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福島県南相馬市 法令の640倍の汚染地に戻される住民の悲痛 (女性自身2016.7.14)

2016-07-14 23:45:58 | 福島、原発

http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/disaster/24654より転載

福島県南相馬市 法令の640倍の汚染地に戻される住民の悲痛

投稿日: 2016年07月14日 06:00 JST

「ここは、居住制限区域だったのに、段階を踏まずに避難指示解除されたんです」

自宅前で、そう訴えるのは、7月12日に避難指示が解除された南相馬市小高区・川房(かわぶさ)地区の行政区長、佐藤定男さん(60)。

 

佐藤さんは現在、家族とともに宮城県内の借り上げ住宅に住んでいる。今回、福島第一原発事故の影響による避難指示が解除になるのは、福島県南相馬市の小高区と原町区の「避難指示解除準備区域」(年間被ばく量が20ミリシーベルトを下回る地域)と、小高区の居住制限区域(同20~50ミリシーベルトを越えるおそれがある地域)。避難指示が続くエリアでは、対象者が最多の計3516世帯、1万967人となる。

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(佐藤さん宅の裏には、地上1mで毎時2マイクロシーベルトを越える。)

小高区は、福島第一原発から20km圏内にあり、有名な祭礼のひとつ“相馬野馬追”が行われる町として知られている。この町は、太平洋を臨む沿岸部と、阿武隈山地に囲まれた山間部に分かれているのだが、空間の放射線量だけ見ると、相対的に山間部のほうが高い。佐藤さんの住居がある川房地区は、後者の山間部にあり、「帰還困難区域」(年間被ばく量が50ミリシーベルトを超えるおそれがあり長期にわたって居住が制限される地域)の浪江町と隣接しており、とりわけ放射線量が高いのだ。

「うちは、いまだに家の中で毎時0.7マイクロシーベルトあります。今回、避難指示が解除される地域のなかでも、沿岸部より10倍ほど放射線量が高い。同時期に解除されるのは、納得がいかない」(佐藤さん)〈原発事故前は、およそ毎時0.02~0.05マイクロシーベルト〉

これまで国は、放射線量の低下にともなって、避難指示エリアを「居住制限区域」から「避難指示解除準備区域」に落とし、その後、避難解除という段階的な手順を踏んでいた。しかし、今回は「除染が済んだから」という理由で「避難指示解除準備区域」へ下げることなく、解除に踏み切った。これは先月、避難指示が解除になった葛尾村に続く2例目だ。

「内閣府の資料には、『年間被ばく線量が20ミリシーベルト以下になることが確実になった場合は、居住制限区域から避難指示解除準備区域に移行します』と書いてあるんです。南相馬市からも、ずっとそう説明を受けていました」と佐藤さんの妻・明子さん(60)も語る。

なぜ段階を踏まずに解除したのか。記者が、管轄している内閣府の原子力被災者生活支援チームに問い合わせてみると「段階的に避難指示を解除しなければいけないというルールがあるわけではない」との返答だった。除染が済んで年間20ミリシーベルト以下になったこと、生活インフラが整ったこと、自治体や住民との協議ができたことなどが、解除の主な要件になるという。

 

子育て世代で川房地区に戻る人はいない

では、国が解除の要件のひとつしてあげている「除染」の進捗状況はどうなのか。 

6月下旬、記者は川房地区に住む村上栄子さん(仮名・54)の自宅を訪れた。四方を里山に囲まれ、一見のどかな風景だが、村上さん宅の広い庭は、除染のため芝生などが剥ぎ取られ、土がむきだしになっている。あたりには、土ぼこりが舞っていた。「今日、除染が始まったばかりなんです」と村上さん。国は「除染が完了した」ことを条件に解除したはずだが、村上さん宅の終了予定は8月末だという。

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(除染が始まったばかりの村上さん宅。芝をはぎとっても地上1mで1マイクロシーベルト越える場所も。)

前出の原子力被災者生活支援チームの担当者に除染の現状を伝えると、「宅地まわりの除染は4月末までに終了した。環境省が確認して、すべて完了報告書を発送している。市も確認作業をしている。まだ除染中の場所があるなら教えてほしい」との返答。南相馬市にも問い合わせると、「除染が完了したから解除した」との一点張り。最後に、小高区の除染を管轄している環境省福島再生事務所に確認すると、「宅地の除染は95%終了している。残り5%はまだ完了しておらず、平成28年度中に完了予定」とのことだった。とんでもないことに、解除の要件としてあげている「除染の完了」を国自体が否定したのだ……。

前出の村上さんのお宅には、玄関横にウッドデッキがあった。

「このウッドデッキの汚染がひどいんです。木に放射性物質が染みこんでいて、もう除染はできないから、取り壊すしかないと言われてるんですけど、思い出があるので迷っています……」

記者がウッドデッキ周辺を測定してみると、空間線量は毎時0.9マイクロシーベルト。ウッドデッキの表面汚染密度度は、約10万ベクレルを超えた。この数値は、(※)放射線管理区域にあたる4万ベクレル/平米より、はるかに高い。玄関周辺では、毎時0.7マイクロシーベルト前後だったが、自宅裏庭を測定してみると、すでに表土をはぎとった場所でさえも、地表から約1メートルで毎時2マイクロシーベルト越える場所があった。周辺の土を測定すると、2,560万ベクレル/平米という、放射線管理区域4万ベクレル/平米の約640倍にも及ぶ放射性セシウム(セシウム134とセシウム137の合算値)が検出された。

「私がここに嫁いだのは17年前。それから夫と2人で工務店を営み、朝晩ろくに寝ないで働いて、やっとこの家を建てたんです。思い入れがあるから、いずれは戻りたいけど、子どもたちは帰せない」と、村上さんは辛い胸の内を明かしてくれた。

前出の川房地区の行政区長、佐藤さんは、代々続く兼業農家。原発事故前までは、米や野菜を作っていた。「これ、見てください。うちの農地には、まだこんなに汚染物が積まれているんです」と言って妻の明子さんが指さす先には、除染で出たゴミが入った黒い袋の山が。いつ、中間貯蔵施設に運び出されるのか、メドが立っていない。

「こんな状態では、戻っても生活が成り立ちません。この袋がなくなってから解除したって遅くないのに」(佐藤さん)

佐藤さんの自宅の線量は、「5回除染してもらった」という玄関先で、毎時0.7マイクロシーベルト前後。裏の里山に入ると、すでに土を剥ぎとって除染は済んでいるものの、地上1メートルで毎時1~2マイクロシーベルトあった(事故前の約33倍)。

一般公衆の年間被ばく限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)により「年間1ミリシーベルト」とされている。

「けど川房地区は、年間被ばく量が4ミリシーベルトを超えるところが多いんです。国は、長期目標として1ミリシーベルトに近づけるよう努力すると言うが、いつになるかわかりません。放射線従事者でさえ、妊娠中は腹部で2ミリシーベルトを超えてはならないという決まりがあるんですよ。我々は一般の居住者なのに、こんな場所で、安心して子どもを産み育てられません」(佐藤さん)

実際に、子育て世代で川房地区に戻る人はいない。

 

「東京オリンピックまでに、原発事故を“なかったこと”にしたいんだ」

一方で、戻ることを決めた人の思いも複雑だ。「また農業を再開したい」と話してくれたのは、川房地区で長年、専業農家をしてきた菊池達治さん(仮名・62)。原発事故後は、避難先で“うつ”状態になり、3年ほど家に閉じこもる日々が続いた。

 

「そしたら足腰が弱ってね。体が思うように動かなくなって。だから最近、避難先で畑仕事のアルバイトを始めたんですよ。もう一度戻って農業を再開したいから」

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菊池さんの自宅は、5年間避難している間に老朽化が進み、先月に取り壊したばかり。しかし農業の作業場だけは残した。「もう、川房に家は建てられないから、隣町に住んで、農業をするためにここに通います」と、菊池さんは話す。しかし、老後と将来世代への心配はつきない。

「私が農作業できるのは、せいぜいあと10年。被ばくの影響がどう出るかわからないから、ここに孫たちは戻せない。そうなると、農業も私の代で終わりでしょう。その後、土地は誰が管理するのか。目先の“復旧”はできたとしても、子どもを育てられない町に本当の“復興”はありません」(菊池さん)

しかし、そんな住民たちの不安は国には届かない。原子力推進側の国際的な専門機関でさえ年間1ミリシーベルトという基準を定めているのに、国は「国際的な知見では、100ミリシーベルト以下の被ばくでは、喫煙などほかの要因にまぎれて明らかな健康リスクの増加は証明できない」として、避難支持解除の基準を年間20ミリシーベルトに設定。事故前の基準、年間1ミリシーベルトより高いが、100ミリシーベルトより低いから問題ない、というダブルスタンダードを認めたままだ。

しかし過去には、裁判所から5ミリシーベルトで白血病の労災認定を受けた原発作業員もいる。

「ご不安なら、実際に積算線量計を付けて、線量マップを作られたらどうですか。ホットスポットがわかったら、被ばくを避けられますよ」

解除前に行われた住民と内閣府原子力現地対策本部との懇談会で、ある役人はそのような発言をしたという。

「本当は、ホットスポットもきれいに除染してから、『もう安全ですから帰ってください』と安全宣言して解除するのが筋。でも、国側は決して、『安全だから帰ってきなさい』とは言いません。『戻りたい人が戻れるように避難指示を解除した。戻るか否かは自己判断です、という姿勢なんです」(妻・明子さん)

「原発が爆発して、危ないから出ていけと言われ、もう大丈夫だから戻れと言われる。線量が高いからといって戻らなければ、やがて仮設住宅も追い出されて”棄民”ですよ。私たちって、いったい何なんでしょうか」

住民から、そんな声も聞こえてきた。

前出の川房行政区の区長、佐藤さんは「国が土地を買い上げてくれたら、ここから出たいという住民もいる。若い人が戻らない土地に未来はない。柔軟に考えてほしい」と、引き続き国に対して、土地の買い上げなどを要望していく予定だ。

国は昨年6月、2017年3月末までに、帰還困難区域を除く避難指示区域をすべて解除すると閣議決定し、そのシナリオどおり着々と進めようとしている。

川房地区と同じく“居住制限区域”に指定されている川俣町山木屋(福島県伊達郡)や、浪江町(福島県双葉郡)の一部についても、国は解除しようと躍起になっているが、いまだ放射線量は高く、住民から強い反発があり、話し合いが進んでいない。

「2020年の東京オリンピックまでに、避難指示をすべて解除して原発事故を“なかったこと”にしたいんだ。われわれは忘れられていくだけ」(菊池さん)

これだけの惨禍を“なかったこと”にすれば、いずれ、また同じ過ちを繰り返してしまう。そうしないためにも、国がやろうとしていることを、しっかり見つめ、声をあげていく必要がある。

 

取材・文/和田秀子

 

(※)放射線管理区域とは

放射線による障害を防止するために法令で管理されているエリアのこと。この法令によると18歳未満は、放射線管理区域での就労が禁止。大人であっても10時間以上の就労は禁止、飲食も禁止となっている。

 

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鹿児島県に脱原発知事の誕生衝撃だ!~三反園新知事は川内原発を止められるか

2016-07-14 21:23:43 | 福島、原発

東洋経済ONLINE  http://toyokeizai.net/articles/-/127199より転載

鹿児島県に脱原発知事が誕生したのは衝撃だ

三反園新知事は川内原発を止められるか

脱原発路線を掲げて鹿児島県知事に初当選した三反園訓氏(写真:共同)

鹿児島県知事選で脱原発を標榜する元テレビ朝日・政治担当キャスターの三反園訓氏が当選したことに、電力業界が大きな衝撃を受けている。鹿児島県内に川内原子力発電所を有する九州電力の株価終値は、知事選翌日の7月11日に前週末比7%安の919円まで下落した。

稼働中の原発では初めて、関西電力の高浜原発3号機が大津地裁の仮処分決定により3月に運転停止に追い込まれた。さらに今回、原発に厳しい姿勢で臨む知事が就任することにより、政府や電力会社の原発再稼働路線に新たなくさびが打ち込まれた。

政策合意文書で「廃炉」を明記

三反園氏は県知事選のマニフェスト(政権公約)で、「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止して、施設の点検と避難計画の見直しを行う」と表明。立候補を見送った革新系の平良行雄氏との政策合意文書(6月17日付け)では、「両者は知事就任後、原発を廃炉にする方向で可能な限り早く原発に頼らない自然再生エネルギー社会の構築に取り組んでいくことで一致した」と明記するなど、脱原発路線を鮮明にしている。また、「原子力問題検討委員会を県庁内に恒久的に設置する」こともマニフェストに盛り込んでいる。新潟県の技術委員会のように原子力分野の専門家を組織できれば、電力会社へのチェック機能としても大きな影響力を持ちうる。

もっとも、県知事は運転中の原発の停止を命じる権限を持っておらず、あくまでも九電の判断に委ねられる。今後、三反園氏は九電に停止を求めると見られるが、九電が知事の意向を受け入れなければ稼働が続くことになる。

九州電力は「現在までに、三反園氏から川内原発を停止してほしいとの要請は受けていない。原子力発電の必要性についての理解促進や安全確保の取り組みに引き続き努めてまいりたい」(報道グループ)と説明している。

ただ、一定の時間軸で見た場合、原発立地県で脱原発を掲げる知事が登場した意味は大きい。

川内原発1、2号機はそれぞれ10月、12月に法定の定期検査に入る。「原子力規制を監視する市民の会」の阪上武代表は、「定検中に知事が特別な検査を要請する可能性がある」と予想する。

再稼働直後にトラブルに見舞われた川内原発

川内原発1号機は昨年8月の再稼働直後に復水器の細管が損傷して海水が混入するトラブルに見舞われたが、稼働を止めずに修理して済ませた。1、2号機の再稼働の前に実施された高経年化技術評価でも耐震安全性で余裕が乏しいと見られている機器が複数あることがわかっている。熊本地震では震度7の激震が2度にわたって起きたことから、繰り返しの強い揺れに設備が耐えられるかについても懸念が持たれている。

こうした問題について九電はきちんとした説明ができなければ、知事や県民の信頼を得ることは難しくなる。定検後の再稼働に影響が及ぶ可能性もある。

県は九電との間で締結した安全協定書の中で、「発電所周辺地域の住民の安全の確保および環境保全のため万全の措置を講じる」ことを九電に約束させている。設備の増設や変更、核燃料の輸送に際しても事前協議を義務づけている。また、県は発電所敷地内への立入調査権限を持ち、九電は住民の避難など地域防災計画への協力も約束している。安全協定書に基づいてこうした方策を活用することにより、今までより厳しい安全対策を求めることもできる。

40年超の運転に対して歯止めがかかる可能性もある。三反園氏は選挙前の記者会見で「川内原発1、2号機の運転は原則40年とする」と明言している。1号機は8年後、2号機は9年後にそれぞれ運転開始から40年を迎える。その時点で三反園氏が知事を続けていて、現在の方針が変わっていなければ、川内原発は廃炉に追い込まれる可能性もある。

強権的な伊藤知事の姿勢に県民は「ノー」

今回、脱原発の知事が誕生した理由として、敗れた現職の伊藤祐一郎知事による強権的ともいえる県政に対する批判の高まりが挙げられる。伊藤氏は熊本地震後も原発の安全性に懸念を示す市民の声に耳を傾けず、6月20日の知事選公約発表の記者会見では「川内原発1、2号機はあと30年は稼働せざるをえない」と発言。原則40年の期間を超過しての運転を容認する考えを示した。

「川内原発30キロ圏住民ネットワーク」の高木章次代表は、「川内原発の再稼働に際しては周辺自治体から民意の反映を求める数多くの意見書が提出されたが、ことごとく無視された。そのうえ知事が60年稼働(20年の運転延長)を持ち出したことで、多くの県民がおかしいと感じた」と指摘する。

また、伊藤知事は県の総合教育会議で「高校の女の子に(三角関数の)サイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか。そんなことより、植物の花とか草の名前を教えたほうがいい」と発言したことが、男尊女卑の暴言だと批判を浴びた。知事の肝煎りで開校した男子だけの全寮制中高一貫校で高校入学者が定員割れになるなど、政策の失敗も目立った。

今回の知事選では、川内原発が立地する薩摩川内市でも三反園氏の得票がわずか7票ではあるが伊藤氏を上回った。三反園氏を支援した「川内原発建設反対連絡協議会」会長の鳥原良子さんは「商売をしているので名前を名乗れないだけで、地元でも原発に反対する意見は根強い」と説明する。特に熊本地震発生後、薩摩川内市内でも余震が続いていることから「住民の原発への不安感は大きい」(鳥原さん)という。

原発周辺地域でも脱原発の民意

「川内原発から30キロ圏内の住民意識はすでに大きく変わってきている」

こう述べるのは、東京女子大名誉教授で「安全・安心研究センター」の広瀬弘忠代表取締役だ。

同センターは再稼働を前にした2014年11~12月にかけて、重大事故時に避難や屋内退避を求められる川内原発30キロ圏在住の360人を対象にアンケート調査を実施した。そこでは、「川内原発で事故が起こった場合に避難できるか」との問いに、対象者の65.6%が「おそらく安全に避難できない」「安全に避難できない」と答えている。また、「国の原発事故対策は十分か」との質問には「あまりできていない」「まったくできていない」との回答の合計が79.8%に達している。「県や市町村の原発事故対策は十分か」との問いに対しても、「あまりできていない」「まったくできていない」の合計が80%に上っている。

「川内原発で事故が起きれば避難は難しい」と語る広瀬弘忠氏

広瀬氏は「川内原発周辺の道路事情を調べたが、事故時にスムーズに避難ができるとは考えられない。有効な事故対策がない中で、住民が原発の再稼働に厳しい目を向けるのは当然だ」と指摘する。こうしたことからも、三反園氏がマニフェストで「避難計画の見直し」を打ち出したことは時宜にかなっている。

こうした住民意識の変化はほかの原発周辺地域でも起こり始めている。安全・安心研究センターは5~6月にかけて、静岡県の浜岡原発31キロ圏内(緊急時の避難区域)に住む360人を対象に、川内原発と同様の住民アンケート調査を実施した。ここでも事故への不安を感じる人や再稼働を危険だと思う人の割合がそれぞれ60%を超えた。再稼働に「やや反対」「絶対反対」を合わせた回答も63.6%に上っている。

このように原発に対する住民意識の変化は鹿児島県に限ったものではない。住民意識の変化を認識せず、対話の姿勢すら見せなかった鹿児島県政に住民がノーを突き付けたことを目の当たりにして、背筋を寒くしている原発立地県の知事は少なくないだろう。

 

岡田 広行 :東洋経済 記者 岡田 広行Hiroyuki Okada東洋経済 記者1966年10月生まれ。早稲田大学卒。1990年、東洋経済新報社入社。産業部、『会社四季報』編集部、『週刊東洋経済』編集部などを経て、現在、企業情報部記者として電力・ガス業界を担当。2011年3月の東日本大震災発生以来、被災地の取材も続けている

 

 


川内原発の一時停止要請へ 三反園鹿児島新知事/【社説】原発と新知事 日本中が見守っている〔東京新聞2016.7.13〕

2016-07-14 21:06:13 | 福島、原発

東京新聞 TOKYO Web

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016071301001590.htmlより転載

川内原発の一時停止要請へ 三反園氏「県民不安に」

 鹿児島県知事選に初当選した元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓氏(58)は13日、共同通信のインタビューに応じ、九州電力に対し、川内原発の一時停止を要請する方針を明らかにした。熊本地震の影響を調べるためで、時期は未定としている。

 三反園氏は知事選の公約として川内原発の一時停止を掲げていた。インタビューで三反園氏は「(熊本地震で)原発を不安に思っている県民も多い。(調査、点検のため)九電に一時停止を申し入れる」と強調。時期には「まだ当選したばかりなので具体的には決まっていない」とした。

(共同)

 当選証書を授与された三反園訓氏=13日午後、鹿児島県庁

 当選証書を授与された三反園訓氏=13日午後、鹿児島県庁
 

東京新聞 TOKYO Web

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016071302000135.html

【社説】原発と新知事 日本中が見守っている

 今国内で唯一原発が稼働する鹿児島県で、脱原発を掲げる新知事が誕生する。三反園訓さん(58)。「原発のない社会をつくる」という言葉の通り、鹿児島を“脱原発立県”のお手本にしてほしい。

 「安全性が確保されていない原発は動かせない」。初当選した三反園氏の主張は明快だ。

 告示前、反原発団体との間で候補者を一本化する際に交わした政策合意にも「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止し、再調査、再検証を行うことを九州電力に強く申し入れる」などとある。

 現職の伊藤祐一郎氏は福島原発事故のあと、全国に先駆けて、川内原発1、2号機の再稼働に同意した。国内で稼働中の原発は、今のところこの二基だけだ。

 告示前の記者会見でも「1、2号機は、あと三十年動かし、その後は別のエネルギー体系に」と、すでに運転開始後三十年を過ぎた両機の“六十年運転”の必要性を示唆していた。

 同日投開票の参院選鹿児島選挙区では現職が三選された。地元紙の調査では、「原発」への関心度は「医療・福祉」などに次いで第三位。しかし、県民は知事の四選は認めずに、脱原発を掲げた「県政刷新」に軍配を上げた。

 四月十四日の熊本地震。震度7の猛烈な揺れ、うち続く強い余震にもかかわらず、九電は川内原発を動かし続け、有事の際の指令所になる免震施設の建設予定も取り下げた。

 九電と、それらを看過し続けた伊藤氏に“被害地元”としての不信と不安を募らせた結果だろう。

 三反園氏は「ドイツを参考に、鹿児島を自然エネルギー県に変身させ、雇用を生み出す」と語っている。脱原発による雇用喪失の不安を抱える立地地域とよく話し合い、情報を広く共有しながら、具体化を進めてもらいたい。

 日本で唯一原発が稼働中の鹿児島県を、日本で初めて脱原発へとスムーズに移行したモデル県にしてほしい。

 三反園氏の言うとおり、知事に稼働中の原発を止める法的な力はない。しかし、停止した原発を再稼働させるには、地元首長の同意を取り付けるのが慣例だ。

 川内1号機はことし十月、2号機は十二月、それぞれ定期検査に入って停止する。

 検査が終わって再稼働という段階で、新知事はどのような判断を下すのか。他の原発立地地域のみならず日本中が見守っている。

 

<関連>

東京新聞:経産相「新知事としっかり話す」 鹿児島・川内原発で:社会 ...

 

 

 


参議院選挙は「負けて」いない~希望を語っていこう!チリの若者のように。

2016-07-14 20:31:16 | 都知事選 県知事選 市長選

参議院選挙は「負けて」いない-都知事選に向けて


2016.7.13

昨夜(13日)、東京都知事選に向けて講演をしました。テーマは「暮らしと平和を守り、憲法をいかす東京を!」で、場所は僕が6月の市長選で野党統一候補の共同代表を務めた狛江市です。こんなことを話しました。

1. 参議院選挙は「負けた」のか?...
 
 危機感を抱いて選挙を戦った人々は「負けた」と思っていますが、そうでしょうか?
 過去3回の参議院選挙の比例区の得票を与党系と野党系に分けて比べると、6年前は2965万:2425万、3年前は3714万:1354万、今回は3252万:1914万です。おおまかに言えば、順に「5:4」「5:2」「5:3」です。つまり有権者の野党系への支持は明らかに盛り返したのです。
 選挙区を見ると、自民党が獲得した議席はこの3回の選挙で「39-47-37」と減っています。しかも今回、沖縄と福島の一人区で自民の現職大臣が落選しました。つまり自民党は圧勝どころか、勝ってもいないのです。

 その一人区を見ると、前回は31の一人区のうち「自民29-野党系2」で自民の圧勝でした。しかし、今回は32のうち「自民21-野党系11」と2:1まで挽回しました。
 野党系が勝ったのは秋田以外のすべての東北(青森、岩手、宮城、山形、福島)、北陸の新潟、中部は山梨、長野、三重、そして九州の大分県です。惜敗した福井、岡山、愛媛、長崎県を入れると、全国を縦断して野党共闘が具体的に結果を生んだことがわかります。
 さらに言えば、共闘により予想以上の票が入りました。たとえば山形と愛媛の野党統一候補が得た票は、それぞれの地域の4野党が得た比例票の合計の1.7倍です。また、北海道は4月の第5区補欠選挙の経験がそのまま影響し、3人区で野党系が2議席を得ました。また、沖縄で勝ったし、鹿児島では反原発知事が誕生しました。
 野党系が「勝った」とは言いませんが、けっして「負けてはいない」のです。

2. 勘違い-なぜ「負けた」と思うのか

  「負けた」と思うのは、結果として憲法改悪の発議に必要な「3分の2を取られたから」です。しかし今回、憲法が争点となったのではありません。ほとんどの有権者は憲法を考えて判断したのではありません。安倍首相が選挙で言ったのも「アベノミクス」だけでした。「負けた」と思うみなさんは、憲法を争点にして負けたと勝手に勘違いしているのではないでしょうか?
 朝日新聞の世論調査では、「安倍政権に求める」のは社会保障32%、景気と雇用29%で憲法は6%でした。つまり、国民が求めているのは「安定した生活」なのです。有権者の「3分の2」が憲法改定で与党を支持しているのではありません。
 もちろん安倍首相は選挙結果を背に改憲に突っ走るでしょう。それは2013年の参院選で「デフレ脱却」のみを主張した後に秘密保護法を成立させ、集団的自衛権行使の閣議決定をし、2014年の総選挙で「アベノミクス」のみを言った後に戦争法を成立させた過去を見ても明らかです。ここで必要なのは、まず我々自身が「国民意思」を勘違いしないことです。

3. 参議院選挙の評価と教訓
 
 今回の選挙で明らかになったことは、日本列島の南北から国民がじわじわと安倍政権を追い詰めていることです。そして正規なセオリーを踏めば勝つ、しかも競り勝つということです。
 では、野党側が「勝てなかった」のはなぜでしょうか? 
 同じ世論調査で、今回の結果となった理由を聴いています。「安倍政権の政策が評価されたから」は、たった15%でした。そして71%もの人が指摘したのが「野党に魅力がなかった」です。
 そうです。安倍政権が評価されたのではありません。問題は野党側にあるのです。野党が魅力的であれば、有権者は野党に票を入れたのです。逆に言えば、有権者は野党に期待しているのです。

 そこで思い当たるのが南米チリの1988年の国民投票です。

4. 独裁をはねかえしたチリ国民

 南米チリは1973年9月11日のクーデターで軍事独裁政権となりましたが、10年後に民主化を求める抗議行動が起きました。抗議のデモに行けば警官に殴られ逮捕されます。多くの人はそこまで勇気がありません。しかし、何かをしないではいられなかった。彼らは、歌と言う形で独裁反対の意志を表明しました。テーマソングとなったのがベートーベンの「歓喜の歌」です。

 僕が泊まったホテルのボーイさんは客に朝食を運びながら「歓喜の歌」のメロディーを小さく口笛で吹きました。昼の取材で乗ったタクシーの運転手さんは運転しながら「歓喜の歌」をハミングしました。夕方に街を歩いたさいに見かけた街角の笛売りは「歓喜の歌」を演奏しながらオカリナを売りました。「苦悩を通じて歓喜に至る」というこの歌に、人々はチリの実情への不満と未来への希望を込めたのです。...

 1988年には、軍事政権を今後も続けるか、民主主義に戻すかを問う国民投票が行われました。軍事政権は自信満々でした。だって、クーデター以来の15年間、マスコミでは検閲を敷いて軍政を称える報道しか流さなかった。表立って軍政を批判する声など聞かれなかったからです。
 それは野党側の政治家も同じでした。しかも、軍政側は一枚岩でしたが、野党は17党に分かれていました。野党の足並みが整わないことは今の日本どころではなかった。軍政に反対して運動する人ほど状況に絶望し、投票をしても勝つはずがないと思い込みました。

 余裕しゃくしゃくの政権側は、選挙前に1か月ほど検閲を部分解除しました。1日にたった15分、それも深夜、野党側が作った番組をテレビで放映できるようにしたのです。民主化を求める国際世論に配慮したのですが、一つの野党あたり1分もないのですから、どうせ影響力はないと高をくくったのです。

 ここで野党側は結束しました。民主主義の一点に置いて団結したのです。共同で番組を作ることになりました。最初、野党の年配の政治家が主張したのは「どうせ負けるのだから、このさい軍政の悪をあげつらおう」ということです。軍事政権下で市民が虐殺された暗い過去を告発する暗い映像が作られました。

そこに異議をはさんだのが若者です。

 「勝つ気があるのか? 勝つためには暗い過去ではなく、明るい未来と夢を訴えなくちゃいけない」と主張しました。「みんな本音では民主主義にしたいと思っている。大切なのは有権者の本音を引き出すことだ。そのためには希望を語ることだ」と。こうして作られたのが「チレ! ラ・アレグリア・ジャ・ビエネ(チリよ、歓喜がもうやって来る)」というキャッチフレーズです。軽快なメロディーに乗せてテーマソングも作られました。

 そうです。あの困難な苦悩の時代に求めた歓喜が、今回のたった一回の投票で実現することを示したのです。口ずさみやすいこのメロディーは、瞬く間に全国に広がりました。軍人の子どもも街で歌いました。15年の沈鬱な空気は、たった1カ月で変わりました。
国民投票の結果は、55%:44%で民主主義の勝利でした。こうしてチリの国民は平和な投票によって独裁政権を変えたのです。そのキーワードが「希望」です。

 日本の運動はえてして、政権が「ダメだ」とか、戦争法を「廃止しろ」とか、税金を私物化「するな」とか、否定的な言葉を唱えがちです。デモのさいにも、こういった言葉がよく叫ばれます。しかし、否定的な言葉は、聞いている市民に不快感を与えます。 「じゃ、あんたたちはどうしたらいいと思っているのか? 不満しか言えないのか?」というごく自然な反発が生まれます。

 大切なのは希望を語ることです。聞いている人々が納得できる、明るく、かつ具体的な未来像を示すことです。
 英国といえば、先のEU離脱を思い浮かべるでしょうが、東京都知事選に当たるのが首都ロンドンの市長選挙です。この5月に行われたロンドン市長選挙では野党、労働党のサディク・カーン氏(45)が当選しました。彼はイスラム教徒です。父はパキスタン移民のバス運転手で、自らは人権派弁護士です。
 彼が当選後の第一声で語ったのは「市民は恐怖より希望を選んだ」という言葉でした。イスラム教徒で移民の子という二重苦を背負う彼が支持を集めることができたのは、「希望」を語ったからです。それが有権者の心に響いたのです。

 

 

 


写真・動画【東京知事選】7/14新宿駅前、鳥越俊太郎候補の第一声~「困ったを希望に変える東京へ」

2016-07-14 17:55:12 | 都知事選 県知事選 市長選

【東京知事選】鳥越俊太郎候補の第一声~「困ったを希望に変える東京へ」 
ヤベシンタ@257antonio 4 時間4 時間前
本日新宿駅前で行われた東京都知事選挙に立候補した鳥越俊太郎さんの街宣の写真をアップしました。フォトセット:160714 東京都知事選挙鳥越俊太郎候補による第一声


       鳥越さんのスローガン。「住んでよし、働いてよし、環境によしの東京へ」 写真by田中 隆夫さん

 

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http://uedadada.tumblr.com/post/147373284733/jr%E6%96%B0%E5%AE%BF%E9%A7%85%E6%9D%B1%E5%8D%97%E5%8F%A3am1030-2016%E5%B9%B47%E6%9C%8814%E6%97%A5-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%9F%A5%E4%BA%8B%E9%81%B8%E6%8C%99%E9%B3%A5%E8%B6%8A%E4%BF%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E%E5%80%99%E8%A3%9C%E8%80%85-%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%A3%B0より転載

JR新宿駅東南口AM10:30 2016年7月14日  東京都知事選挙鳥越俊太郎候補者 第一声JR新宿駅東南口AM10:30 2016年7月14日  東京都知事選挙鳥越俊太郎候補者 第一声JR新宿駅東南口AM10:30 2016年7月14日  東京都知事選挙鳥越俊太郎候補者 第一声JR新宿駅東南口AM10:30 2016年7月14日  東京都知事選挙鳥越俊太郎候補者 第一声

JR新宿駅東南口AM10:30 2016年7月14日

東京都知事選挙鳥越俊太郎候補者 第一声