むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

岩村城(岐阜県)

2016年05月22日 |  百名城
岩村城いわむらじょう
別名霧ヶ城
構造山城
築城者遠山氏、河尻秀隆、各務兵庫、松平家乗
築城年代1185年(文治元年)、1504年~1521年、1575年(天正3年)~1615年(慶長20年)
指定史跡県指定史跡
場所恵那市岩村町城山 地図
スタンプ設置場所岩村歴史資料館受付窓口(月曜日休館。月曜日が祝日の場合翌日休館)
御城印岩村山荘・まち並みふれあいの舘
城郭検定出題あり

岩村城は別名「霧ヶ城」といい、全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大山城の一つです。



藩主邸

慶長6年(1601)松平乗によって構えられたが、明治14年に全焼したが平成2年に復元された。
ここには歴史資料館もあるのでこちらで見学しつつ、車を置いて登城口から本丸を目指すことになります。
本丸からのルートもありますが、その場合は出丸の駐車場を利用します。


御殿門太鼓櫓



岩村藩の藩校「知新館」の正門



岩村城登城口

この入口脇には二の丸意識して建てられたというお城のような「岩村山荘」という宿泊施設があります。


藤坂

加藤景廉の妻「重の井」が輿入れの際に、生まれ育った紀州藤城村から持参した藤の種から育てた大木があったことが由来。


初門

行く手を遮るようにU字形に大きく曲がっている。
有事の際にはここに臨時の門を構え、通行を遮断するようになっていた。


一の門(第一の門)

櫓門とその脇に単層の櫓「一の門」が構えられていた。


土岐門(第二の門)

岩村城主の遠山氏が土岐氏を破り居城の城門を奪ってここに移したことからこの名がついた。


畳橋

空堀にL字形に架かる木橋を渡って内部に入るようになっていた。
床板を畳のようにめくるとができたことから「畳橋」と呼ばれた。


三重櫓

追手門の脇(正面石垣の上)には、畳橋を見下ろすように天守に相当する三層の三重櫓が構えられていた。


追手門(第三の門)

畳橋から棟門をくぐり直角右に曲がって櫓門に入る枡形門である。


霧ヶ井

岩村城の別名「霧ヶ城」の由来となった井戸。
敵が攻めて来た時、二の丸の宝蔵に収蔵されていた蛇骨をこの井戸に投じると霧が湧いて城を守ったという。


八幡曲輪

遠山氏の氏神で始祖「加藤景廉」を祀る八幡神社がある。


菱櫓

山の地形にあわせて石垣を積んだので建物も菱形になった。


二の丸門・渡り櫓

櫓門や廊下橋が構えられていた。


本丸の六段の石垣

元は最上部のみが高石垣だったが、崩落を防ぐため前面に補強の石垣を積むことを繰り返した結果現在の6段壁になった。


東曲輪

本丸長局の下にある曲輪で二重櫓が構えられていた。


長局埋門

両側の石垣の上に多門櫓を載せ、石垣の間に門を設けた櫓門。
門の内側の細長い曲輪のことを「長局」と呼ばれている。


本丸

納戸櫓などの二重櫓2基、多門櫓2基が石垣上に構えられ、門が3基設けられていた。


こんな立て札もありました。


昇龍の井戸

山頂にあるのに水が枯れることが決して無かったといわれる。


本丸埋門

両側と奥の石垣の上にかぶさるように櫓が載せられていた。
石垣の間の通路には3ヶ所に門扉が設けられていた。


帯曲輪

番所があった。


出丸

二重櫓、多門櫓、太鼓櫓があった。

ここは本丸に近い駐車場(約50台)になっています。
トイレと休憩所もあります。


休憩所内部

パンフレットが置いてあります。







一度目は雪のある真冬に登城を試みて道が凍結していたため登れずに断念。
歩きやすい時期を見計らい再度訪れてみたのですが、やはり石垣が壮大で美しく見事でした。
天守や建物はなくとも誰が見てもすばらしいと思える城跡だと思います。


平成24年1月4日 登城
平成28年5月5日 再登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス