むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

岡崎城(愛知県)

2015年05月05日 |  百名城
岡崎城おかざきじょう
別名竜城
構造平山城
築城者西郷頼嗣 田中吉政
築城年代1455年(康正1年) 1590年(天正18年)
指定史跡市指定史跡
場所岡崎市康生町 地図
スタンプ設置場所天守1階

岡崎城は徳川家康が生まれた城です。
家康(幼名竹千代)は6歳の時今川の人質に差し出され、途中織田方に奪われました。
その後織田と今川の人質交換として今川方に人質として差し出されました。
13年の人質生活を経て岡崎城に帰還したのは19歳の時でした。


復興天守

城内は歴史資料館になっていて、各階テーマに沿った展示物が展示されています。
天守閣正面にある「家康公遺言碑」と「東照公遺訓碑」が出迎える。
復興天守は3層5階で最上階には廻縁を造り、岡崎市内を一望できるようになっています。


家康公・竹千代像ベンチ

これってベンチだったんですね。
何度も行っているけど座ったことなかった^^;


からくり時計

三河武士のやかた家康館前の広場にあるからくり時計。
能を舞う家康人形は30分ごとに登場!


三河武士のやかた家康館

ここでは特別展や企画展など展示の催しがあります。
今回の岡崎城訪問は、「戦国無双の刀剣展 in 岡崎」を見たくて岡崎城にやってきました。


石田三成の鉄扇

群馬県富岡市出身の刀鍛冶「石田四郎國壽」氏が造った鉄扇。


前田慶次の単鉤型鉾(二又矛)


本多忠勝の大笹穂槍(大槍・蜻蛉切)



大谷吉継の采配(仕込采配)



真田幸村の十文字槍

とてもご近所に刀鍛冶の鍛刀場があったことも知らずにいました。
こちらの展示品を見てびっくりしました。


平成24年6月23日登城
平成26年5月6日再登城
平成27年5月5月再登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

岡山城(岡山県)

2015年05月04日 |  百名城
岡山城おかやまじょう
別名烏城・金烏城
構造平山城
築城者金光氏、宇喜多直家、宇喜多秀家
築城年代1521年~1527年、1570年(元亀元年)、1597年(慶長2年)
指定史跡国指定史跡 国重要文化財
場所岡山市北区丸の内 地図
スタンプ設置場所岡山城天守閣入口(休館日12/29~1/3)
御城印岡山城天守閣1階 おみやげ処
動画日本の城郭 面白・残念ネタシリーズ

岡山城は1573年(天正元年)に宇喜多直家により築城が始められ、1597年(慶長二年)に完成しました。
昭和になって残っていた天守閣など4棟の建物は相次いで国宝に指定されました。
しかし、1945年(昭和20年)6月29日の米空軍による岡山大空襲により、
天守・石山門、そして岡山一中校舎は消失してしまいました。
高度経済成長期に入り、旧藩士を中心に岡山城再建期成同盟会が結成され
コンクリート造りですが外観はほぼ昔のままの威容を取り戻しました。



外観が黒いため「烏城」と呼ばれる岡山城。
宇喜多直家が築き、池田氏が明治維新まで城主となる。



不明門を横に見る。本段御殿への正門で普段は閉じられていた門なので不明門と名付けられている。


不明門

岡山城は32棟の城門で守られていたのですが明治維新後に廃城となり一つだけ残った石山門も空襲で焼失。
現在は不明門が天守閣再建の際、一緒に再建されました。


天守閣

三層六階の望楼型天守閣で、明治維新後も残っていた天守は昭和20年の空襲によって焼失してしまいました。
現在の天守閣は昭和41年に再建されたものです。



城内にはいろいろな展示物や体験コーナー、土産物屋に茶店があります。


金の鯱鉾

金の鯱鉾と言えば名古屋城ですが、ここ岡山城にもあるんですね。


着付け体験

天守閣2階にてお殿様、お姫様の衣装を着て自前のカメラで撮影できます。



訪れたこの日は偶然この着物を寄贈した作者に直接会うことができました。


月見櫓

江戸時代初期の隅櫓で、二階に廻り縁を設けて開放的に造られており
日常生活にも利用できる構造となっています。
二代目藩主池田忠雄の代に完成した建物で重要文化財となっています。



本丸中の段から見た天守。
金の鯱鉾と金箔瓦が映える


鉄門跡

かつてはここに、切妻造りで扉には短冊形の鉄板を打った、
総鉄板張りの厳重な櫓門がありました。


本丸大手口

目安橋を渡り、大手口から堀を見ると水鳥の餌小屋がる。



平成27年5月4日登城


御当地グルメ・おみやげ

珠玉のお茶

GWだったためか、岡山城正面入り口前にお店が出ていて、
抹茶ときびだんごを目前に迫り来るお城を眺めながらいただきました。



日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本城郭協会
学研プラス

赤穂城(兵庫県)

2015年05月03日 |  百名城
赤穂城あこうじょう
別名加里屋城・苅屋城・仮屋城・蓼城
構造平城、海城
築城者浅野長直
築城年代1648年(慶安元年)~1661年(寛文元年)
指定史跡国指定史跡
場所赤穂市上仮屋  地図
スタンプ設置場所本丸櫓門下・赤穂市立歴史博物館
城郭検定出題あり




案内図

赤穂市立歴史博物館の無料駐車場に車を停めて清水門より入城。
門を抜けると案内看板があります。


清水門から近い三の丸方面と武家屋敷から見て回ることにしました。




大石内蔵助邸長屋門

「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助の屋敷門。
元禄14年3月の主君刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。


大手隅櫓
建物は明治11年に取り壊されたが古写真をもとに昭和30年に復元された。

武家屋敷跡では他に大石神社や近藤源八屋宅跡を訪問。




二の丸門を抜けていよいよ本丸へ。


本丸門(高麗門)

お堀を覗くと・・・鯉ですかね^^;
そっちじゃなくて横矢掛けの枡形門を見ましょうよ。
白壁には沢山の狭間があります。


本丸門(櫓門)

ガイドさん曰く、復元した櫓門の梁は、一番太いものが三千万円したそうです。


本丸御殿跡

正面に天守台、眼下に広がる御殿跡は御殿の間取りを原寸大で表している。




城内は広いので歩き疲れて三の丸の番所で一休み。


赤穂藩、忠臣蔵が色濃く前面に押し出された城跡で平城で横矢が多用されたとにかく平な城郭でした。



平成27年5月3日登城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
日本城郭協会,福代徹
学研プラス

津山城(岡山県)

2015年05月03日 |  百名城
津山城つやまじょう
別名
構造平山城
築城者森忠政
築城年代1604年(慶長9年)
指定史跡国指定史跡
場所津山市山下 地図
スタンプ設置場所津山城備中櫓受付
別名津山城備中櫓
城郭検定出題あり



関ヶ原の戦いで東軍に寝返った小早川秀秋が戦功により岡山藩51万石を与えられたが
2年後に21歳の若さで死去。
後継ぎがなかったため取りつぶしとなる。
翌年森忠政が信濃川中島藩から移って来て鶴山城のあるこの地を「津山」と改名し、
津山藩が立藩され津山城が築かれた。


案内看板

津山城跡入り口料金所前の案内看板


津山城復元図



備中櫓

指図を基に再建された備中櫓
鳥取藩主池田長幸が津山城を訪れるのを機に造られたとされる。


備中櫓1階


すべての部屋が畳敷きで、廊下も畳敷きになっており、階段の踊り場までも畳敷きになっています。


備中櫓2階 御上段

壁紙は森家の家紋が透かしで入っています。


天守台から望む備中櫓

天守と櫓門で繋がっていた。


天守台

左側の建物はトイレ。


天守台出入り口

昭和11年に姫津線全通記念産業復興大博覧会の開催に合わせて木造の模擬天守が建てられたのですが昭和20年の空襲で標的にならないよう取り壊されました。
この時建てられた模擬天守は破風の無い層塔型五重天守ではなく千鳥破風のある天守台よりも小ぶりな建物だったようです。


天守台内部

地下1階のこの部分を穴蔵といい、ここから階段を上って天守1階に出る構造になっていた。

余談ですが、この写真の右中央の色の濃い石垣の石はハート型をしているらしい。
当時そのことを知らなかったのでハートが切れた形で撮影してしまいました^^;


七番門虎口跡











色付櫓跡の石垣


石垣と多くの櫓跡で1度行っただけでは見きれない。
訪れたこの日も雨の中、閉館直前で入り口で備中櫓に連絡を入れてくれて係員の方が待っていてくれました。
早足で巡ってきたので見逃した点もいっぱい(TT)



平成27年5月3日登城



日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき
日本城郭協会
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