marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(391回目)その5 アダム(人)を創造する(創世記第2章)

2017-07-19 01:00:00 | 日記
 具体的な創造の作業を書いた第2章に入る前に、初心に戻って考えなければいけないこと(・・・と僕が思っていること)
①僕らは人間の言葉、文字として聖書を読めるが、人間の言葉である音や記号としては神のものがたりとして理解できるであろうけれど、限界がありその中の話の理解は、ほんのわずかな触りでしかないこと。
②基本的にはこちらから(被造物の人として)積極的に知ろうとするが限界があることを理解しなくてはいけないこと。
③「天地創造は神話でしょう」で終わるのだろうが、僕らはこの命を過ぎ去るまでは三次元の世界でしか生きられないのですから、例えば「光あれ」ということが「神は言われた(これは創造の前にその都度宣言する)」とのことで創造の業が現れるそのことを考えただけでも、神の「ことば」は想像を絶するものなのだろうということ。
④信仰的立場からの物言いは、旧約聖書すべてにわたり神のことばは、霊(神の)とその思いに貫かれていることが理解すること。
⑤「神は霊である」ということは、僕らは意識できないことだが(人によって違うかもしれないけれど)、生きて動いて働いていること、無論、今でも・・・だから生物は生きている。

 脱線し始めるのでこの辺で・・・光だけについても現代における科学で解明されていること、僕の好きなマイケル・ファラデーさんからマックス・ウェルの電磁方程式、アインシュタインやらシュレーディンガーや波動方程式・・・etc、etc

◆さて、第2章 地球上の目線でということは、つまり先のブログに書きましたが、神の御使い達が地上に現れて、実際に創造の作業を行うということです。ですから主なる神が人を創造する・・・という原文での言葉(文字といえばいいか)は、人間が物事を造る動作で使われる「アーサー」という言葉が使われているということでした。それでいよいよ具体的に第2章に入りますと。先に述べたように第2章4節のaまでが先の第1章からのまとめの文になるらしい・・・これもいつも不思議に思うけれど。もっと区切りのいいところがあるのでは・・・例えば2章4節bあたりから第2章を始めた方がすっきりするのになと思ったりしているが、いかが・・・。しかし、そうはできなかった理由があったと推察する訳です。目線の異なる方の資料なのだ・・・旧約聖書は謎だらけ。
◆特にこの第1章天地創造だけでもいろいろなこと、つまりイエスの時代から現代までのいろいろな学問追求、つまりは神のつくられたこの世界の解析を僕らは、今でも学校でお勉強する訳ですね。そういう訳で旧約聖書全般にわたると思われるが、文章の内容のなめらかに書かれていないことなどや齟齬はそれなりに意味がありそうだということで、大陸移動説や古い地図のことも書きたいのですがとりとめなくなるのでこの辺で。(初めて読んだ時の感激、紀元前の古い古い時代の記事に僕の知っている名前が書かれていること、2章12節の鉱物の金、琥珀(飴色の木の脂などが固まって石となった)、ラピス・ラズリ(これも濃い紫のきれいな石、幸運を呼ぶと呼ばれてますが、これは僕もカケラを持っている)、それから、世界史でならった、チグリスとユーフラテス川、今もその川があるが当時の大陸がどの程度、今のものに近かったのかな・・・でも、こんな昔から今まで名前が残っていて感銘。(聖書は新共同訳から)
◆それで、具体的に人を造る時の様子が書かれています。これも「卵が先か鶏が先か」などの疑問は吹っ飛んでしまうのです。7節 事実は、神が人は土地(ヘブル語で「アダーマー」なのでアーダームーと呼ばれる)の塵で人をつくったというのです。・・・続く