マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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香束・牛滝まつり調査に道案内受けた神武さんの丘

2023年11月20日 07時23分16秒 | 吉野町へ
奈良県内に行われている「牛滝さん」行事を調べていた。

かつては、各地それぞれ。

数多くの地区に見られた「牛滝さん」行事。

農耕作業に活躍くれた牛や馬。

祭神の農耕の牛馬の神をまつる神社もあった。

働いてくれた牛馬は、今では見ることもない時代。

耕運機にとって変わった牛馬。

保食神(うけもちのかみ)を祭る牛滝神社の存在も・・

平成25年の9月15日に訪れた橿原市の一町(かずちょう)

天満山長法寺に牛滝祭を行っているとわかり、訪問した。

行事に牛は登場しないが、かつては農協主催に牛の品評会をしていた。

品評会会場は、長法寺の境内。

農耕に飼っている牛の背中にかけた化粧まわしのような襷(たすき)。

それは美しかった、と・・

その後の昭和32年のころ。

子どもや大人が、消防ホースをマワシにして奉納相撲をしていたそうだ。

年代は、異なるが明治三十四年に奉納された「奉納 大日如来」の絵馬に、飼っていた牛に袈裟をかけてお参りする姿だ。

品評会をしていた昭和の時代よりもずっと前に行われていた当時の牛滝祭の様相であろう。

一方、大淀町内の村に牛滝神社がある、と知った。

大字は、馬佐(※ばさ)。

字名は”馬”であるが、神社名は”牛”。

いずれも農耕に働いてくれた”馬”や”牛”。

今では、全国のどこを探しても、農耕に働く”馬”や”牛”は見られない。

農耕における機械化への発展。

トラクターの登場によって、今や、稲作に”馬”や”牛の姿は、見ることもない。

一挙に入れ替わったワケではなく、徐々に浸透していった機械化、自動化。

およそ10年のあいだ、日本の農業から”馬”や”牛”は見なくなった。

昭和の時代の東京オリンピック。

昭和39(1964)10月10日に開幕した。

同年の昭和39年10月1日、東京~新大阪区間を開業した新幹線。

つまり、東京オリンピックの開幕に合わせて開業、運行したのである。

実は、そのころから、急激に変化したのが日々の暮らしである。

文化的な生活に大転換が始まったワケだ。

昭和45年(1970)3月14日。

雪が舞うその日に開幕した昭和時代の大阪・万国博覧会。

稲作を営む農家にとって家族のように扱ってきた”馬”や”牛”。

農家に貢献していた”馬”や”牛”たちは、昭和30年代から40年代にかけて、徐々に変化していた暮らしの文化。

気がついたときには、すでに農耕に貢献していた”馬”や”牛”は日本から消えた。

今じゃ、写真か、動く映像にしか残っていない暮らしの文化。

村の行事にあった牛滝まつりに、牛が消えた。

牛は、登場しなくとも、行事のあり方に変化が起こった。

それらもできる限り聴き取りなど、調査しておかねば、と思って出かけた大淀町馬佐の「うったきさん」こと「牛滝まつり」。

平成25年9月16日に行われた「牛滝まつり」
であるが、本来は15日であったが、ハッピーマンデー法令により月曜の祝日に移った敬老の日。

令和時代の東京オリンピックの開会に伴い、一時的な変則対応、その年限りの祝日移動。

結局は、これまで通りの、9月の第三月曜日に戻した。

ところで、奉納、寄進された絵馬に興味深い牛の絵馬に出逢えた。

その地は、大和郡山市の田中町。

氏神社は甲斐神社。

正月飾りに簾型しめ縄かけ取材していた平成24年12月31日。

しめ縄には、なんと活きている伊勢海老を括り付ける珍しい形式。

その後、訪れる何人かのカメラマンが撮影にくるようになった甲斐神社。

飾り付け作業の合間に拝見した割拝殿に掲げていた絵馬。

数頭の牛を姿を描いた絵馬の寄進者は、町内の「牛講」。

明治四年に奉納された絵馬の額にあった記録。

寄進者は「氏子牛講中」


どのような活動をされていたのか、現在に伝わっていないが、珍しい牛講絵馬。

貴重な絵馬だけに、この1件も紹介しておく。

一方、奈良市三条添川で行われている野神行事がある。

ここでは、馬の姿を描いた絵馬をケヤキの幹に数枚束ねて奉納する。

もう一つの事例は、同じく野神行事。かつては農耕牛を祀ったとされる牛塚に毎っていたが、拡張工事によって存在が消えたため、その昔の姿を描いた牛塚に参る牛の姿を描いた掛け軸を、会所にかけて参拝するようになった奈良市法蓮町で行われていた野神行事

いずれも、農耕に働く”馬”や”牛”に、感謝を込めて奉納、参拝していたのだろう。

行事取材になにかとお世話になっていた大和郡山市・小林町に住む高齢者たち。

普段でも、行事のときでもおしゃべりが停まらない元気な高齢者男女が話した云十年前の体験い記憶。

県立民俗博物館の学芸員からお願いした体験記憶を語っていただく会合。

当館会議室の場に集まり、聞き取り会が行われた。

語っていただいたサブテーマは、八つ。

一つは、「農耕に飼っていた牛は、山間地域とに貸し借りしていた」

二つ目に、「牛の貸し借りに行く博労さんにはソラマメを袋に入れて持たせた」

三つ目は、「唐耒(※カラスキ)や、馬鍬掻き(※マンガカキ)は手綱(たづな)でもって「チャイ チャイ」と云いながら引っぱった」

四つ目に、「宇陀の榛原には赤牛がいた」

五つ目は、「ムギは皮を剥いてぺしゃっとして柔らかく」

六つ目、「小林町・杵築神社に奉納していた絵馬」

七つ目、「牛は田んぼの盛り土を歩く」

八つ、「雌牛に角があった」


今では語られることのない、牛は農耕牛であり家族の一員であった時代の体験。

小林町は奈良県の平坦中央部が所在地。

尤も、北部、南部、西部、東の方角の所在地での牛の営みは若干違いがあったろう。

それぞれの地域文化はさまざまである。

さて、本題は香束の牛滝まつりであるが、先に知った吉野町山口に行われた牛滝まつり。

取材日は、平成30年9月24日。

本社山口神社の神事でなく、意賀美神社(おがみじんじゃ)に続いて行われた牛滝社の行事
だった。

現在は、御供を奉り、拝礼するだけになったが、かつては牛滝社の前身、本地堂が建っていた地である。

由緒板に、「・・云々・・明治の神仏分離のため廃寺となり、最初は竜門小学校に転用されたか、明治十年ころ、破損甚だしく、取り壊された。その跡地に牛の守り神である牛滝さんとして祭り続けてきている」と、あった。

行事を終えて話してくださった「牛滝さん」の記憶。

「今では想像もできないが、相撲の土俵があった。やや高い台地がかつての土俵。男の相撲だけでなく、女相撲もしていた。当時をとらえた写真も残されている。その土俵周りを牛が歩き回った。手綱をひく牛飼いの田主が連れてきた農耕牛が土俵の周りを歩かせる牛参りをしていた」。

牛滝まつりの原点は、牛をひき連れて廻る牛参りだった。

その様相は牛の品評会だった、とYさんが話してくれた。

そこでだ。気にかけていた隣村で行われていたであろう、と推定していた吉野町香束(こうそく)の牛滝まつりである。

その、香束の牛滝まつり。

写友のUさんが、4月3日に現地訪問。

予め調べていた情報を伝えてくれた。

牛滝神社の牛滝まつり行事は、9月の第一日曜。時間帯は、わからないだけに、身体状態の関係に自宅を出る時間調整が難しい。

情報によれば、「牛滝神社の祭神は、農耕牛馬の神である保食神(うけもちのかみ)。昭和六年、畜産振興の風潮が高まり、当地もその一環として古老達が区有地を開いて放牧場を作り家畜の育成につとめた。当時、牛は四十頭余り、耕地は田、畑とも二十町歩以上あった。ここに香束の牛滝の神を祀り、畜産の振興・豊年満作・家内安全・無病息災を祈った。祭日にはごく撒き・牛の品評会、相撲などのイベントがあった。時が移り農業の変化が著しく、祭祀の意義が薄れていった平成十三年、県の施設が設けられたのを機会に祭祀の便を考え、現在地に牛馬のいない現在であるが先人の心を心として祭りを続けている」とあった。

なるほど、である。

大淀町馬佐、吉野町山口、橿原市五条野、橿原市一町と同じように、昭和6年ころの畜産振興の高まりにはじまった牛の品評会・相撲行事が行われた牛滝まつりだったのだ。

行事の時間はわからない。

牛滝神社の場も知らない。

下見の気持ちで車を走らせた9月5日。

午前10時30分、途中下車に訪れた奈良市・旧都祁村の白石に立ち寄り。

三重県名張に調査した刺しさば状況の報告に伺った


場を離れた直後にかかった電話。

山添村・切幡に住むT家からだ。

ぶとくすべのつくり方を知りたくて、取材をお願いしていた件である。

村の選挙の選挙に忙しく、駆けずり回っていた。

それも昨日で終わり、今日、やっと解放されたから、つくってあげるから、こっちに来るかい、という連絡だった。

もちろん、受諾したが、現在は吉野町の香束に取材があるので、時間帯は午後になりますが、是非ともお伺いさせてもらいます、と伝えた。

それからも走った大宇陀付近に見た稲穂景観。

そこに建っていた朱塗りの鳥居


午前11時10分から11時20分。

立ち寄った宇陀市の大宇陀。

平尾の鳥居に野依の韓国とうがらし干しを緊急取材していた。

正午時間の午後12時10分。

ようやくたどり着いた吉野町・香束(こうそく)。

まずは人探し。本日に行われる牛滝神社の牛滝まつり。

村の人であれば、存じている可能性が高い。

車を停めた道路下におられた男性に声をかけた。

たしか、ここはハザカケをしていた場だ。

作業を止めたM夫妻に牛滝まつりの件を尋ねた。

そのことなら、任期2年の自治会長をすることになったTさんが、知っているからと、電話をかけ、紹介してくださった。

取材主旨を伝えたところ、今年も昨年もコロナ禍のため、みなが集まることを避け、午前中に自治会長だけが参拝することにした。

供物を供えて、祭事を終えた、という。

本来は9月3日に行っていた牛滝まいり。

例年であれば、固定日だった3日から移行した第一日曜日の午後1時にはじめている行事。

ゴクマキもしている、と教えてくださった。

牛滝まつりの状況がわかったところで、M夫妻があっちの方にある小社のジンムサンのまつりもゴクマキをしている、と話してくれた。

じゃぁ、案内するから、と軽トラに乗って、場を案内してくれた。

道路南にある苔むした階段。



割合に長く続く階段を登った。

そこは、小高い丘。



広地の左下にぽつんと鎮座している小社。

扉に龍の造形。



見事にひかり輝いている海老錠をかけているが、小社の祭神は知らないそうだ。

だが、右上前方に建つ、まるで碑のようにも見える大岩が社らしく、こちらが神武さんのようだ。



大岩に年号などがあれば、いいのだが・・。



実は、ゴクマキはここからしている、という。

小高い位置に建つ大岩に祭具がある。

どことなく仏具のように思えるソレはおそらくローソク立てであろう。

案内してくださったMさん。

おもむろに話してくれた、ここ香束に住まいすることになった経緯。

実は、話してくれたMさんの出里は、川上村。生まれも育ちも金剛寺がある神之谷地区。

筋目らしく、御朝拝(※おちょうはい)式典によばれるので参列、例年営まれる御朝拝の儀。

懐かしい響きに、思わずえっ、と返答した。

まさかのまさか。

吉野町香束の地と川上村神之谷金剛寺・御朝拝の地にどういう関係があるんだろうか。

御朝拝式は、平成17年2月5日に平成19年2月5日の2回、取材に訪れたことがある。

特に、2度目に訪れた平成19年は記念すべき550年祭だった。

御朝拝式は、神之谷とは別に川上村高原の地においても筋目衆によって行われていた

平成16年2月5日に取材した高原の御朝拝式は、その年を最後に、550年祭をもって、両筋目衆は合同でされることになった。

御朝拝式は、新たなる時代を迎え、神之谷金剛寺の地におき、村民全体の行事に転換、将来に亘り絶やすことなく、今後とも継続されることになったのだ。

京都・淡交社から出版した著書『奈良大和路の年中行事(2009刊)』に掲載した「御朝拝式」。

550年の節目に出逢えたことは、私としても嬉しい限り。

3頁にわたる記事および裏表紙写真も載せさせてもらった著書もまた記念になった。

香束と神之谷との繋がりは、かつて勤めていた大手企業のトヨタの整備工場時代のころにご縁があった。

M家に婿入り。生まれた娘さんは、吉野山蔵王堂に近く、柿の葉寿司を営業している「やっこ」にご縁があったそうだ。

学生時代に知り合ったやっこの家に嫁入りした娘さんは、テレビにもよく出演している。

と、いうのも来店レポーターの多くがタレントさん。

自然な応対に、お店をコマーシャル。

口コミ評価も高い

Mさんは、将来を考えて、孫たちが伸び伸びと遊べるように、案内してくれたこの地を所有者に依願し契約したそうだ。

草木はともかく草刈り機で除去できたが、ここらは湿気が多く、何層にも積み重なった苔類の除去に難儀した、と話す。

その証拠に軽トラにも苔、苔、苔がまとわりつく。

いくら除去しても、また苔、苔・・・などなど会話がとまらない。

今、何時に・・正午時間も過ぎた午後1時。

奥さんにご迷惑かけてしまった。

場を離れて、目的の牛滝神社の所在地を教えてもらって車を走らせた。

自治会長のTさんは、午前中に供物を供えて参拝していた、と話していた。

それから数時間の経過。

供物は果たして残っているだろうか。



ようやく、というか、やっと出会えた香束の牛滝神社

何年か前は、もっと上にあった小社を今の位置(バス亭下香束)に下ろし、札を立てていた香束の牛滝神社。



お供えは・・・消えていた。

おそらくは野鳥が喰い荒らしたか、小動物かも・・・

小社周りの草むらをみれば、どことなく違いがわかる。



たぶんに洗い米に清めの塩であろう。



そこらに撒かれたようでもある。

はっ、と気づいた小社の裏側に収めていた札のような物体。



錆が蔓延している物体に、文字らしきものが見えるが、判読はできない。

写友のUさんに電話を入れた。

香束の牛滝神社の現状を伝えた。

Uさんが、昨年に撮られた高札。

撮っておいて、よかった、と電話口でそういった。

(R3. 9. 5 SB805SH 撮影)


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