異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

良識ある自民党支持者の方へ:元自由民主党リベラル派・生き残り組の最後の訴え…憲法改悪をくい止めることができる都知事選

2016-07-30 16:26:23 | 都知事選 県知事選 市長選

永田町徒然草

季節イメージ
http://www.liberal-shirakawa.net/tsurezuregusa/index.php?itemid=1798より転載

 

憲法改悪をくい止めることができる都知事選 … 元自由民主党リベラル派・生き残り組の最後の訴え。

白川勝彦近影元自民 国家公安委員長 白川勝彦

16年07月30日  No.1856

都知事選も、あと1日となった。
今回の都知事選、最初は参議院選の争点隠しに使われた。参議院選投票日の4日後を告示日としたのも、極めて意図的だったと、私は思っている。そうしておけば、時間的余裕のないことは明白だった。官邸が最初考えていた都知事候補は、桜井前総務事務次官だったと思う。しかし、桜井擁立に失敗した場合に備え、官邸は小池百合子元防衛相を、できるだけ走らせておいたのだ

野党が都知事選でモタモタしていたので、官邸は、できれば増田寛也元総務大臣を擁立しようと動き出した。最初、安倍首相は、自分なら一本化できると考えていたのだろうが、途中からおかしくなってしまった。
“先出しジャンケン”で先行していた小池氏が、 Not Under Controll となったのだ。出馬の意向を示していた宇都宮健児元日弁連会長と小池・増田の三つ巴なら、小池氏の勝利は殆ど確実だった。

そこを見越して、告示日の2日前に“憲法改悪阻止”を掲げて、鳥越俊太郎氏が出馬を表明した。
野党4党は、これを歓迎した。宇都宮氏は、最終的に立候補を辞退した。自公候補が分裂している状態での、知名度の高い鳥越氏が野党統一候補となったならば、鳥越氏の勝算は十分にある。これが、今回の都知事選の政治的な構図である。

思わぬ展開となって焦ったのは、官邸であった。官邸の絶対的目標は、鳥越候補の“当選阻止”である。鳥越候補に当選されたのでは、参議院選の勝利が無に帰してしまう。台無しになってしまう。
安倍首相の政治力に、陰りが出てしまう。もう、小池候補でも増田候補でも、どちらでもよいのだ。とにかく鳥越候補だけは、絶対にダメなのだ。ちょうど2週間前の月曜日から、戦略が“選挙隠し”から“政府とマスコミの合作による、政敵を抹殺する行為”に変わった。

丸2週間、いろいろなことがあった。しかし、政府与党とマスコミの合作による“鳥越抹殺攻撃”は、一貫して続けられてきたそれは、私が“白色テロ”と表現するほど、常軌を逸したモノだった。それがいかに大変なことであるかは、それを経験した者でなければ理解できないだろう。しかし、鳥越候補はこれに堪えて闘ってきた。多くの良識ある人々が、鳥越候補を支え、闘ってきた。心からの敬意を表する。

そこで、さて、最終情勢は、どうなのだろうか。今日の各テレビ局の都知事選報道を詳細にみたが、直接的にも間接的にも、どこの局も確たる予想をしなかった。

たぶん、自信がないのだろう。ハッキリしているのは、「小池候補と鳥越候補が激しく競り合っている」ことだ。自公両党が“締め付けて”当選を図っている増田候補は、やはり苦戦している。私は自民党に長くいて、いろいろな選挙をやってきたが、そもそも、締め付けなんてできるものではない。

今回の都知事選ほど、国政上大きな意味をもつ選挙はない。
参議院選で改憲勢力が3分の2を占めて、憲法改正へと突き進みたい安倍首相の野望をくい止めることができるのが、鳥越候補の当選なのだ。

安倍首相を筆頭とする自民党の右翼反動が考えている国家観・憲法観は、明らかに反国民的なのである。そのことを身近で知っている元自由民主党リベラル派・生き残り組の白川勝彦の、心からの訴えである。

 

<関連>

安倍右翼内閣の本性を剥き出し。…『週刊文春』攻撃等は白色テロである ...

安倍首相は、もう狂っている。(元自民 国家公安委員長 白川勝彦)2015.09 ...

かつての自民党と現在の政権与党は同じ政党ではない(樋口陽一氏 ...

 

 

 


【動画】小池百合子の美しい政治家像~あなたの知らない小池百合子 華麗なる裏舞台/都知事候補で最も危険な人物は?

2016-07-30 15:43:19 | 都知事選 県知事選 市長選
2016/07/24 に公開

あなたの知らない小池百合子 華麗なる裏舞台

【動画】 小池百合子の美しい政治家像 都知事選スペシャル 


 

http://ameblo.jp/vita-sana/entry-12185544422.htmlより転載

★世の中の嘘を暴き真実を見つけたい☆

都知事候補で最も危険な人物

2016-07-30 11:56:43NEW !
テーマ:

 いよいよ明日は都知事選の投票日です。

 
主要3候補の中で、私が最も当選させたくないのは小池百合子です。
    
 彼女は「私は組織を持たない候補」だと言っていますが、彼女こそ組織に支えられた候補です。

組織とは似非右翼の日本会議、旧統一教会、ヘイト団体の在特会等。陰でカルトの創価も支えています。
    
 小池百合子は安倍の刺客です。その証拠に安部は一度も街宣で自党公認の増田候補を応援していません。自党公認ではない舛添前知事の時でさえ街宣で「この人しかいない!」と応援していたのを覚えています。
  

 叩けば埃まみれの小池百合子。彼女の子育て観も非常に危ういものがあります。
子を持つ親は小池に投じてはいけません。子供を戦争に送られるだけです。
    
日刊ゲンダイの記事を転載します。


http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/186573/2
 

 
言動を知るほど危うい 小池百合子氏の「子育て・教育論」
 2016年7月29日 ゲンダイ


  

 

 小池氏は、伝統的な子育てに回帰するため、まず親を教育すべしという「親学」に傾倒し、推進議連にも名を連ねていた。
   
 「親学は『発達障害やアスペルガー症候群、自閉症は親の愛情不足が原因で、伝統的子育てでは発生しない』という非科学的で偏った思考に染まり、障害者とその親への差別や誤解を招きかねないと、医学界からも批判を浴びています」(教育関係者)
   
  何を恐れたのか、小池氏は告示後、公式サイトの活動記録から、2012年5月11日に「親学」推進議連の勉強会に出席した事実を削除した。
   
  親学の提唱者は「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長で明星大教授の高橋史朗氏だ。小池氏は「つくる会」のシンパで、今度の都知事選でも「つくる会」の支持を受けている。小池氏自身、過去に何度も「戦後教育は自虐的」と発言。戦前回帰の改憲推進派「日本会議」の議員懇談会副幹事長や副会長を歴任してきたが、その経歴も公式サイトでは触れていない。
   
  こんな偏った思想の持ち主が東京都のトップに立てば、教育・保育現場を大混乱に陥れるだけだ。
  
小池氏は、伝統的な子育てに回帰するため、まず親を教育すべしという「親学」に傾倒し、推進議連にも名を連ねていた。
  
 「親学は『発達障害やアスペルガー症候群、自閉症は親の愛情不足が原因で、伝統的子育てでは発生しない』という非科学的で偏った思考に染まり、障害者とその親への差別や誤解を招きかねないと、医学界からも批判を浴びています」(教育関係者)
  
  何を恐れたのか、小池氏は告示後、公式サイトの活動記録から、2012年5月11日に「親学」推進議連の勉強会に出席した事実を削除した。
  
  親学の提唱者は「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長で明星大教授の高橋史朗氏だ。小池氏は「つくる会」のシンパで、今度の都知事選でも「つくる会」の支持を受けている。小池氏自身、過去に何度も「戦後教育は自虐的」と発言。戦前回帰の改憲推進派「日本会議」の議員懇談会副幹事長や副会長を歴任してきたが、その経歴も公式サイトでは触れていない。
 
  こんな偏った思想の持ち主が東京都のトップに立てば、教育・保育現場を大混乱に陥れるだけだ。


 

 小池百合子は似非右翼、改憲や日本の軍国化を進める日本会議・国会議員懇談会の副会長です。
 

 ジャンヌダルク気取りの小池ですが、仮面を剥げば危険極まりない人物です。間違っても小池だけは当選させてはなりません。

 

 *******************:

 

ウソをつくのも堂々としている、安倍首相にも勝るとも劣らない。

 

 

 


「もし障害児が生まれたら、殺してしまおう」そう思っていた男の子が障害児の父となって

2016-07-30 02:16:39 | 福祉 高齢 障がい

http://ameblo.jp/pastorswife/entry-12051972512.htmlより転載

☆牧師の妻です。☆【こころのブログ】

「もし障害児が生まれたら、殺してしまおう」そう思っていた男の子が障害児の父となって

2015-07-19 07:38:16

私の大学時代の先輩(男性)が、すっごく珍しくFacebookに投稿してたので見てみました。

そこには、「昨年(2002年)、娘さん(当時3歳)が『障害児』と診断を受けた」という文章と、その思いが綴られていました。

出典Photo:牧師の妻


その文章を読んで、これはFacebookで限られた人だけが読むだけではもったいないと思い、多くの人に読んで頂きたいと思いました。

自分の3人の子ども達は「障害児」とは診断されたことがない。だけど、どれだけ感謝を忘れ、不満や文句が心の中にあったことだろうと思い、恥ずかしく思いました。

子ども達の学校や子どもの小さな社会でさえ弱いものをいじめる、その変えがたい悲惨さや過酷な現実は、大人であればきっと誰もが思い当たるでしょう。

だけど大学時代の先輩は、その絶望的な暗黒のうちにとどまらなかった。彼を変えたものとは、いったい何だったのでしょうか?

以下は以前、その先輩が県の「心の輪」に投稿した「障害者」に対する思いが書かれた文章です。

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尊い存在

「もし障害児がうまれたら、殺してしまおう」小学5年生の時、固く決意した。

私は沖縄で生まれ育ったが、小学校3年生の時、大阪の推進校に転校した。、朝鮮、障害者などへの様々な差別に取り組む学校だ。

クラスにS君という知的障害児がいた。彼はポチャッとした体格で、虫や花の好きな心の優しい子供だった。普段、S君は仲良し学級に参加し、体育や図画工作の時は普通クラスに参加した。「このクラスは障害を持っているS君を温かく受け入れる良いクラス。」そう評価されていた。
しかし、事実は違った。S君はいじめを受けていた。

例えばS君が鼻くそをほじっていると僕らは面白がってそれを食べるように強要した。また、何か腹の立つことがあるとS君を殴った。殴られたS君は、男子の僕らに刃向かうことが出来ないので、女子に殴りかかった。騒ぎになり、先生が駆けつけるとみんなは口を揃えて言った。「S君が急に暴れ出したんです。」もちろん、S君は弁解できない。先生はS君を叱った。

ある日、図画工作の時間に僕らはS君のお腹をピンセットでつねった。S君は大声を出して怒った。そしてバケツに水を入れ、僕らにかけようとした。でも、みんなでS君を睨み付けた。怯えたS君は水の入ったバケツを自分の頭の上に持ち上げ、水をかぶり、頭の上からつま先まで水浸しになった。

そんな騒ぎになってようやく先生が来る。事情を聞く。悪いのはS君だとみな口を揃える。S君が怒られる。この繰り返しだった。

その学校は、推進校。差別のことを知らないわけではなく、むしろ他の学校より遙かにそのことを真摯に捉え、差別を根絶しようと取り組んでいる所である。

 
しかし、そこにあったのは「弱者による、より弱者へのいじめ」だった。この学校でこのような状況なら、他はどんなに悲惨か。社会はどんなに過酷か。

こうして私は「もし障害児がうまれたら、殺してしまおう。その子のために。」そう決意した。

そんな私に変化が訪れたのは、二つの出会いによる。

一つはある一人のクリスチャン。

その方のお子さんは、幼いときイスから落ちてしまい、頭を強打した。そしてそれ以後、目が見えなくなり、医者から一生話すことも出来ないだろうと宣告されてしまった。

私ならば「こんな世である。生きていくことは辛いに違いない。この子を殺して自分も死のう」そう考えたと思う。否、そうしたであろう。

ところが、その方はこう言った。「私はこれから、この子の目となり、口となって歩んでいきます。」

まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。こんな生き方が、こんな選択があるのかと思わされた。障害を持ったその子を一生かけて愛し、守っていこうというのだ。その親の愛は、氷のように冷たい私の心を溶かした。


もう一つの出会いは一つの詩。次のようにあった。

 「天国の特別の子ども エドナ・マシミラ/訳・大江 裕子

 天国がひらかれました。地球から、はるか遠くで……。

 『次の赤ちゃん誕生の時間ですよ』と天においでになる神様に向かって、天使たちが言いました。

 この子は、特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要でしょう。

この子の成長は、とてもゆっくりに見えるかも知れません。もしかして、一人前になれないかも知れません。

 だから、この子は、下界であう人々に特に気を付けてもらわなければならないのです。

 もしかして、この子の言うことは、なかなかわかってもらえないかも知れません。何かやっても、うまく行かないかも知れません。

 ですから私達はこの子がどこに生まれるのか注意深く選ばなければならないのです。

 この子の生涯が幸せなものとなるように、どうぞ神様、この子のために、すばらしい両親を探してあげて下さい。神様のために特別の任務を引き受けてくれるような両親を!

 
その二人は、すぐには気が付かないかも知れません。彼ら二人が自分たちのために求められている特別の役割を…。けれども、天から授けられたこの子によって、益々強い信仰と豊かな愛をひらくようになるでしょう。

やがて二人は、自分達に与えられた特別の神のおぼしめしを悟るようになるでしょう。


神から授けられた、この子を育てる事によって、柔和で穏やかなこの尊い授かりものこそ天から授かった特別の子どもである事を」

涙がこぼれた。これまでいかに思い違いをし、汚い心を持っていたか痛感した。 

彼らは邪魔者でも、迷惑な存在でもない。尊い存在なのだ。 

そして思うようになった。
「もし障害児がうまれてきても、その子とともに歩もう。その子を愛そう」

 昨年、長女が障害児と判定された。確かにショックもあったが、安らぎがあった。不思議なくらい落ち着いていた。


聖書に次の言葉がある。

 「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならない」弱い存在こそ尊いというのだ。


ある牧師がここからメッセージを語った。

「家庭の中に弱い存在がいると、その家庭は健全になります。本当に大切な事を考え、大事なものを見つめ、人と比較してではなく、その子をその子として見つめます。競争社会の今日において『ナンバー1』ではなく『オンリー1』としての価値を見いだすようになります。弱さの尊さを聖書は語っています。」

家庭に病気や障害を持った人がいると、何かのタタリとか、バチが当たったとか言われることもある。そこには心の奥底でその人を否定している思いがないだろうか。その人は悪しき存在なのだろうか?タタリやバチの結果なのだろうか?


確かに療育は重い。だがその人は、かけがえのない大切な存在であるはずだ。彼らこそ尊いという聖書の言葉に私は惹かれる。

障害を否定するのでもなく、また単に受け止めるだけでもなく、その存在こそ尊いと誇れる社会、そうなればと心から思う。
・・・
大学時代、共に子ども伝道をしたり聖書を学んでいた先輩は現在、沖縄県で牧師となっています。

 

上記文章は2002年のもので、当時3歳だった娘さんは、現在、特別支援学校の高校3年生になっているそうです。

 

 

 


【動画】「障害者に安楽死を」はナチスの優生思想そのもの・障害者団体の代表が社会の風潮に懸念を表明

2016-07-30 02:12:57 | 福祉 高齢 障がい

 意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/185143/より転載

記事  ビデオニュース・ドットコム

       2016年07月27日 22:13

「障害者に安楽死を」はナチスの優生思想そのもの・障害者団体の代表が社会の風潮に懸念を表明


 
 「障害者には生きる価値がないのか。」「この事件に同調者が出ることが心配だ。」

 
 障害者の人権を守る活動に尽力してきた日本障害者協議会の藤井克徳代表は、今回の障害者を狙い撃ちにした大量殺害事件について、「障害者の人権のためにわれわれが時間をかけて少しずつ積み上げてきたものが、(この事件で)音を立てて崩れていくのを目の当たりにしている思いだ」と、障害者の心の内を代弁する。

 神奈川県相模原市の障害者施設に刃物を持った男が侵入して、入所者19人が刺殺された事件では、殺傷された人数やその惨忍な手口などから、社会全体が大きな衝撃を受けている。しかし、特に実際に障害を持つ人々のショックは想像を絶するものがある。

 殺人未遂容疑などで逮捕された植松聖容疑者が、「障害者なんていなくなればいい」「障害者は生きていても意味がない」などといった考えに基づいて犯行を行っていたことが、報じられているからだ。

 あくまで報道された範囲のことしかわからないがと前置きをした上で藤井氏は、植松容疑者が重度の知的障害者は安楽死をさせるべきとの考えを表明していたことについて、「ナチスドイツの優生思想そのもので、恐ろしい」と、衝撃を露わにする。また、藤井氏の元には障害者や障害者団体の関係者らから、事件に対する不安を表明する連絡が多く集まっているという。

 また、自身も全盲の藤井氏は、一億総活躍などに代表される現代の風潮は、生産の場での活躍に大きな価値が置かれているため、逆に生産活動に従事できない人や効率の悪い人には価値がないという発想につながりかねないことが懸念されると言う。「今回の事件もそうした風潮と無関係とは言えないのではないか」と藤井氏は語る。

 この事件を受けて、障害者たちが最も懸念しているのは、障害者は安楽死させるべきだという植松容疑者の考え方に同調する人が出てくるのではないかということだと、藤井氏は言う。「障害者という弱者を排除して、もし障害者が社会からいなくなったらば、次は何が標的になるかを考えて欲しい。それがナチスドイツの苦い経験からの教訓だ」と藤井氏は指摘する。

 ナチスドイツは「T4作戦」として知られる障害者の安楽死政策で、1939年から1941年の2年足らずの間に20万人の障害者をガス室で処刑している。それがその後のユダヤ人大虐殺につながったことから、ドイツでは歴史的には障害者の抹殺がホロコーストの予行練習のように位置付けられているという。

 また、今回の相模原の事件の犠牲者の氏名が非公開とされている点についても、藤井氏は「障害者は普通の人たちとは別扱いされるのが当たり前」という差別的な発想につながることを懸念する。障害者は、障害者というグループに所属する前に、一人ひとりが個人として生きていることを考えてほしいと、藤井氏は言う。

 障害者を狙い撃ちにした惨忍な犯罪を障害者自身がどう受け止めているか、社会としてこれをどう受け止めていくべきかなどについて、障害者の人権のために尽力してきた藤井氏に、ビデオニュース・ドットコムの迫田朋子が聞いた。

(聞き手 迫田朋子(ビデオニュース・ドットコム))

 

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相模原の障害者施設殺傷事件
容疑者「ヒトラー思想降りた」 松聖容疑者(26)

今年2月中旬には言動が一変。衆院議長公邸に大量殺人を予告するような手紙を持参したのと同じころ、同僚に突然、「障害者は死んだ方がいい」「安楽死させるべきだ」などと話すようになった。
  園長らが2月19日に面接して障害者についての考えをただすと、「ずっと車いすに縛られて暮らすことが幸せなのか。周りを不幸にする。最近急にそう思うようになった」と説明した。園長が「ナチス・ドイツの考え方と同じだ」と指摘しても、「そう取られても構わない」と答え、「自分は正しい」と譲らなかった。
            (引用元:<相模原殺傷>容疑者2月に言動一変 障害者敵視、強める毎日新聞 7/28(木))

 

相模原の障害者施設殺傷事件で、植松聖容疑者(26)が緊急措置入院中の2月20日、「ヒトラー思想が2週間前に降りてきた」と話していたことが28日、相模原市への取材で分かった。「ヒトラー思想」の具体的な内容は話さなかった。
ナチス・ドイツは障害者を「生きるに値しない生命」と呼び、組織的に殺害したことで知られる。
                             (引用元:容疑者「ヒットラー思想降りた」 ロイター7/28(木))

 

 

「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」

 これらは基本的にナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツの政策のベースになった優生学的思想と同じものだ。

 ところが、恐ろしいことに、こうした差別的発想を、あたかもひとつの正論、合理性のある考えであるかのように容認してしまう、さらに言えば勇気ある正直な意見と喝采すら浴びせてしまう“排除の空気”が、明らかにいまの日本社会にはある。

 実際ネット上では、植松容疑者の主張に対しては「やったことは悪いけど、言ってることはわかる」「一理ある」「普段同じこと思ってる」「筋は通ってる」などという意見は決して少なくない。
                                     (Shoichiro IkenagaさんFBより

 

 

 

 


なぜ弱者を抹殺してはいけないのか? Yahoo!知恵袋の回答が秀逸すぎる 〔ViRATES 〕

2016-07-30 01:57:26 | 福祉 高齢 障がい

人間は、一人では生きられない.

ViRATES

なぜ弱者を抹殺してはいけないのか? Yahoo!知恵袋の回答が秀逸すぎる

2015/07/22

この世は所詮「弱肉強食」。

強き者だけが生き残り、弱き者は滅びる。

社会の残酷さをあらわした言葉ではあるが、果たしてそれが自然の摂理なのだろうか?

Yahoo!知恵袋に、弱肉強食がなぜ人間の社会では行われないのか? という質問があった。

 

弱者を抹殺する。

不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。

でも人間の社会では何故それが行われないのでしょうか?

文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。

ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか

 

質問があったのは2011年6月1日になるが、説得力のある回答なので、ご紹介させていただきたい。
 

え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません

弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません

虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています

***

自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です

個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです

種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)

 

回答者は、自然界は弱肉強食ではないと指摘。ウサギが繁栄し、トラが絶滅の危機に瀕していることを例に挙げる。

種レベルでは、「弱肉強食」ではなく、「適者生存」で成り立っているというのだ。

さらにこう続ける。

 

「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです

そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです

10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります

「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります

人間の生存戦略は、、、、「社会性」

 

生物それぞれに生存戦略がある。人間は「社会性」が戦略だという。

 

高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です

どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました

生物の生存戦略としては大成功でしょう

(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)

 

人間は、子孫の繁栄の可能性を最大化しているわけで、生存戦略として大成功している。

 

「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です

遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです

 

遺伝子に優劣はなく、あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」。

 

(中略)

アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです

その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです

だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです

我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです