青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

懐かしの学園祭 in 神田共立講堂 ~太田裕美・なごみーず

2024-05-26 | 素晴らしかった興行・イベント

先月4月30日、入院中の歌手の太田裕美(69)が、病気の治療に専念するために年内の公演などを活動休止すると、所属事務所の公式サイトで発表。今年11月1日で「50周年」を迎える彼女には、本当に元気でカムバックして欲しい。発表された治療から脳腫瘍かと思いますが、以前には乳がんも。誰だって年齢を重ねると、身体にいろいろと出て来ても仕方がありません。1日も早いご回復を多くのファンが望んでいると思います。

僕は1974年11月1日に彼女が「雨だれ」でデビューして以来のファン。シングル、LPを全て買いましたが、もらったポスターを部屋には貼れない学生でした。あの年代、それを親に見られるのが恥ずかしかったからです。

レコードは買って聴くものの、昔は彼女のGOODS等そんなになく、「平凡」「明星」を買っているクラスの女子から切り抜きをもらいました。

これがその当時の物で、下敷きに入れていました。みんながそういうことをしていたので出来たものの、今考えると恥ずかしくなります。

初めてコンサートに行ったのは、1978年12月23日 「太田裕美・まごころこんさあとⅦ」で、会場は大阪厚生年金会館。次いで、

1980.12.22 太田裕美 まごころこんさあとⅨ 毎日ホール

1981.12.15 太田裕美 まごころこんさあとⅩ 毎日ホール 2500円

彼女は1982年音楽活動を休止して留学。1985年に結婚。その後は僕もレコードからCDに買い替えて時々聞く程度になりましたが、1996年より音楽活動を再開してからは、僕も社会人でしたのでお金に余裕もあり、仕事の合間にコンサートを楽しみました。

1999.6.4 太田裕美 25周年ライブ 新大阪メルパルクホール 5000円

1999.11.6 太田裕美 バナナホール 4000円

2000.6.12 太田裕美 弾き語りNIGHT 博品館劇場 5500円

2000.6.13太田裕美 弾き語りNIGHT 博品館劇場 5500円

2001.11.18 太田裕美 雨女の逆襲 IMPホール 5000円

2010.10.30 なごみーず 懐かしの学園祭 神田共立講堂 4200円

2010.12.17 なごみーず 三田市総合文化センター 4750円

2013.12.23 なごみーず 浄るりシアターin能勢 4500円

2014.1.11 太田裕美 まごころ歌い初め 神戸朝日ホール 5000円

2015.1.18 太田裕美 まごころ倍返し サンケイホールブリーゼ 5400円

2016.5.22 太田裕美 コンサート2016 ロームシアター京都 5400円

2016.9.22 君と歩いた青春 伊勢正三/イルカ/太田裕美/尾崎亜美/杉田二郎/ スペシャルゲスト:小椋佳/姫野達也/押尾コータロー  大阪城ホール 6500円

2017.4.29 太田裕美 コンサート2017 ロームシアター京都 6000円

2018.7.28 太田裕美 コンサート2018 京都劇場 5400円

主だったすぐに調べられるコンサート履歴だけでも、こんなにチケットの半券が出て来ました。(笑)ボイスアンドリズムの佐藤オバケ氏からコンサートの案内が来るたびに足を運んでいました。行くたびに自分も含めて年齢層が上がって行く観客。いつまでも変わらぬ良心的なお値段。いつも楽しいコンサートでした。特に2004年からは、太田、元かぐや姫の伊勢正三、元ガロの大野真澄の3人で、音楽ユニット「なごみーず」を組み「アコースティック・ナイト」コンサートを開催したのは白眉でした。

懐かしの学園祭 in 神田共立講堂。ナビゲーターにジ・アルフィーの坂崎幸之助を迎えたこの日は、特に楽しかった。

コンサート当日の2010年10月30日は台風まっただ中。公演開始が17時というのも珍しい。「雨女」太田裕美の本領発揮というか、「雨男」伊勢正三の本領発揮なのか、台風を呼ぶのはやり過ぎ。(笑)

会場に着く手前で撮った写真ですが、雨風が強く歩くのも撮影するのも傘が邪魔して一苦労でした。

神田共立講堂は僕にとっては初めての伝説の会場。ここで「ガロ」の解散コンサートが76年3月20日、「かぐや姫」が75年4月12日に行われており、この日の公演が「なごみーず」の解散コンサートになりませんように(笑)正やんもこの日「ここへくると解散したくなる神田共立。なごみーず159回目。いまどき夫婦でも6年もつのは大変」と、最初に挨拶していました。

雨の中大勢のファンが駆け付けました。年齢層、いつもの太田裕美のコンサートよりも更に高い。

01 地球はメリーゴーランド

02 海岸通

03 さらばシベリア鉄道

04 あなただけを

05 あの頃のまま

06 ワンパイントのラム酒に乾杯

07 青春のしおり

08 雨だれ

09 初恋

10 君と歩いた青春

11 雨の物語

12 青い夏

13 なごり雪

14 加茂の流れ

15 ロマンス

16 9月の雨

17 22才の別れ

18 木綿のハンカチーフ

ENC 01 学生街の喫茶店

ENC 02 ささやかなこの人生

ENC 03 ママはフォークシンガーだった

コンサートの最初に太田裕美が「台風の中ありがとうございます。東海道線は止まっているとのニュースが入ってて。誰もいないんじゃないかと。こんなに皆さんいらしてくれてありがとう。もしかしたらやってる間が一番凄いのかもしれないけど、終わったら・・なんか星空とか出てほしいですね~。無謀な注文かしら」と話していましたが、コンサート終了後は見事に雨は止んでいました。


関西初開催! “燃える闘魂・アントニオ猪木展” に急げ!

2023-11-25 | 素晴らしかった興行・イベント

関西初開催となるアントニオ猪木80th Anniversary「燃える闘魂・アントニオ猪木展」も、明日26日の日曜日午後5時までとなりました。場所は阪神百貨店1Fサウスエリです。入場料無料にしては見応えのある「猪木展」。マニアほどに楽しめるものが並んでいます。

猪木が使った「闘魂棒」は手に取ることが出来ますし、場内撮影も自由なのが嬉しいですね。

こんな変わったものもありました。

参議院議員当選証書。平成元年、猪木さんの選挙戦の応援をしていた頃のことを思い出しました。

こちらは力道山と猪木さんの書いた「闘魂」。並べて見るのは、さすがに初めて。

猪木さんが使っていた練習着も懐かしいですが、背後の東スポ撮影の写真がまた、気が利いていました。大阪での猪木の試合が数多くセレクトされていました。ゴッチ、パターソン、シン、アンドレ、バックランド、ハンセン・・全て今は無き「大阪府立体育会館」での試合のもの。僕は全試合会場で観戦していました。

1番見たかったのはこれ。モハメッド・アリ直筆の猪木さんへの手紙。この手紙の中でアリは、「私の人生でいろんな相手と戦ってきたが、あれだけ肉体的にも精神的にも強かったのは君だけだった」と猪木さんを称えています。

そして、何よりも興味深かったのは、追伸として書かれた部分です。

After this pleasant occasions we shall fight in your beautiful country after the 1st of the year.

「この素晴らしい式(アリの結婚式)が終わった後、私たちは、美しいあなたの国で闘おう」。

当時はいろいろと騒がれ、後に猪木ーアリの再戦は異種格闘技戦の為のアドバルーン等と揶揄されもしましたが、本人たちは少なくとも再戦を視野に入れていたことが分かります。手紙は猪木さん自身が木製の額に入れたままの状態で展示されています。これまで表舞台に出ることが無かった、世紀の一戦が真剣勝負であったことを明かすこの手紙こそ、猪木展のメインでした。


プロの凄さ、スーパースターの人格!

2022-12-15 | 素晴らしかった興行・イベント

「私のスイングを見てくれませんか?もっと上手くなりたいのです!」

世界のスーパースター、アーノルド・パーマーに、僕はとんでもないことを言いました。しかし、パーマーは顔色1つ変えず、「何が悩みなんだい?」と優しく微笑んでくれます。僕のハンディが当時7でしたが、背が低くて体重もないので飛距離が出ない悩みを話し、実は生まれて1度も誰からもレッスンを受けたことが無く、ジャック・ニクラウスの技術書「ゴルフ・マイ・ウエイ」から独学で学んだことを、恥ずかしながら伝えました。



すると、パーマーは少し席を外したのですが、何と彼のキャディがパーマーのバッグを担いで現れたのです。「それじゃあ、君のスイングを見せてもらおう!いいアドバイスができればいいんだけど」とパーマーが言ってくれたのです。同席していたゲイリー・プレイヤーも一緒にホテルの中庭に出て、世界最高のゴルファー2人の目の前でスイングすることになりました。パーマーに渡された7番アイアンは重く、長かった。憧れのスターの本物の愛用のクラブです。傷をつけないように緊張していると「折れないから心配しないで」。

何回かスイングしているうちに、パーマーとプレイヤーが相談を始め、「君は私と体格が近いから、私の方が的確なアドバイスを出来ると思うよ」とウインク。ゲイリー・プレイヤーは黒豹と異名を取った名選手ですが、身長は僕とさほど変わりません。

プレイヤーが僕の脹脛や腕の筋肉、身体の柔軟性をチェックし、「何のスポーツをしているんだい?ゴルフに必要な筋肉はたくさんついているけど、ゴルフだけじゃないね・・」と言われるので、「柔道です」というと、「体操選手かと思ったよ。バランスがいい。」と感心してくれました。そして僕の終生の宝になるスイングについてのアドバイスと、その練習方法をピンポイントで教えてくれたのです。3日後、打球場に飛び込んだ時、教えられたとおりに打つと、それまでとはまったく違う球筋で、遥か遠く300ヤードに届くショットが出ました。

ほんの少しの時間で僕のスイングの欠点を見抜き、僕が理解できるように何が悪いのかを教え、それが直るように具体的なアドバイスをピンポイントでしてくれた。そして、その結果、驚くほど僕の打球が変わった。世界の頂点に立つ人のアドバイスというものは、こんなに凄いのかというのを身も持って体験しました。プロとはこれほどまでに凄い!

更にパーマーは、いつの間にか私たちを取り囲んでいた大勢の日本人に向って言ったのです。「日本のファンはいつも私たちを応援してくれます。そのお礼にあなたの悩みにもアドバイスさせてもらいます」。世界最高の2人が、日本のファンに無料でレッスンしようというのです。例え何百万円払おうとも受けられないレッスンを無料でしてくれるというのです。ファンを大切にしてこそ、業界の隆盛はあるということを、世界の頂点に立つゴルファーたちが実践していました。

ところが誰一人として、手を上げる人がいなかった!全員が沈黙!

パーマーが「通訳してくれるかい」と言うので、「誰でもいいですよ。ビギナーの方でも私のように上手くなれます。」という彼の素敵なジョークを通訳したけれど、誰も手を上げません。プレイヤーが日本語で「あなた、こちらに来て下さい」と声をかけると、「私は結構です」と後ずさりする始末。その場にいたゴルフファンの人たち、みんな僕より年齢も上で、おそらく高額なクラブセットを持ち、会社でもそこそこの地位のある方たちの様でした。英語だって出来る人がいたと思います。しかし、こんなまたとないチャンスに誰も教えてもらおうとしなかった

「おいおいどうしたんだい?」とパーマーが苦笑いした時、「教えてくれますか?」と、前に出てきた年配の方がいました。思わず笑ってしまいました。杉原輝夫プロ。ジャンボ尾崎らと時代を築いた日本を代表するプロゴルファーです。このホテル、選手の宿舎になっていたようですね。

あんたらアホかいな。総理大臣になっても、こんな人らに教えてもらうことなんかできへんで。しかも金もいらんのに。生まれ変わってもこんなチャンスないで」との杉原選手のぼやきに、みんなは笑っていましたが、杉原の目は怒っていました。「何でこんなチャンスを捨てるんや」とブツブツ言いながら、パーマーの前に行き、「僕のスイング、こんな変なスイングなんですけど、何とかなりまへんやろか?」と、杉原がその場を収めました。リー・トレビノが「誰もあなたをプロなんて思わないから、2人でベガスに行って、億万長者相手に賭けゴルフで儲けよう」とジョーク。パーマー、プレイヤーもこのジョークに大笑いしました。

こんなすごい場所に居合わせながら、そのチャンスを手にした人は僕以外に誰もいなかったのです。僕は本当に驚きました。遠慮とか、度胸がないとかそういう問題ではなく、日本人には何かが欠けていると感じました。

この数時間後、明日に挙式を控えた従弟の家族と夕食を食べましたが、おめでとうの話もそこそこに話題はこの一件に。「お前は俺の式に来てくれたのか、パーマーに会いに来たのかどっちや?」と笑われてしまいました。幸運に恵まれた僕には、このレッスンの時の記憶はハッキリと覚えているのですが、兄貴の披露宴の記憶は今では失礼ながらあまり残っていません。(少し罪の意識がありますね。)

チャンスというものは、それを生かせば一生忘れないものを手に入れますが、逃した人は、その時は気が付かなくても、二度と取り返しのつかない不幸を体験しているのだと思います。

 


感激!アーノルド・パーマーとの対面!

2022-12-14 | 素晴らしかった興行・イベント

その出来事は1993年3月28日のことでした。僕が従弟の結婚式に招かれ、成田の日航ホテルに前日入りした時のことです。せっかく東京(成田は千葉なんですが、関東は全て東京と思っていました)に来たのだからと、東京に住む友人をホテルまで呼び出し、旧交を温めようとしていました。

待ち合わせロビーに向おうと、階下に降りるエレベーターに。扉が開き、正面にあった花屋さんに目がいった瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が身体中に!そのお店の前にウインドブレーカーを着て立っている人物の後姿を見ただけなのに、衝撃を受けてしまったのです。横に回り込んで顔を見ると、何と!ゴルフ界の王様、アーノルド・パーマーでした。(彼なくして、1970年代以降のゴルフ界は無かったでしょう。彼の人気がツアーを盛り上げ、TV放送が始まり、賞金が上がり、ゴルフ場が作られ、競技人口が爆発的に増加し、世界中でゴルフが愛されたのです。)



体格といい、どう見ても本物です。緊張感に耐えられなくなり、視線をそらした先にはゴルフのシニアツアーの大会のポスターが。開催日は・・・今!ポスターにはパーマー、リー・トレビノ、ゲイリー・プレイヤーの世界の3強の顔が…。心臓はバクバク!身体は硬直!ゴルフの生きる伝説、歴史が自分の目の前に立っている!決して周囲を威嚇するような雰囲気ではないのですが、自分の尊敬する人物だけに、その風格・威厳というものに圧倒されました。

当時60歳前後というのに熊のような腕。TVで見て想像していたより遥かに大きな体躯。でも表情は人の良さが滲み出ています。ほんの数秒でしたが足が震えて動かない。こんなチャンスは人生で二度とないと思っても、固まってしまっている自分。

パーマーも変な若者(当時は)が、自分の横にいるのに気が付いたのでしょう。何と彼の方から「どうしたんだい?」と言葉をかけてくれたのです。おかげでやっと自分の口が動いた!「ミスター・アーノルド・パーマー?」と言うのが精一杯の私に、「YES」という答えが返って来ました。

私は躊躇いもなく、「お食事ですか?」と質問。「そうだよ」と言う彼に、「ぜひご一緒させて頂けませんか?僕はあなたを1975年にTVで見て以来の大ファンです。あなたを見て、ゴルフを始めました」とお願いをしました。パーマーの熊のような大きな手で、私の背中を叩き、「OK!小雨の中の試合で身体が冷えているんだよ。」と言ってくれたのです。テーブルに向かい合って、パーマーはサンドイッチとコーヒーを。僕も同じものを注文しました。

私は迷惑も顧みず、1975年、学生時代にラワンの木材とかまぼこ板でパターを作り、自宅近くの田んぼでゴルフらしきものを始めたときから、今日までのゴルフ歴を語りました。パーマーは時々声を出して笑ってくれました。

そこへ今度はグランドスラマー、ゲイリー・プレイヤー選手が「楽しそうだね。私もいいかな?」と席につき、奇蹟のようなコーヒータイムを僕は過ごしたのです。そして言いたくても言えなかった一言が、ついに私の口から飛び出しました。

「僕のスイングを見てくれませんか?もっと上手くなりたいのです!」

 

アーノルド・パーマーがどれほど偉大で人気者だったかを示すエピソードは山ほどありますが、最近のゴルフファンはご存じないでしょう。僕の好きなエピソードを1つご紹介しましょう。1962年のコロニアル・ナショナル・インビテーションで、パーマーは18ホールのプレーオフを戦っていました。9番でグリーンを外し、リードを保つためには難しいアプローチが残りました。彼が打とうとした時、完全に沈黙していたギャラリーの中で小さな男の子が母親に話しかけたのです。パーマーはボールから離れ、その子を見つけ、にっこり笑った。他のギャラリーは、その母親を睨みつけ、「しーっ」とやった。パーマーが再びアドレスした時、ばつの悪い思いをした母親が男の子を叱りつけた。パーマーが打とうとした時、叱られた子供が泣き出した。パーマーはまたボールから離れ、あたりを見回してクスクス笑い出した。今度はパーマーの気分に合わせて、ギャラリーも一緒に笑った。

子供が静かになったので、パーマーはプレーを再開。ところが、ショットを打つ動作に入る前に、背後から息が詰まったような音と、助けを求めるくぐもった叫び声が彼には聞こえた。パーマーが振り向くと、さっきの男の子が顔を真っ赤にしている。困り切った母親が、男の子の口と鼻をがっちりと手で塞いでいたのです。パーマーはまたもあの有名な笑顔を浮かべて、歩み寄ってその子の頭を撫で、母親に向かって言った。「窒息死させないでね。そんなに大したことじゃないんだから。」ギャラリーはみんな声を上げて笑った。息が出来るようになった少年は静かになった。パーマーはボールの所に戻り、カップから数センチの所に見事に寄せてパーを取り、勝利に向かって進んだのです。


追悼・さようなら、オリビア・ニュートン・ジョン!

2022-08-09 | 素晴らしかった興行・イベント
オリビア・ニュートン・ジョンさんが亡くなられました。まだ73歳・・。本当に残念です。
 
僕が初めて彼女を見たのは、1976年12月3日、大阪フェスティバルホールでのコンサート。チケットは当時2,800円でした。その後来日コンサートのたびに足を運びました。最後になったのは2015年4月23日の所も同じ、大阪フェスティバルホールでのコンサート。チケットは10,000円と、安価に感じられた設定でした。とても元気で、声もまだまだ大丈夫だったのに・・。
 
 
1番印象に残っているのは、やはり大阪での初コンサートです。綺麗で同じ人間とは思えない容姿でした。歌が上手いのは当然ですが、ステージを歩き回る姿に、こんなに歩き回る?と驚きました。
 
このステージは、今でもレコードでなら聴くことが出来ます。
 
 
この日のセットリスト。学生の頃会場でコンサートを楽しみながら書き留めたものですので、間違いもあるかも知れませんが、懐かしい曲ばかりです。
 
1. Love Song
2. Let It Shine
3. Please Mr. Please
4. Feeling Too Good Today
5. Take Me Home, Country Roads
6. The Air That I Breathe
7. Don't Stop Believin'
8. Let Me Be There
9. Pony Ride
10. Never The Less / As Time Goes By
11. Love Is Alive
12. New Born Babe
13. Something Better To Do
14. Jolene
15. Have You Never Been Mellow
16. If You Love Me, Let Me Know
17. I Honestly Love You
 
心より故人のご冥福をお祈りいたします。