marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(399回目)天地創造、そもそも誰の目線で書かれてるんだ!? その宿題、実は・・・〔創世記第3章〕

2017-07-28 02:00:00 | 日記
 まだ、旧約聖書の第三章をうろうろしています。畏れ多くもこのブログの主旨はすべてのしがらみから解放されて永遠のいのちの言葉(これは新約聖書のイエス<キリスト>の言葉になります)をひとりひとりのものに・・・という僕の勝手な願いで始めました。それで、イエス御自信が聖書(ユダヤ人の方にとっては今も旧約聖書がそれのみに当たります。イエスの当時は、新約聖書は無論ありませんから)には自分の事が書かれているのだと言われたので、旧約を読み始めましたが、何とかこれ(旧約の読みにくさの障害を解放するには、→ なんだそれはただの神話物語のかき集めた創作だろと言われないために)を消化するためにどうしたらいいものかいなと勝手に思案しております。
◆実は、天地創造のお話のそれはそれはとてつもなく古い時代は、第一に僕ら人間の「種」自体が姿を現していませんから(地球ができて45億年、人間の種ができはじめて38億年?)とういうことは、人間の種を形造った僕らに似た(実は逆で神の似姿に創造されたのは僕ら人間)方々は、どういう人たちで、どのような目線で書いたのかということが気になるのではないでしょうか。(無視もせず気にもならない方は感謝なことでそれ以上、ほじくらないこと・・・こう書く僕は罰当たりなのだろう)
◆これは、専門的になりますから一般の書店でも目にすることはまずほとんどありません。それは、はっきり言って売れないからです。旧約学やユダヤの歴史やイスラエルの思想などの書物は、実は沢山ありますが一通り聖書をマスターした上での知識がありませんと真面目に取り組めません。オタク学になります。裾野がまた実に広い。学研(学習研究社)のミステリーマガジン「ムー」から(「たま」出版というのもあるなぁ)、神話や考古学、古代の文字まで実に難しそうな(売れないであろう、「たま」は売れているかも・・・)本があります。やはり、すべての科学がとてつもなく進化した天空から飛来した方々が僕らをこの地上に創造されたと考えても無理ないなというものまでありますが、違う道にそれますのでそれはブログには今後あまり出てきません。)
◆・・・で、まずの理解は、第一、人間の種がようやくさ出始めの物語なので、困難を覚えても無視するどころか逆にこのような物語が人類ができて編纂されてから世界中の人が、あれやこれやと考えて読まれてきたことに僕は畏敬の念が出てくるように思ってしまうのです。そういうことが書かれた文字が全世界のベストセラーとして読まれて来た、今も読まれているそのものに参加できるなんてたいそう祝福されるべきことではないかと・・・それで天地創造のその始原からの言葉を信ずることにより永遠のいのちに入れるなんて!。・・・・・・・
◆表題の回答をそろそろ書かないと字数が不足してきたので、いのちのことば社の新改訳聖書(1981年9月1日発行)のから創世記の著者と成立過程を書いて見ます。
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 現存の「創世記」自体には、本書の著者が誰であるかを示唆する箇所はなく、既存の資料が集められ、編集されたと思われる痕跡がある。2:4(2章4節の意、以下同じ)で「経緯」5:1で「歴史の記録」6:9、10:1、11:10・27、25:12・19、36:1、37:2で「歴史」、36:9で「系図」と訳されているヘブル語「トーレドース」ということばがそれである。多くの学者は、このことばが創世記が編纂される時に使われた資料の表題であったと考える。これらの資料がどのように伝わり、いつ頃まとめられたのか、また、その編集過程において、編集者の見解がどのくらい入っているかも確かでない。編集者としては、伝統的にモーセが考えられたきた。原初の歴史記録を通して、神が御自信の御旨を啓示されるに当たり、モーセを編集者として用いられたと考えることはふさわしいことと考える。しかし、現在、それを歴史的に立証することは不可能であろう。*************
◆最近の僕らが巷の書店で読める専門書 筑摩書房(最近、文庫でましたネ)「旧約聖書の誕生」加藤隆 著 古くは大家、関根正雄先生の本、他ありますがちと難しいし専門的に・・・・Ω