【藤岡城】ふじおかじょう
【別名】花岡館・中泉城
【構造】平城
【築城者】平将門
【築城年代】932年(承平2年)
【指定史跡】-
【場所】栃木市藤岡町藤岡 地図
平将門が932年(承平2年)に後世関東7ヶ城の一つと言われた堅固な花岡館を築城します。
しかし940年(天慶3年)逆心という名のもとに討たれ、同時に廃城となりました。
佐野氏の出城とも館林赤井氏の家臣である茂呂氏の居城であったとも確認されつつあります。
三方が湿地に囲まれていることから、大手は東側にあったのではないかと推察されています。
三所神社の下段に駐車スペースがあります。
現在田んぼになっているこの辺りは城域を囲むように沼地になっていました。
土塁
沼地から一段上がった場所に築城されていました。
正面に見える一段高い場所が主郭です。
かつてこの下段が沼地であったことを想像させる光景です。
石碑
三所神社へ向かう道の脇に草に埋もれて何が書いてあるのかわからない石碑があります。
ここに来るまでの道はこのように車1台分の幅しかなくすれ違いも出来ません。
舗装もされていないので軽トラ向きの道です。
こちらも郭?
手持ちの資料が少なすぎて詳細が判りません。
三所神社
ここが主郭にあたる場所です。
藤岡城主一族の守護神として、初代藤岡城主藤岡伊勢守房行が、唐沢宿現宮から勧請し祀ったと伝う。
案内看板
藤岡町観光協会が立てた案内看板です。
三社神社と神明宮
本丸にある三社神社(左)と神明宮(右)です。
神明宮はもともと公民館にあったもので、一旦藤岡神社に移し、その後現在の地に移されました。
この角地にも虎口のような部分があるのですが詳細はわかりません。
後世に付けられた下段から登る近道なのかなあ?
この写真の奥の方で郭を手入れしている方が居ました。
枯れ草刈りをされていたようです。
お会いすることはなかったのですが、見学する側にとってはとても有難いことです。
切られた細竹を見ると私の背の高さほどあったのではなかろうかと思われる長さです。
もう少し早く来ていたら何も見えないような状況だったのでしょうか。
二の郭
二の郭方面を見ています。
青い屋根の建物付近に二の郭と三の郭の堀跡が残っているようですが
そちらから来て、真直ぐ主郭を目指して通過してまったので見逃してしまいました(>_<)
大手側から来るより、下段の沼地側から進入して来る方が無難のようです。
普通車以上は主郭下に車を置いて、堀切の散策をすることをお勧めします。
とにかく資料がなく、案内看板に書いてある以外のことは調べてもあまり多くのことを
得ることが出来ませんでした。
詳しい調査はまだ途中のようでこれから解明されていくといいなという段階のようです。
平成31年3月16日登城
【別名】花岡館・中泉城
【構造】平城
【築城者】平将門
【築城年代】932年(承平2年)
【指定史跡】-
【場所】栃木市藤岡町藤岡 地図
平将門が932年(承平2年)に後世関東7ヶ城の一つと言われた堅固な花岡館を築城します。
しかし940年(天慶3年)逆心という名のもとに討たれ、同時に廃城となりました。
佐野氏の出城とも館林赤井氏の家臣である茂呂氏の居城であったとも確認されつつあります。
三方が湿地に囲まれていることから、大手は東側にあったのではないかと推察されています。
三所神社の下段に駐車スペースがあります。
現在田んぼになっているこの辺りは城域を囲むように沼地になっていました。
土塁
沼地から一段上がった場所に築城されていました。
正面に見える一段高い場所が主郭です。
かつてこの下段が沼地であったことを想像させる光景です。
石碑
三所神社へ向かう道の脇に草に埋もれて何が書いてあるのかわからない石碑があります。
ここに来るまでの道はこのように車1台分の幅しかなくすれ違いも出来ません。
舗装もされていないので軽トラ向きの道です。
こちらも郭?
手持ちの資料が少なすぎて詳細が判りません。
三所神社
ここが主郭にあたる場所です。
藤岡城主一族の守護神として、初代藤岡城主藤岡伊勢守房行が、唐沢宿現宮から勧請し祀ったと伝う。
案内看板
藤岡町観光協会が立てた案内看板です。
三社神社と神明宮
本丸にある三社神社(左)と神明宮(右)です。
神明宮はもともと公民館にあったもので、一旦藤岡神社に移し、その後現在の地に移されました。
この角地にも虎口のような部分があるのですが詳細はわかりません。
後世に付けられた下段から登る近道なのかなあ?
この写真の奥の方で郭を手入れしている方が居ました。
枯れ草刈りをされていたようです。
お会いすることはなかったのですが、見学する側にとってはとても有難いことです。
切られた細竹を見ると私の背の高さほどあったのではなかろうかと思われる長さです。
もう少し早く来ていたら何も見えないような状況だったのでしょうか。
二の郭
二の郭方面を見ています。
青い屋根の建物付近に二の郭と三の郭の堀跡が残っているようですが
そちらから来て、真直ぐ主郭を目指して通過してまったので見逃してしまいました(>_<)
大手側から来るより、下段の沼地側から進入して来る方が無難のようです。
普通車以上は主郭下に車を置いて、堀切の散策をすることをお勧めします。
とにかく資料がなく、案内看板に書いてある以外のことは調べてもあまり多くのことを
得ることが出来ませんでした。
詳しい調査はまだ途中のようでこれから解明されていくといいなという段階のようです。
平成31年3月16日登城
【公式】日本城郭検定過去問題集―2級・3級・4級編― | |
日本城郭協会 | |
学研プラス |