むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

本丸御殿(高知城)

2019年06月19日 | 御殿
高知城本丸御殿こうちじょうほんまるごてん
築城者山内一豊
築城年代1601年(慶長6年)
指定史跡国指定史跡 国重要文化財
場所高知市丸ノ内 地図

高知城内には本丸御殿と廊下橋で繋がれた二の丸御殿がありました。
二の丸御殿には天守の代わりとなる乾櫓があり、普段の政務は二の丸御殿、
特別な儀式は本丸御殿で執り行われていました。
1727年(享保12年)の大火によってほとんどの建物が焼失し、
その後、焼失前と同じように再建され明治以降は多くの建物が取り払われたのですが
本丸御殿はその当時に再建されたままの状態で今も残されています。




式台の間を過ぎて溜の間でから納戸蔵方面へ進むか、上段の間がある方へ
進むのか通い…まずは納戸蔵の方へ。


納戸蔵

右手の人の列は玄関で入城を待つ人の列です。


欄間

まず見えてきたのは欄間の飾られた部屋です。
今はなき、二の丸御殿や三の丸大書院に飾られていた欄間が展示されています。


家紋

「三つ柏」と呼ばれる山内家の家紋で、土佐藩の船の船印として使われていました。
土佐出身の岩崎弥太郎が三菱を興した時に山内家と岩崎家の家紋を統合させ
三菱のロゴが出来たとされています。


四の間

NHKの大河ドラマ「功名が辻」で山内一豊の妻を演じた仲間由紀恵さんが来ていた衣装が
飾られています。
やはり高知城を知るには良いドラマでしたよね。


御茶所

小さな押入れのようなスペースがお茶をたてる座敷になっています。
炉が切られ茶湯棚が設けられています。


三の間

うちわけ波の欄間がとても特徴的です。
御殿や屋敷などを見るときには、やはり欄間を見てそこの主を量ってしまいます。



右に見える塀には、控え柱があります。
この上に板を渡して攻撃したり、物見台にしていたようです。


二の間

二の間の先が一段上がった上段の間があります。



前方には竹の節欄間と杉戸が見えます。



この庭の塀には高知城のみに残っているという物見窓があります。





付書院




上段の間

藩主の御座所となる上段の間では、政務や面会などが行われる場所です。
床の間には違い棚が見られ、右は付書院、左には一見には分からないように造られた
武者隠の間も設けられています。


雪隠の間

このトイレは城主しか使えないとしたトイレです。
一豊と千代だけがこの御殿に暮らしたと伝わりますが
その際に城主の生活の間から近いこの場所に雪隠が造られました。


武者隠の間

上段の間には、台帳構えを兼ねた武者隠の間が設けられています。
ここには藩主を守るための武者が控えていました。
万が一の際にはここから飛び出して藩主を守る役割をするという。
ここで聞き耳を立てたり、こっそり監視ってのもドキドキしますね^_^;


人が切れた所でのシャッターチャンスを窺って撮影しているのですが
今回はGWとあってどうしても他人の御顔が写り込んでしまい写真を選ぶのに
とても苦労しました。
本当は玄関から紹介したいところですが、どうにも良い写真が撮れませんでした。
ひとつひとつの部屋があまり大きくなくて
二条城や名古屋城のような煌びやかな御殿とは違い、シンプルでコンパクトなところが
山内一豊夫妻らしく、やはり遠慮しながら築いたのかなという印象でした。




令和元年5月3日登城


高知城を歩く
岩崎 義郎
高知新聞社

小山御殿(栃木県)

2018年08月29日 | 御殿
小山御殿おやまごてん
築城者本多正純
築城年代1619年(元和5年)
指定史跡
場所】小山市中央町1丁目1−1 地図

小山御殿は、徳川将軍家の日光社参の祭の休憩・宿泊所として設けられました。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの直前に行われた「小山評定」の吉例に
ならったものといわれています。
小山御殿は厳重な配置になっており、周囲に堀が廻り土塁が二重に築かれ
敷地内には16ヶ所の番所が設けられていました。


小山評定跡

小山市役所に入ると正面玄関に向かう駐車場内に山評定跡の碑があります。


小山評定跡由来碑

慶長5年(1600)7月24日徳川家康は、会津上杉景勝を討つべく小山に到着しました。
このとき、石田三成が家康打倒の兵を挙げたことを知り、翌25日この地において軍議が開かれました。
これが「小山評定」といわれるものです。

軍議は、3間4方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本多忠勝、本多正信、井伊直政や福島政則、
山内一豊、黒田長政、浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。
福島政則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どおりに決まりました。

同年9月15日、関ヶ原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利に結びついた歴史上重要な所です。
※小山評定跡由来碑より


小山御殿広場

小山御殿の整備や発掘調査、調査の成果が書かれた案内看板です。



御殿跡にはインターロッキング舗装や着色コンクリート舗装で平面表示されています。



周囲を囲む土塁も見えます。



日影も無い広場なのでめちゃめちゃ暑いです。
建物が欲しい~


御殿跡

ここは、将軍が休憩や宿泊をした部屋です。
畳90畳敷きの建物で、湯殿と雪隠も併設され、屋根は杮葺きとされています。


老中休息所跡

ここは老中が休憩や宿泊をした部屋です。
畳60畳敷きの建物で、30畳敷きの部屋が二間ありました。
屋根は萱葺きで北西にも老中休息所があったとされています。



芝生の養成をしていたので土塁を隅々まで見ることはできませんでした。



この土塁の奥は堀になっています。



市役所玄関に展示されている小山市の産業品の数々。



皆さんよくご存知のお菓子が並んでいます。
ちなみに、市役所内に何か資料やパンフレットが置いてないかと
立ち寄ったのですが残念ながらそのようなものはみつかりませんでした。
勝手ながら、せっかく多くの史跡があるのでパンフレットの設置をしていただけたらと思います。


発掘調査中

現在、市役所正面駐車場では市役所本庁舎建替整備に伴う発掘調査がされていました。



更なる発見が期待されます。



御殿跡を歩いているとコンクリートの照り返しがすごかった^^;
クラクラしてくるほどの暑さでした。
広場になっていますがこの暑さでは私以外広場に居る人はいません。
でもここで大きな決断が下され、歴史が動いたんですね。
感慨深いものがあります。


平成30年8月5日訪問


若駒酒造 純米吟醸酒 小山評定 若駒 720ml
若駒酒造
若駒酒造

名古屋城本丸御殿(愛知県)

2018年03月19日 | 御殿
名古屋城本丸御殿なごやじょうほんまるごてん
築城者徳川義直
築城年代1615年(元和元年)
指定史跡
場所名古屋市中区本丸1-1 地図


本丸御殿は、1615年(慶長20年)に尾張藩主の住居や政庁として建てられた
書院造の建物ですが、1945年(昭和20年)の戦火で名古屋城天守とともに焼失。
2009年(平成21年)から復元工事を開始し、平成30年6月に全体の公開予定です。


車寄

本丸御殿の玄関になります。
観覧はここからではなく、東側に別の入口があります。


入口

御殿では靴を脱いで、手荷物などはロッカーへ預けます。
リュックは背負わずに前に抱えるなど建物に当たらないよう注意して見学します。
カメラはフラッシュを切っていれば撮影はOkです。
このような注意事項や説明を受けてから中に入ることが出来ます。



順路の通りに進んで行きます。


大廊下

ここには名古屋城本丸御殿についてのパネルが展示されています。
廊下と言えど部屋が出来そうな空間です。


玄関(次之間)

玄関から入って正面になるのが次之間。
玄関の襖絵に描かれているのは竹林に虎と豹が遊ぶ「竹林豹虎図」です。
まずは勇猛な虎や豹の絵で来訪者を威嚇して来ます。



狩野派の一門によって描かれている豹と虎は、当時豹のことを
虎の雌だと思い込んで描いていたそうです。
豹の親子とそれを見守る虎は家族を描いたように見えるのですが
こうした狩野派の思い違い(ちょっと言い過ぎかな?)の絵は
二条城の二の丸御殿の襖絵にも描かれています。


玄関(一之間)

作者は不明ですが、一之間の襖絵については、
狩野派の狩野長信とする説があります。


表書院(三之間)

藩主と来客との公式な謁見に用いられた場所で、来客の家臣が控えた部屋とされ、
最も広く39畳あります。
三之間の襖絵は「麝香猫図」で、麝香猫は東南アジアの熱帯地方などに生息し、
当時の日本では高貴な生き物と考えられていました。
季節は夏を表現しています。


表書院(二之間)

表書院は、正規の謁見に用いられた広大な建物で、
江戸時代には大広間と呼ばれていました。
二之間の襖絵は「松楓禽鳥図」が描かれて、季節は秋・冬を表しています。


表書院(二之間)

「花鳥図」の部屋なのですが二之間の金箔だけで襖絵の描かれていない面があります。
これは気になるのですが、もともとこのようなデザインにしたかったのか、
なぜ絵が描かれなかったのか知りたいところです。


表書院(一之間)

一之間の襖絵は「桜花雉子図」で、季節は春を表現しています。



表書院入側廊下の天井は格天井になっていて、廊下までも品格のある造りです。


表書院(上段之間)

上段之間の襖絵は「松竹禽鳥図」が描かれています。


付書院

今では花瓶や生け花、掛け軸、置物などが飾られる床の間ですが、
かつては身分の高い人が座る場所でした。
その、床の間の横に出窓風に張り出しているのが付書院(出書院)です。
ここを机にして書物を読み書きしたようですが、窓のように書院の障子を開けて庭を眺めたり、
装飾性としての要素の方が強く、格式高い場所に用いられるようになりました。



付書院から中を覗いてみました。
天井は格式高い折上げ小組格天井で格式の高さを表現しています。








対面所納戸一之間

対面所は藩主と身内や家臣との私的な対面や宴席に用いられた建物です。
納戸は尾張藩主が最後に身支度を整えられた部屋で
襖絵は「山水花鳥図」が描かれています。


対面所(次之間)

襖絵は「風俗図」が描かれており、
紀州浅野家から嫁いだ春姫の故郷和歌山の名所が描かれています。


対面所(上段之間)

上段之間は「風俗図」で、京都の名所が描かれています。



上段之間の天井は二重折上げ小組格天井で、格縁は黒漆塗りです。
天井板は金箔が押してあり、とても豪華で格式のある造りです。



下御膳所には寄付者の名前が掲示されています。


下御膳所

下御膳所は、宴席に使う料理を準備するためのに使われていた部屋です。
囲炉裏があり、調理ではなく料理を温めるために使われていたようです。
天井は囲炉裏の煙を逃がす構造になっています。


今回公開していたのはまだ対面所までで、更に奥の上洛殿や書院までは
公開されていませんでした。
上洛殿・黒木書院・御湯殿を含む全体公開になるのは名古屋城天守が閉館になった後の
6月になるようです。
今度は天守の復元工事に代わって本丸御殿が呼び物となることでしょう。
将軍が上洛の際の宿舎である上洛殿は本丸御殿で最も豪華に飾られた建物で、
釜屋付き風呂屋があったりとまだまだ見所が残っているので、今度は
完成した御殿と工事中の天守を見に行ってみたいなあと思います。


平成30年3月11日訪問



図録 本丸御殿の至宝 重要文化財名古屋城障壁画
名古屋城本丸御殿PRイベント実行委員会
名古屋城本丸御殿PRイベント実行委員会

御殿

2008年03月05日 | 御殿
北海道・東北地方



関東甲信越

栃木県  小山御殿


埼玉県 川越城 
 

北陸・東海地方

静岡県  掛川城


愛知県  名古屋城 田峯城


近畿地方

滋賀県  彦根城


京都府  二条城


兵庫県  篠山城


中国・四国地方

  
高知県  高知城


九州・沖縄地方


佐賀県  佐賀城


熊本県  熊本城