マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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横井町・瘡神さんの青井神社の夏祭りは・・

2023年08月27日 07時58分13秒 | 奈良市へ
前年の7月15日、16日の両日は、下見調査をしていた。

調査地は、奈良市横井町の青井神社

昭和40年過ぎまで行っていた瘡神さん。

「旧添上郡明治村(※明治22年成立~昭和30年消滅)・北永井村小字登坂」の地に鎮座していた、と教えてくれたのは、現在、大和郡山市・櫟枝に住むIさんだ。

Iさんに初めて出会った場は櫟枝の地。

水口まつりの実施状況を調査に現地入り

県内事例にまず浮かぶことがない苗代に立てる護符がある。

最近は、印刷された護符も見かけるようになってきたが、古来より版木刷りだった。

刷りに使用するのは筆墨。

版木でなくとも、墨書されているケースが多くある。

その墨に、なんと、竈で火をくべた際、竈の内部に付着する「煤」を集め、水に溶かした「墨」だった。

触感がザラザラしていたのでわかった古来の手法。

尤も、今もなお本格的な墨の原材料は、灯明を燃やした際に発生する「煤」である。

そのことを確認したく、集落に移動。

そのときに出合ったのが、Iさんだった。

そのIさんは、かーさんが所属する卓球クラブの会員。

ひょんなことからわかったご縁つながり。

Iさんが、思っている私なのか、それとも・・・

きちんと挨拶しておきたい、と思って出かけた表敬訪問

顔が一致した、と云ってくれた。

そのIさんが、生まれ育った出里が、奈良市横井町。

かつては「旧添上郡明治村(※明治22年成立~昭和30年消滅)・北永井村小字登坂」の地。

そこが瘡神さんこと、青井神社。

それもまた、ご縁と思って昨年に調べた地に、まさしく青井神社が鎮座していた。

鎮座地は、代々社家を務めるお家が所有地。

前年の今頃に伺い、取材願いしたくさがみさんの夏祭り。

行事日程を伺っていたので、その時間に間に合うよう出かけた。

到着した時間は、午後1時半。

提灯も立てている青井神社。

角庭の表玄関入口から、白い玉砂利を本殿まで敷いていた参拝道。



小雨降る状況にタープを張っていた。

夏祭りの様相に、やっと出会えた青井神社の夏祭り。

入口に古くから使われてきたことがわかる太鼓(※昭和初期製作)を据えていた。



おそらく夏祭りの神事をはじめる呼び太鼓であろう。

呼び鈴を押して挨拶した青木家。

屋内から出てこられた家族さん。

奥さんが話してくれた今日の夏祭り。

提灯1基を立て、雨天予想に神職も濡れるからと、タープも張り、御供も供えた。



が、当主の旦那さんが急遽、事情を生じたため、今年の行事の取材には、応じられないので、来年にまたお越しください、と伝えられた。

事情が、事情だけに、ご心配される家族さん。

頭を下げて帰路に就いた。



たしかに天候は不安定な状態。

しばらくしたら真っ黒な雲湧き。

天理と同様のどしゃぶりになった模様。

後片付けも難儀されたことであろう。

帰宅してからのネット調べ。

奈良市の施設、南部公民館情報によれば、「・・・『青井社由緒書』には、疱瘡を病んだ小町の夢にあらわれた神童のこと、平癒した小町は、自分の黒髪を切り、地中に埋め塚とした。小町塚鎮守疱瘡神といい、社殿のなかに土を盛り上げた土壇があるようだ。なお、青井社絵図によると、小町伝承の霊水の井戸は、神水として描かれている。井戸は現存する。・・・[「小町の宮」碑 由来記 (帯解寺)より抜粋]」、とあった。

南部公民館から東に行けば帯解寺がある。

その帯解寺の寺域に、平安時代の歌人、小野小町にまつわる「小町の宮」がある。

「小町宮址」が確定して以来、小町の命日である4月24日は、法要を執り行っている、とあった。

青木神社・グーグルクチコミに、小野小町伝承の書き込みがみられた。

(R2. 7.16 SB805SH撮影)
(R3. 7.15 SB805SH撮影)


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