【岡城】おかじょう
【別名】岡村城・古城・小県岡城
【構造】平城
【築城者】馬場信房
【築城年代】1561年(永禄4年)頃
【指定史跡】市指定史跡
【場所】上田市岡 地図
岡城の築城時期は不明で文献などから推測で永禄4年~7年の間に築城されたものと思われます。
村上義清の葛尾城を落してから、松代に海津城を築くまでの間の川中島進出の
重要な前線基地でもありました。
武田方の築城であることの特徴がよく見られ、東、西、北の三ヶ所の虎口には
三日月堀の伴う丸馬出がありました。
現在は宅地や水田と化され、岡城跡公園となっています。
案内看板
東の虎口付近に案内看板があります。
ここには土塁と堀が見られますが、東側にあった東の丸馬出は宅地となり
残念ながら、今は消滅しています。
駐車場
案内看板のある土塁の脇に2台分の駐車スペースがあります。
こちらに車を置いて散策しました。
縄張図
案内看板は2ヶ所設置されていて、その中に縄張図が描かれているので
それを基に散策しました。
空濠
まず、車を置いた東の虎口から見える北側の外堀が少し浅くなっていますが
横幅もあり、とても良く見えます。
標柱
外堀に沿うように高く盛られた土塁上に岡城跡の標柱が設置されています。
上に登ると公園らしくベンチや遊具があります。
更に一段高くなった場所があります。
一番高いこの場所には、あずまや、石碑、石祠があります。
岡村城の由来
岡城と呼ばれる前は岡村城と呼ばれていたのですが、
地名から名付けられたことが記されています。
この碑によると武田方馬場氏より以前築城されていたことが記されていますが
諸説あるので実際はいつ頃誰の築城なのかは解明されていません。
小高くなっているので全体的に周囲を見渡すことが出来ます。
堀に沿って北側の丸馬出に行ってみたいと思います。
北の丸馬出
住宅があるものの、なんとなく丸みのある土地であることがわかります。
主郭北の虎口
主郭への虎口にあたります。
その先の団地の中が主郭になりますが宅地になっていて遺構はほとんど何もありません。
うろうろできる状況にもないので、ここは通り過ぎるだけにしました。
主郭を囲む内堀と北西角の土塁に当たる位置で、石垣の一部が見えます。
内濠
この場所には案内看板と道祖神がある場所で、主郭を囲む西側の内堀が良く見える場所です。
主郭西の虎口
先ほどの場所から東側を見ると、西側の主郭虎口があり土塁の名残も確認出来ます。
西の丸馬出跡
この辺りに西の丸馬出があったとされていますが、現在は田んぼになっていて、
輪郭は残る…と本では読んだのですが、丸馬出はありませんでした。
濠と土塁
なんとな~く残る土塁と堀跡。
上田原合戦、川中島合戦と信玄が大きく係る重要な拠点です。
重臣である馬場美濃守が関与した城であることは間違いないようです。
三日月掘を用いた丸馬出が残っていたら…
現代であれば、かなり話題性のある城跡であったろうと想像します。
千曲川を挟み多くの城が築かれ歴史に残る戦いと、
沢山のドラマがこの辺りには溢れています。
本当はこんな簡単な紹介では済まない多くの物語があるのでいろいろ調べてると
なるほど~というエピソードがいっぱいなのです。
文章が下手くそなので、それはまた追々ということで。。。。
令和元年7月20日登城
【別名】岡村城・古城・小県岡城
【構造】平城
【築城者】馬場信房
【築城年代】1561年(永禄4年)頃
【指定史跡】市指定史跡
【場所】上田市岡 地図
岡城の築城時期は不明で文献などから推測で永禄4年~7年の間に築城されたものと思われます。
村上義清の葛尾城を落してから、松代に海津城を築くまでの間の川中島進出の
重要な前線基地でもありました。
武田方の築城であることの特徴がよく見られ、東、西、北の三ヶ所の虎口には
三日月堀の伴う丸馬出がありました。
現在は宅地や水田と化され、岡城跡公園となっています。
案内看板
東の虎口付近に案内看板があります。
ここには土塁と堀が見られますが、東側にあった東の丸馬出は宅地となり
残念ながら、今は消滅しています。
駐車場
案内看板のある土塁の脇に2台分の駐車スペースがあります。
こちらに車を置いて散策しました。
縄張図
案内看板は2ヶ所設置されていて、その中に縄張図が描かれているので
それを基に散策しました。
空濠
まず、車を置いた東の虎口から見える北側の外堀が少し浅くなっていますが
横幅もあり、とても良く見えます。
標柱
外堀に沿うように高く盛られた土塁上に岡城跡の標柱が設置されています。
上に登ると公園らしくベンチや遊具があります。
更に一段高くなった場所があります。
一番高いこの場所には、あずまや、石碑、石祠があります。
岡村城の由来
岡城と呼ばれる前は岡村城と呼ばれていたのですが、
地名から名付けられたことが記されています。
この碑によると武田方馬場氏より以前築城されていたことが記されていますが
諸説あるので実際はいつ頃誰の築城なのかは解明されていません。
小高くなっているので全体的に周囲を見渡すことが出来ます。
堀に沿って北側の丸馬出に行ってみたいと思います。
北の丸馬出
住宅があるものの、なんとなく丸みのある土地であることがわかります。
主郭北の虎口
主郭への虎口にあたります。
その先の団地の中が主郭になりますが宅地になっていて遺構はほとんど何もありません。
うろうろできる状況にもないので、ここは通り過ぎるだけにしました。
主郭を囲む内堀と北西角の土塁に当たる位置で、石垣の一部が見えます。
内濠
この場所には案内看板と道祖神がある場所で、主郭を囲む西側の内堀が良く見える場所です。
主郭西の虎口
先ほどの場所から東側を見ると、西側の主郭虎口があり土塁の名残も確認出来ます。
西の丸馬出跡
この辺りに西の丸馬出があったとされていますが、現在は田んぼになっていて、
輪郭は残る…と本では読んだのですが、丸馬出はありませんでした。
濠と土塁
なんとな~く残る土塁と堀跡。
上田原合戦、川中島合戦と信玄が大きく係る重要な拠点です。
重臣である馬場美濃守が関与した城であることは間違いないようです。
三日月掘を用いた丸馬出が残っていたら…
現代であれば、かなり話題性のある城跡であったろうと想像します。
千曲川を挟み多くの城が築かれ歴史に残る戦いと、
沢山のドラマがこの辺りには溢れています。
本当はこんな簡単な紹介では済まない多くの物語があるのでいろいろ調べてると
なるほど~というエピソードがいっぱいなのです。
文章が下手くそなので、それはまた追々ということで。。。。
令和元年7月20日登城
甲信越の名城を歩く 長野編 | |
中澤 克昭,河西 克造 | |
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[新装版]戦国武田の城 | |
中田 正光 | |
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