marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(397回目)神様 嘘ついたの? 死なんかったじゃん! 〔創世記第3章〕

2017-07-26 01:00:00 | 日記
今回は新改訳聖書を採用してます。創世記第2章の気になるところから抜粋します。
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2:7 その後、神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのいの息を吹き込まれた。そこで、人は生き物となった。
〔・・・・〕
2:16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。」
〔・・・・エバさんと蛇の会話があって〕
3:6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実をとって食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
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◆僕は質問したのですね、神様に。
「神様、あなたは第2章17節で『それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ』と言われたのですよ。でも食べたとき、エバは死ななかった。おまけに、それを夫にも推奨したのですよ。ここで、死ぬということは、その肉体が生命活動をやめて朽ちていくことではなくて、お互い目が開けて、裸であることが分かるという羞恥心をもつこと、ただそのことを「死ぬ」と言われたのでしょうか」と・・・。 
◆そうすると、こう答えられたのですね。
「いい質問だ。なぜなら、聖書を貫き通している、人の救済の、つまりわたしの元に帰って来なければならない、人類の罪としての起源の話として、全世界のすべて聖書を読む人間に知られているのだからね。・・・・ここで「死ぬ」というのは、肉体の死のことを言っているのではないのだ。肉体は、わたし(神)との霊とのつながりがあっての生命、生きているということなのだ。ここで「死ぬ」と言っているのは、神の霊とのつながりが、断絶してしまったことを言っているのである・・・と。ここでヘブル語の「ネフェシュ」と言う語を考えよと言われたが、僕は後で調べてみますと・・・。
◆僕はこう答えられたので、そういえば信者が告白する「使徒信条」という文言の中に「・・・生ける人と死ねる人を裁き給わん」という言葉があるがこれは「死ねる人」というのはお墓に葬られてしまっている人を言っているのではなくて、肉体は生きていても霊的に神とつながりがないから、肉体が死ねばその霊も同時に朽ちて無に帰していく運命にある人々のことを言っているのであると僕なりの解釈を思い出した。
◆イエスは「生きてわたしを信ずる者は死ぬことがない」と言われた。つまり、外見は人間社会に生存していても、霊的に死んでいる霊的に生きている人がいるという解釈ができる訳だなと理解した。これは、我ながら大切な理解なのだと認識した。だから、ここでエバさんとアダムさんの霊は、例えがどうかと思うが、充電式の電池の枯渇しそうになれば神と繋がっていることにより常に補給充電されていく霊に対して、神との断絶があったために、補給されないで一方的に放電だけしていき最後は使いものにならず廃棄する運命の電池をイメージしてしまったのだった。 
◆だから、ここで、禁断の実を食べたそのとき神の霊から切れたのである。つまり、必ず死ぬ運命となったと解釈ができる訳なのだ。いずれにしろ旧約聖書は、特に創世記においてもそもそも天地創造の神のことばにより、物事がなり始めるその霊的なことばと言って良いか、いずれ朽ちていくこの地上の人間の音や文字などでの機械的な言葉を超越した、ものすごい霊の錯綜したその中での一つの圧倒的な貫きが著されていると僕は考えてしまう訳なのである。・・・・続く