むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小田井城(長野県)

2023年06月19日 | 百名城以外の城
小田井城おたいじょう
別名
構造平山城
築城者小田井吉六郎副親
築城年代大永年間(1521~1528年)
指定史跡町指定史跡
場所長野県北佐久郡御代田町御代田 地図

小田井城址は、宿の東側の谷を挟んだ場所に位置する。
1543年(天文12年)正月の休戦に入ったところを武田軍に急襲され落城となった。
城主は討ち死に おんなと子どもはくぐり岩という抜け穴を通って氏神の十二の杜に逃げたという。
築城からわずか23年でした。
城主の子市村(小田井)弾正は戦国の動乱期 北条につき、小田井城は北条方の拠点となる。
徳川方の依田信蕃によって攻め滅ぼされ、小田井城は廃城になります。
高原野菜の畑となった城跡には、今も 空堀、土塁が残ります。




県道132号線から「アサヒ紙工株式会社」入口に向かって南下します。


虎口

道なりに農耕地へ向かって進んで行くと、虎口と堀が見えて来ます。
堀跡の標柱も立っているので遺構がわかりやすいです。


W字型の堀

そして城域への入口となるこの堀切は、「W字型の堀」と呼ばれる溝の中でダブルになった堀があります。


堀跡

道を挟んで反対側にも堀があり、こちらは木々が無い分、明るく見やすくなっています。



真っすぐ道を進むと、大きな城域を三つに区切るかのように、堀が見えて来ます。
その堀の袂に案内看板が設置されています。


案内看板

カラーで縄張りの様子も分かりやすい立派な看板です。



堀は西に向かってT字に掘られています。


井戸跡

そして、更に奥へと進み、主郭までやってきました。
スリバチ畑と呼ばれる、すり鉢状の場所にマイマイ井戸があったようです。
緩く浅い窪地の中央に井戸があったことが分かっています。


主郭

舌状台地の先端となる場所です。
先端と言えど、かなりの広さです。


馬頭観音

農耕車の通る道沿いの片隅に、馬頭観音がありました。
いつの時代のものかわかりませんが、
人間のために働いてくれた馬たちへ供養の為に立てられたのかもしれないですね。



こんな感じで急峻な崖と、底に流れる川を攻めてくるのは容易ではないことが
お分かりいただけると思います。



南端から北へ向かって見た光景は、とにかく主郭が広い!
この城は戦後期より幾度かの争いで城主が変わり、改修され実戦の場となっています。
しかし、この広大な城に見合った兵力は整わず、大きな城であるゆえの守りの難しさもあったようです。



幾度かの改修により、その時代にあった戦略に対抗するためにこれだけの巾のある
堀を築いたので



西側へやって来ました。
この方向に「くぐり岩」という気になる岩があるようなので見に行ってみました。


くぐり岩

何枚か撮影してみたのですがうまく撮れませんでした。
肉眼で見ると、確かに岩に穴が開いて、そこから川の方へ抜け出ることが出来そうです。
三方を崖と川の要害となっており、攻めるのも大変ですが、逃げるにもここを通るしかなかったのかもしれません。





小田井城の西側に旧中山道が通り、小田井宿の宿場の様子も見ることが出来ます。
古い町並みが今でも残り、道沿いの建物も宿場の雰囲気をしっかり残してくれています。



令和3年1月3日登城


今回の参考本



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