marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(384回目)天地創造は2回あったのか、実は試作も含め3回?(創世記)

2017-07-12 22:36:42 | 日記
 聖書を自分の言葉で読んで行くと、すぐさま疑問にぶつかるのです。もし、2節が1節の続きだとすると、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり・・・」とあるのですが、全能の父は、その不明の「闇」とか、「地が混沌である」とかは了解していたのだろうか、つまり、神には混沌となるものはないはずで、闇もその原因を知っていたはずだと考えられると思われないか。そうでなければ「全能の父」ではなくなるでは思ってしまうから。
◆だから、ここで2節は再度の創造、つまり本格的にこの地上に天地の創造を開始したということ。1節は完全なるパラダイスは完成してしていただという考えもあるということ。
◆そこで、地上に実際の創造を開始しようとされた時、既に闇はその創造の障害となるべく漂っていた・・・つまり、天上界での父なる神に反逆して、その創造の神の業を我が物にしようとした天使、その後、地上に落ちて堕天使となり天上界には帰れなくなり創造の開始までの悪魔との戦いがあったその理由が、その2節の「闇」であり「混沌」であったということになる。
◆つまり、天地創造来から「神は積極的に、見よ、それは極めて良かった」としているが、父はその「闇」を神にすべてを目を向け、常にその希望を奨励する、その最終被創造物たる人間の戦い抜く、反動としての足がかりとして、堕天使にその闇と混沌を地上における身を隠す現象として残していたということになりはしないだろうか。新約聖書、先紹介したヨハネ伝第1章5節においても「光は闇の中で輝いている、暗闇は光を理解しなかった」とう言葉が、天地創造来、僕らがすべて良好であると浮き足立たないように その事象を残していたということになりはしないだろうか。人間には、闇がなければ、光は分からないという、そもそもの限界があるのだ・・・。

◆天地創造の話は、2章4節から(この前文までが前の総括のように書かれているとの解説もありだが)再び、天地創造の話が始まるように書かれているね。2章5節は創造の第三日目のことをとても簡略化されて書いていますね。ここらあたりから 聖書の謎が出てくるのですね。・・・・ 続く