友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

画家が「自分の作品」に出会うまで

2024年05月01日 17時56分17秒 | Weblog

 雨が降っているのか、いないのか、ハッキリしない天気だった。今日は5月1日、新聞やチラシ、段ボールなどの資源ゴミを集積所へ持って行く。午前11時を過ぎて、名古屋へと向かう。毎週水曜日はカミさんとデートの日。

 西区の和食の店で、私は長焼き定食、カミさんはひつまぶしセットを注文する。11時半には着いたのに、いつもながら混んでいる。家族で来ている人たちもいるが、友だち同士とかカップルも多い。会社の接待と思われるグループもいる。

 カミさんが、「鰻が食べたい人って、結構いるね」と言う。「鰻が食べたいというより、たまには贅沢したいということじゃーないの」と私が言うと、「だから鰻が食べたいじゃないの」と畳みかけられ、「そうなんだろうね」と引き下がる。

 食事の後、名古屋市美術館へ。幸いなことに、駐車場にすぐに入ることが出来た。雨がパラついているのに、白川公園で遊んでいる小さな子もいる。美術館は平日だからか、空いていた。チラシを見たカミさんから、「行ってみる?」と聞かれたが、知らない画家だった。

 入館して、展覧会の画家が名古屋芸大を卒業し、現在は教授になっている人だと知った。展覧会のタイトルが「絵画の道行き」とある。名芸大を卒業した2年後に、ニューヨークに渡り、1980年代までは絵具を塗りたくっただけの作品を作っている。

 90年代になると、日本画の波のような筆使いの作品となり、2000年代からはチラシにあるような作品へ変わっていく。80年代の作品の展示場の係りの女性に、「この部屋に長くいると、気分が悪くなるでしょう」と声をかけると、「ええ、ですから、上の2000年代の展示場へ行くとホッとします」と小声で答えてくれた。

 画家が「自分の作品」に出会うまでは、苦闘の連続である。誰も描かない絵を目指さなくてはならないし、人の心に響くものがなくては作品にならない。画家を目指した端くれとして、その苦悩はよく分かる。名芸大でどんな授業をしているのかと、興味が湧いた。

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