marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(395回目)エバさんは美人だったのか、かわいかったのか 〔創世記第3章〕

2017-07-24 01:00:00 | 日記
 僕の連れ合いは、動物さんと会話ができるのだが、体の大きさに対して脳みその小さい生き物は駄目みたいとうことであった。
ところがここに出てくる蛇は、神が創造されたあらゆる野の獣(けもの)のうちで、一番狡猾であったというのだ。・・・野の獣というのだから、天地が創造された時のあらゆる野の動物は、人(ここではアダムではなく一般に)と話ができたのかなぁ。

◆・・・ということは、脇においてとにかく、一般に爬虫類としての蛇を好む人はあまりいないのは、この理由からなのだろなと素直に信じることにしてます。ここでの蛇はヘブル語原典では定冠詞がついていて特別な蛇なのだそうだ。つまり、悪魔の化身という奴。

◆旧約聖書創世記を読み始め第三章に来ているけれど、いきなり新約聖書の終わり黙示録に飛んで第12章9節にはこういう言葉がありますね。
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 こうして、この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンとか呼ばれて、全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いとともに投げ落とされた。
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◆創世記第3章で出てくる特別な蛇は、詰まるところ、人間を創造した天使の賢い長であったのだが、神が人間を創造してその業(わざ)に嫉妬して、自分の思うように創造された人間を操ろう、できれば亡きものにしたい、神の似姿に創造された人は失敗だった要素を植え付けたいと常に地上の終わりまで望んでいるやからなのであったという解釈が聖書には貫かれています。ですから、無論、今も、神は霊であるその一翼を担っていた天使が地上に落とされ様変わりとなり、姿を隠している悪魔は、いつも飲むべきものを探しうろついているのだという事になる。・・・ですから、世の事件、事故、特に人身のいのちを消滅させる事件が後を絶つためには、常に神の賜る「聖霊」を求めつづけなさいということに・・・そのためには、心身ともに整えて・・・ etc 新約聖書の手紙類での使徒達への励ましの手紙を読み教え続けられなければいけませんよということになります。 

◆さて、第3章に戻ると、ここでの蛇と女の会話のどこに、それまでの人(アダム)に言われた事に対して、女(エバ)には弱点があったのだろうか・・・ということを考えると、僕らが日常の中での会話での失態に対する留意事項が、推察されてくるのではなかろうか・・・。まして、生死に関わる神との約束ごとについての、その約束にあえて言えば全く関係のない第三者、しかも霊的に秀でている神に取って代わりたいと願っている悪魔の化身の会話は、その考えにおいて答えるその当人が主体的立場になって考えるような問いから語りかけるのであった。・・・ 続く 

(※独り言・・・日本でいう「竜」は角が生えていて大きなぎょろ目と口で牙を持って舌出して、しかも大きな爪をもって四つの足がしっかり出ていて宝の玉など握っていて、空を飛んで歩くというイメージだ。神社の天井に描かれていたりするが、あのイメージはどうして日本に伝来し定着したんだろうか・・・などが気になり始めてきたな)