marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(401回目)400回を越えて少しバチ当たりなことを・・・〔創世記第3章〕

2017-07-30 12:15:00 | 日記
 前回からの続きです。旧約聖書を解析することは、貴重な記録でもあるし、たいそう研究対象として、ふしだらな僕のような者もその研究成果を目にすることには、バチがあたるのではないかな・・・と今から何十年も前の僕であれば思ったかもしれない。それはM・ウェバーさんが言うところの「呪術からの解放」がなされていないということなのだろうけれど、多くの教会では、旧約聖書のアブラハムさんから、あるいは、出エジプト記、もっとも多くはヨセフ物語あたりからが、最も信仰的に「神は何を考えられておられるのか」で、お話がされるものと思われます。そのお話で新約のイエスの言葉に素直に会われ、信仰をしっかりもたれる方はgoo!です。福音主義的アプローチと言ったらいいでしょう・・・が、僕はモヤモヤが残っていると特に神様の事については知りたくてしょうもなくなるので、自分の内省も無論含め常に神にお尋ねをしているという状況なのです。
◆それで、先ブログ「旧約聖書の誕生」加藤 隆著(筑摩書房)は、かなり研究も進んだんだなぁとかなりの驚きでした。僕が手に入れたのは2008年1月25日初版第1刷発行ですぐ購入したものですが、旧約聖書編纂の内容が巻末に付録 モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)資料表が掲載されていて、例の資料の引用されたと思われる聖書の箇所が一覧表になっていてJ(ヤーヴェ資料)、E(エロヒム資料)、P(祭司資料)、D(申命記資料)にまとめられています。それぞれの話、聖書の箇所がどの資料から引用されたものであるとの照合ができるようになっていて、これでだけ、ちりぢりのものを一つに結集すれば、文章読んでよく分からない感はでてくるわなと不謹慎にも思ったり・・・(読みやすくではなく、それぞれの資料は神の啓示により表されたものですから文字自体も当然、そのままに採用で)したものでした。
◆すると、僕は又、大枠は一応掴めた・・・と、それでその意図は・・・などと又、考えてしまうので神様の勉強は興味が尽きないと言えばいいいか。このような本が出るまでは、そのままとにかく読みこなすとして、どうして同じ内容であるべきところが、逆のことに書かれているのか、どうしてこちらが詳しいのか・・・など悪戦苦闘して、おそらく何種類かあるのだ、記者が異なっているなとか、北と南に分かれた時にそれぞれで大切に読まれたものだったのだろうなとか、エルサレムに帰還しておそらくそれをエズラやネヘミア当たりがまとめたのだろうか・・・というようなことはド素人の僕でもなんとなく推論することができたのだったがそれ以上はアウトだった。いずれ、感謝なことである。
◆このような専門書ごときも脇において信仰的には、読みやすくアウトラインを掴みつつ、古典の部類に入ってくるかなぁ、比較的手に解説も入り著者の受け取りの思い著した本に「旧約聖書物語」(歴史に働きたもう神) 北森嘉蔵 著 講談社学術文庫 がありますので今のところのお勧めです。「神の痛みの神学」で知られた神学者でした。・・・・   さて、創世記に戻ろう。 Ω