むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

川中島の戦い~妻女山~(長野県)

2016年08月08日 | 古戦場
1561年(永禄4年)
第四次川中島の戦いで、上杉謙信は海津城の南西約2kmの位置にある妻女山に本陣を構えた。



上杉謙信鎗尻の泉

妻女山への道を案内看板通りに進み、高速道路脇を通過して間もなくすると石碑が見えてくる。

湧水

妻女山に伝わる民話
川中島の合戦の時妻女山に陣を置いた上杉謙信は、戦いの勝利を神仏に祈願するため、時折麓の会津比売神社や岩野村にあった聖観音菩薩像に赴いていた。
ある日のこと、帰途についた謙信は、あまりにのどが渇いたので、馬から降り家来の直江山城守に、「槍をかせ!」と命じ「妻女におわすよろずの神よ、我に清き水を与え給え!」と地に伏し一心に祈り、そしておもむろに立ち上がって空高く槍を構え、「えい!やっ!」と地面に槍の石突きで強く突いたところ、そこから勢いよくきれいな水が湧き出したのである。

という言い伝えのある湧水がありました。


さらに山道を進む。。。


右手に展望台と神社、トイレ、駐車場が見えて来る。



松代妻女山招魂社

戊辰戦争の際、松代真田藩の藩士として従軍し、戦死した御霊と日清、日露、満州、日中、そして太平洋戦争終結までの尊い命を祖国日本のために捧げた郷土の戦没者の御霊を祀る慰霊施設である。

平和を願い二度と悲惨な戦争を起こさぬよう、毎年9月の第2日曜日を「慰霊の日」と定め、追善供養を行っているそうです。



妻女山展望台

ここから川中島平は一望できて海津城の動きを伺い知ることができた。
ここで謙信は武田方の戦の準備を察して山を下り信玄の本陣を目指し、武田軍の別働隊が妻女山に夜襲をかけた時にはすでに上杉軍は八幡原に布陣していた。
武田信玄の軍師山本勘助の作戦「啄木鳥戦法」は失敗に終わった。



この展望台は、信州のサンセットポイント100選のいとつで夕日鑑賞をしたり、夜景が鑑賞できるスポットでもある。




平成28年7月10日 訪問


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松代城(長野県)

2016年08月07日 |  百名城
松代城まつしろじょう
別名海津城
構造平城
築城者武田信玄
築城年代1560年(永禄3年)頃
指定史跡国指定史跡
場所長野市松代町松代44 地図
スタンプ設置場所真田邸
御城印信州松代観光協会
城郭検定出題あり

戦国時代、武田信玄が上杉謙信の北信濃侵攻に備え、山本勘助に命じて築いた城と伝わる。
当時の呼び名は「海津城」であったが、1711年(正徳元年)真田家三代藩主真田幸道に
政権が移ってから「松代城」と改められました。



松代城跡碑



南門跡

丸馬出より大手を望む。


太鼓門と前橋

堀の中から30本以上の折れた橋脚を発見、橋の掛け直しが4回以上行われたことが解っています。



橋詰門

NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング中で今回の内容の映像直後に流れる門の扉が開く映像は、
ここの門を使用して撮影されています。



門扉が開き、中に入ると枡形になっています。


太鼓門

時を告げる太鼓を備えていたことから太鼓門と呼ばれています。
本丸内では一番大きな門で、二層の櫓門です。
門礎石をそのまま利用して絵図面に忠実に再現、栩葺で切妻屋根で復元。


東不明門

当時の門礎石は保護のため地表下30cmに埋設し、現在手前に見えている礎石はレプリカで門のあった位置を示しています。
通常はこの門は閉じられていて、太鼓門前橋が使用出来なくなった場合など通用門として開門されたようです。
奥に広がるのは、本丸。


海津城跡碑

1921年(大正10年)の松代開府300年祭が行われた際に本丸に建立された碑。



内堀と本丸石垣と、木陰にぴったりな大きな柳の木。風流です。
左奥の土塁にトンネルのような埋門が見えます。


埋門

トンネル状に造られ、緊急時には埋めることが出来る門です。
「海津城内絵図」で確認すると二の丸の土塁に三ヶ所造られていたことがわかる。


井戸

絵図を元に二の丸に復元された井戸。
ちょっときれいすぎて歴史を感じない造りです(^_^;)


戌亥隅櫓台の石垣

城内で一番高い石垣で、野面積と算木積で積まれた櫓台石垣。
天守相当の大きさですが、天守が建てられた記録は残っていない。


高麗門



北不明門枡形

本丸北の搦め手の枡形門。
大手口と同じように、高麗門と櫓門と二つの門で枡形を構成されています。


北不明門櫓門

屋根は善光寺と同じ栩葺で復元されています。
千曲川の河川敷に接していたことから「水ノ手御門」とも呼ばれていました。


二の丸御殿跡

土塁で囲まれた二の丸東側には、二の丸御殿と呼ばれる建物がありました。


石場門跡

曲線的に造られた石垣が特徴的です。


櫓門の礎石

曲線的に造られた石垣が特徴的で比較的に小さくて平たい石で積まれています。
間口は約5.8mで、奥行は約3mである。
この礎石も本物は保存のため地下に埋められており、見えているのはレプリカです。


内堀(東側)

木橋の東不明門前橋が掛けられています。



周囲に無料の駐車場もあり、トイレも完備されています。

近くの真田宝物館真田邸もいっしょに見学してきました。
真田宝物館

ここは、レプリカではなく「本物」が展示されているミュージアムです。
今年話題の「真田丸」関連特別企画展示室にはドラマ内で使われた話の内容が史実通りだとわかる
本物の書状があったりして興奮しました。
最近博物館などに行くと古文書が読めるようになりたいなあと真剣に実感します。



真田邸

縁側に座って庭園を眺めてのんびり過ごしたくなる城外御殿。
ほんと、縁側は私のお気に入りの場所になりました♪
真田邸はこちらから閲覧できます。良かったらご覧くださいませ。


平成22年10月24日登城
平成28年7月10日再登城



御当地グルメ・おみやげ

松代は長芋の産地。そばに名物松代長芋のとろろが付いていました。(松代パーキングエリア)



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス