むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

川越城(埼玉県)

2016年02月23日 |  百名城
川越城かわごえじょう
別名初雁城
構造平城
築城者太田道真、太田道灌、松平信綱
築城年代1457年(長禄元年)、1651年(慶安4年)
指定史跡県指定史跡 県重要文化財
場所川越市郭町 地図
スタンプ設置場所川越城本丸御殿受付窓口・川越市役所観光課窓口
城郭検定出題あり


現存御殿は全国で4例しか存在せず、ここ「川越城本丸御殿」の他には「二条城二の丸御殿」、
「掛川城二の丸御殿」、「高知城本丸御殿」があります。



スタンプを押しに行った、平成23年1月16日に行った時は保存修理工事中で見学することが出来ませんでした。

今回は本丸御殿を観に来ました。

本丸御殿

松平斉典により再建された。
大唐破風と霧除け庇の付いた玄関。
銅板葺きの巨大な唐破風屋根が象徴的です。


本丸御殿玄関

8寸角の太い柱が17万石の大名の威厳を表しているようです。


使者の間

身分の高い客の付き人が待機したり、使者が面会した場所です。


番抜、老体詰所



物頭詰所



廊下 (東側)

公的空間と私的空間を区分けして廊下に使われている床の材質が異なっています。
こちらは玄関のある東側の廊下で、ケヤキが使われています。


中庭

明治棟廊下から観た中庭。


西側の廊下

こちら側の床板はツガやマツが使われています。



大廊下の跡が見られる庭。柱の位置が確認できます。


家老詰所

川越藩の政務は家老中心に行われていた。
ふじみ野市の個人宅にあったものを移築復元しました。





平成23年1月16日登城
平成28年2月21日登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

足利氏館(栃木県)

2016年02月20日 |  百名城
足利氏館あしかがしやかた
別名
構造平城
築城者足利義兼
築城年代平安時代末期~鎌倉時代初期
指定史跡国指定史跡
場所足利市家富町2220 地図
スタンプ設置場所鑁阿寺本堂
城郭検定出題あり

足利氏館は、1196年(建久7年)に持仏堂を建立して大日如来を祀っています。
鑁阿寺は、室町将軍家や鎌倉公方家など足利一門の氏寺となっています。
周囲は堀と土塁が巡っており、足利氏の居館としていました。



鑁阿寺太鼓橋

鑁阿寺正面入り口の堀に掛けられた反り橋です。
内部の天井は格天井で、格子の型に組まれ、堀の縁石には切石の橋脚が利用されています。
江戸時代後期の建造物で、屋根付きのめずらしい橋です。


仁王門

反橋を渡ると、山門(仁王門)があります。
この山門は足利幕府十三代将軍足利義輝の再建したもので、両側の仁王像は桃山時代の作です。


案内石板

山門を抜けた先にある石製の案内看板があります。


本堂

本堂は鎌倉時代に足利義兼が持仏堂として建立したものを、足利義氏が大堂を建立しました。
しかし、1129年の火災で失いましたが、尊氏の父・足利貞氏により
正安元年に再建しました。
ご本尊様は胎蔵内大日如来で、後方壇に弘法、興教の二大師、開基鑁阿上人像をはじめ、
明治維新まで、堀の外に祀ってあった塔頭十二支院の御本尊を安置しています。


多宝塔

足利義兼の創建と伝わりますが、江戸時代に徳川五代将軍の母、桂昌院尼公の再建したものです。
金剛界大日如来と勢至菩薩をお祀りしている。
参拝者には「お種銭」が配られ、種銭を持っているとお小遣いに不自由しないと言われています。


鐘楼

この鐘楼が建てられたのは本堂と同じ時期となりますが、その後再建されています。


東門

四方に門を設け、土塁と堀が巡っています。
東門は、開基以来の創建ですが、現在残されているものは
1432年(永享4年)に公文所奉行の再修されたものです。


水堀と土塁

鑁阿寺の周囲を水堀と土塁が巡っています。
この光景は中世武士の館としての見所となっています。


100名城のひとつだったことで最初に訪れた時は、これが城?と疑問でした。
城というよりは館跡ということになるのですが、城という感覚はなかったのであまり興味も湧かずに
スタンプだけ押してさらっとやり過ごしてしまいました。
それから多くの城跡や史跡を巡っているうちに、もう一度行ってみようと思い再度訪れたところです。
その他、近くには足利学校がありますので、そちらも合わせての訪問をお勧めします。


平成22年7月11日登城
平成28年2月14日再登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

宇都宮城(栃木県)

2016年02月17日 | 百名城以外の城
宇都宮城うつのみやじょう
別名亀ヶ岡城
構造平城
築城者藤原宗円
築城年代1053年
指定史跡
場所宇都宮本丸町 地図
城郭検定出題あり

宇都宮城は平安時代後期に築かれ、中世には宇都宮氏が500年にわたり城主をつとめ、
江戸時代には譜代大名の居城としていました。
関東七名城の一つとして知られています。









本丸は土塁と堀に囲まれています。


案内看板






清明台

本丸の土塁北西部にあった櫓で、二階建ての瓦葺きで天守閣の役割を果たしていたのではないかと考えられています。


清明台内部






富士見櫓

本丸の土塁南西部にあった櫓で、二階建ての瓦葺きでその名のとおり江戸時代には富士山が見えたのではないかと考えられています。


富士見櫓の模型












宇都宮城模型



土壁の構造




宇都宮城の特徴は将軍が日光参詣に行くときに宿泊した定宿城だったことである。
本丸の御成御殿に将軍が泊るということで将軍の暗殺を企てたという「釣天井事件」
という講談が創作されました。


宇都宮城炎上



平成28年2月14日登城



日本城郭検定公式問題集 日本100名城編
日本城郭協会
学研パブリッシング