【佐津間城】さつまじょう
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】16世紀中~末期
【指定史跡】ー
【場所】千葉県鎌ヶ谷市中佐津間1 地図
佐津間城跡は東側に大津川をのぞむ標高25mの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9mの比高があります。
土塁と空堀をめぐらせて、周囲を台地から遮断して曲輪を形成単郭構造の城跡で、守備を主体とし、
四方に張り出した構造の櫓台と、その櫓台を利用した横矢構造が確認されていて、曲輪の入口となる虎口の跡も残っています。
また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定され、
周囲には屋敷裏や北根郷屋、南木戸などの城に関係する小字名も残っています。
戦国時代に造られた城跡は東葛地方でも数多く確認されていますが、
鎌ヶ谷市内で明らかに城跡として確認されているのは佐津間城だけです。
佐津間城跡構造図
城の大きさは堀の外側で東西50m、南北76m、土塁の内側(主郭)は東西21m、南北35mあり、
築造された時期は戦国時代で、16世紀中〜後半頃と推定されています。
ここから上に登ってみたのですが、住宅地となっていて
うろうろしても只の不審者でしかないので引き返して来ました。
案内看板は設置されているものの、住宅街であり、主郭辺りは林になっているのですが
私有地のため立ち入ることは出来ませんでした。
どの程度遺構が残っているのかこの目で確かめたいところではありますが
主郭辺りは林になっていて、宅地になっていないだけでも、
後世に残るものとして、まだありがたい方なのかもしれません。
令和3年12月30日登城
【別名】ー
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】16世紀中~末期
【指定史跡】ー
【場所】千葉県鎌ヶ谷市中佐津間1 地図
佐津間城跡は東側に大津川をのぞむ標高25mの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9mの比高があります。
土塁と空堀をめぐらせて、周囲を台地から遮断して曲輪を形成単郭構造の城跡で、守備を主体とし、
四方に張り出した構造の櫓台と、その櫓台を利用した横矢構造が確認されていて、曲輪の入口となる虎口の跡も残っています。
また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定され、
周囲には屋敷裏や北根郷屋、南木戸などの城に関係する小字名も残っています。
戦国時代に造られた城跡は東葛地方でも数多く確認されていますが、
鎌ヶ谷市内で明らかに城跡として確認されているのは佐津間城だけです。
佐津間城跡構造図
城の大きさは堀の外側で東西50m、南北76m、土塁の内側(主郭)は東西21m、南北35mあり、
築造された時期は戦国時代で、16世紀中〜後半頃と推定されています。
ここから上に登ってみたのですが、住宅地となっていて
うろうろしても只の不審者でしかないので引き返して来ました。
案内看板は設置されているものの、住宅街であり、主郭辺りは林になっているのですが
私有地のため立ち入ることは出来ませんでした。
どの程度遺構が残っているのかこの目で確かめたいところではありますが
主郭辺りは林になっていて、宅地になっていないだけでも、
後世に残るものとして、まだありがたい方なのかもしれません。
令和3年12月30日登城