むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
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守口城(大阪府)

2023年12月28日 | 百名城以外の城
守口城もりぐちじょう
別名森口城
構造平城
築城者不明
築城年代室町時代
指定史跡
場所大阪府守口市竜田通1丁目5 地図

室町時代に築かれたと考えられている守口城は、誰が築城したのか
詳しいことは分かっていません。
応永の乱の際、大内義弘の家臣杉九郎が守備していたと伝わります。
石山合戦の際は、石山本願寺の出城として合戦の場となっていますが
織田信長に降伏しています。
現在、難宗寺が本丸と推定され、太鼓櫓が城址を思い浮かべるかのように建っています。



道標

東海道五十三次にある五十七番目にある宿場が守口宿です。
東海道の京都から大阪の間にある宿場は、54伏見・55淀・56枚方
そして57守口となります。





難宗寺

浄土真宗の僧蓮如上人が1477年に創立した守口御坊がはじまりと伝わります。
1611年(慶長16年)に本願寺掛所となり西御坊と呼ばれるようになりました。


守口宿本陣跡

守口宿本陣は、江戸時代の宿駅で、大名・幕府役人・勅使・宮門跡等が宿泊した公認の宿舎です。
この場所が枚方・大坂への人馬継立や荷物の受け渡しをする所だったために、
標準とされる道幅とは大きく違い、広大な道幅となっていることで重要地であったことが伺えます。


大塩平八郎ゆかりの書院跡

白井家の隠居所で、江戸時代の陽明学者で大坂東町奉行所の与力大塩平八郎が、
守口近郷の農民に陽明学を講義したところです。
当主の白井孝右衛門は、大塩の私塾洗心洞の有力門人として経済的な支援を行い、
1837年2月19日(天保8年)に起きた、大塩平八郎の乱といわれる大坂騒動に参加しましたが、
わずか1日で鎮圧され、後に一家には処罰が下されました。


令和5年7月15日登城





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