィルタ捕集効果試験であるVFE試験及びPFE試験で99%カットと書かれているか?

②全国マスク工業会会員のマークが入っているか?

この2つを明記している不織布マスクを全員が使うことで、感染拡大防止に繋がります。いつまでも洗い回し、使い回した効果の無いマスクを着用するのは、自分の健康を守れないだけではなく、人に簡単に感染させてしまいます。マスクでオシャレなど考えず、感染防止を第一に考えてマスクを着用しましょう。


初めて買った “僕の” ステレオ

2020-12-30 | 昭和・思い出は色褪せない

今の若い人の中には、Youtubeから無料でダウンロードした音をイヤフォンで聴いて、趣味が音楽鑑賞だと言う人がいます。それを履歴書に書く。僕は大学での就活指導で、それは趣味ではなく、「暇つぶし」だと教えています。

僕らの若い時は、ステレオでお気に入りのレコードを友人たちと聴くのが普通で、アルバイトで貯めたお金で、少しでも良いオーディオ装置を求めたものでした。僕は最高で400万円くらいのシステムを組んだ時代がありましたが、今は140万円ほどのシステムで、レコードを楽しんでいます。レコードは聴き疲れもなく、心地よく耳に馴染みます。

「音楽エンジニア」になると言い、東京に出て夢を果たした友人がいます。高2の時に、「そんなにお金をオーディオに費やすのはなぜ?」という僕の質問に、彼は「俺は原音を追及してる」と答えてくれたのを、今もずっと覚えています。彼は数々の功績を残し、夢を実現しました。

学生時代ヤマハでアルバイト、ヤマハのポプコンで全国を回り、TUBEやzardのレコーディングやコンサートの音響を担当をする会社を興し、プロミュージシャンを目指すアマチュアのための学校の講師も務めた別の友人も、同じようなことを言っていました。

僕は難しいことは分かりませんが、目の前で歌っているかのようなボーカルの音を求めています。毎日レコード1枚を聴き、音楽を楽しみながら、同時にその時間を英語の歌詞を聴き取る訓練としています。ゆったりとリラックスできる時間は大切です。

いつから音楽は一人で引き籠るかのように聴くものになったのでしょう?真逆では、大勢のパーテイのBGMとして、とにかく一晩中流すだけの為に、ラップが生まれました。僕にとっては、音楽はゆったり友人と楽しむもの。一人で聴く時代になってしまったから、時代を代表するような曲、子供から大人まで知っている曲が失われたと考えています。今では僕らが「恋の季節」や「ブルーライト横浜」を歌った時のように、大人が「どこで覚えたの、やめさない」と子供を注意する光景は見ることがあまりありません。

写真は僕が高校の時、アルバイトのお金で頭金を貯め、ローンを組んで買ったステレオ(テレビは抜き)です。

総額で20万少し。カセットデッキだけは、このセットとは別にソニーのものを選びました。性能の割には高額でしたが、夜中に光るイルミネーションや、受験勉強をしながら聴いた「あの時のサウンド」は、今も忘れることが出来ません。みんながいろんなステレオを好みで買い求め、グレードアップして、自慢のオーディオシステムを構築したものです。

オーディオはお金をつぎ込むと、物凄く心地の良い音楽を聴かせてくれます。イヤフォンで配信やダウンロードした音を聴くのとは、全く違う体験です。安くても自分のお気に入りのステレオを、家に置いて欲しいと思います。そして、音楽を誰かと共に共有して欲しい。それが「人生の温もり」を与えてくれます。


大掃除日和

2020-12-29 | 日記

年末年始を迎え、もう長期休暇に入られた方、そんなの関係のない忙しい方、今日で仕事納めの方。

誰にとっても自然は平等。こんな大掃除日和は今日だけです。明日からは冬将軍の襲来です。

全てを終えたネコは、のんびり日向ぼっこに興じて、豪邸で天下を獲った気分?

彼らはコロナは関係ないけれど、日々のエサ取りという大命題を抱えているんだろうな~。みんな大変です。


音楽ライフは、「MAC ff」で始まった!

2020-12-28 | こんな「モノ」ありました!

僕が音楽と出会うのに、ラジオは欠かせないものでした。そのラジオを聴くのに大活躍してくれたのが、ナショナルの「マックFF」というラジカセでした。当時としてはかなり高額だったと思います。(3万5000円くらい?)

それまでは、小さなトランジスタラジオを使って聴いていました。このマックFFは、AM放送、FM放送、短波放送の3種類の放送を聴くことが出来、しかもそれを聴きながらカセットテープに録音出来ました。内臓のトランシーバーみたいなものも付いていて、これで話すと、本体へ電波を飛ばすことも出来ました。

同じマックFFを近所の友人も持っていて、夜であればそれを使って話が出来ました。電話代が高く、家のリビングに置かれていた時代、子供同士が電話することなど認められていませんでしたから、これは重宝しました。(笑)また、ラジオ番組もどきを、これで近所に流していました。友人のFFが中継点になり、その先の友人のところまで電波が届く。ミニFM局の原理を小学校時代に既に体験していたのです。

レコードが高額で買えなかった僕は、これを使って、ラジオ放送から気に入った音楽を録音して収集することを始めました。またこのマックFFとテレビをプラグコードで繋いで、テレビ音声を録音することも出来ました。それ以前はテレビの前にテープレコーダーを置き、周囲の家族全員が咳払いもせずに静かにして録音!そういう時に限って、柱時計が鳴ったり、電話が鳴る。(笑)

小学生低学年の僕には紛れも無い宝物でした!このマックFFが我が家に来たのは、親父の決断でした。僕はそれまでこういうものを買って欲しいということを1度も言ったことが無かったので、なぜ親父が買ってきたのか、今でも謎です。マックFFは私がデンスケを購入するまで、休む日がありませんでした。


ダニー・ホッジさん死去

2020-12-27 | スポーツの話題
 
米国の元プロレスラー、ダニー・ホッジさんが25日に老衰により死去しました。88歳。
 
ホッジさんは56年のメルボルン五輪レスリング・フリー79キロ級で銀メダルを獲得。ボクシングでも58年に米国のアマチュア大会ゴールデングローブでヘビー級王者となり、59年にプロレスデビュー。60年には当時の世界最高峰団体NWAのジュニアヘビー級王座を獲得し、12年以上も保持しました。日本では「鳥人」、海外では「ダイナマイト」と呼ばれました。
 
僕は初めてプロレス生観戦をした昭和44年(1969年)12月2日の大阪府立体育会館で、ダニーホッジからサインを貰いました。目の前でリンゴを一瞬で握りつぶすのも見せてくれました。
 
そして、2014年5月31日に最後の来日をされた時には、その時のサインを持ってお会いしました。80を超えてもリンゴを握りつぶしたのを見た時は、驚きました。
 
 
ホッジと英語でペラペラと会話する、猪木さんの英語の流暢さにも驚いたのを覚えています。
 
 
写真はその最後の来日となった2014年の写真。80を超えてのこの迫力には驚きました。世界中の偉大なスポーツマン・ベスト10にも選ばれた人でした。合掌。