むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

獅子ヶ谷城(神奈川県)

2018年03月26日 | 百名城以外の城
獅子ヶ谷城ししがやじょう
別名御薗城・獅子ヶ谷殿山
構造平山城
築城者小田切氏
築城年代1597年(慶長2年)
指定史跡
場所横浜市鶴見区獅子ケ谷3-10 地図

獅子ケ谷は熊野神社の直轄地で、獅子舞を司った地域であるころから「獅子ケ谷」と名づけられたと言います。
その獅子ヶ谷の地に小田切氏が築いたと伝わる獅子ヶ谷城があります。
小田切氏は信濃国佐久郡小田切村の土豪で、武田信玄の家臣でしたが、
長篠の戦いで小田切光季が戦死し、武田氏滅亡後に光季の子光猶が徳川家康に仕えたとされています。


獅子ヶ谷横溝屋敷

横溝家は16世紀末の慶長年間から獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた家です。
そして、この屋敷の裏山が目的地の獅子ヶ谷城です。


駐車場

通路に見えるこの場所は5台ほど駐車出来る駐車場のスペースとされています。
木製の看板が出ていますが駐車場の文字が不鮮明なため通り過ぎてしまいます。
イベントなど混み合ってる場合は徒歩5分の「トレッサ横浜」の駐車場が利用可能です。



もう、すっかり春の装いです。


登城口

午前9:30~午後4:30の間であれば、ここから登城することが出来ます。



登城道は整備されていてとても歩きやすくなっています。


獅子ヶ谷市民の森

登り始めて間もなく、頂上に到着。
頂上広場が主郭になります。



主郭はわりと広く、隅の方には小学生が作物を作っていると思われる小さな畑もあります。
隣接する「ペガサスマンション大倉山」の屋上を見下すと、マンション屋上へ通じる道もあります。



一見、広い一面があるように見えたのですが、見る方向を変えてみたら
平地に段差が付いていました。
大きな段差ではないので公園として改良された際のものなのか遺構なのか
見分けはつきません。



登って来た横溝屋敷とは反対側にも登城道があるようです。
こちらは地図で見ると「師岡南谷戸第二公園」の方に続いているようです。



一段下がったフェンスの外側には帯郭と、主郭から下を覗き込んだ竹藪の中は堀らしきものが見えます。
写真は撮ってはみたものの、うまく写っていなかったので掲載は断念。




横溝屋敷が開いていない場合は「ガレージHASE」(この写真の奥)の先に登城口があるのでこちらから
登城することが出来ます。
また、先程主郭から見た道で「師岡南谷戸第二公園」側からも登城できるようです。


また元の道に戻って横溝屋敷へ。
せっかくなので見学して行こうと思います。


管理棟

横溝屋敷は慶長年間まで居住していた武田方の小田切氏が武田氏滅亡後、
徳川氏に仕え江戸に移住した際に屋敷の一部を名主の横溝氏に譲りました。


穀蔵

1841年(天保12年)に造られた穀蔵です。
中には農家で使う道具や農機具などが展示されています。
養蚕、脱穀、食品加工と貯蔵についての資料が展示されています。


主屋

普請帳によると、1896年(明治29年)頃建てられたようです。


蚕小屋

主屋と同時期に建てられた建物です。


広間

雛まつりは過ぎましたが、広間から仏間と座敷まで雛人形が飾られていました。
今はコンパクトな雛飾りが多くなって来て、この規模の雛飾りは家庭では
あまり見なくなってきているのではないでしょうか。
すごく古いというものではないのですが7段飾りがいっぱい飾られています。


納戸

納戸から見える庭園。


階段

階段の奥に見える部屋が納戸です。
昭和の時代にはこのような昔ながらの和風家屋が残っていたので懐かしさを感じます。


二階(蚕室)

二階は農耕と農村生活についての資料を展示しています。
村絵図、獅子ヶ谷村地形模型、食と住の民族資料が展示されています。

江戸時代には水田を開墾し、明治になると横浜港から輸出する
お茶、生糸などの生産をしていました。


縁側

縁側があると、そこで座って一休みしたくなります。
日当たりも良く、とても落ち着く場所なんですよね。
その先には中門が見えます。
格式高いお客さまが訪れた時用の門で、直接座敷の方へ行けるように造られているそうです。


表門(長屋門)

祈祷札から1847年(弘化4年)に築かれた長屋門です。
横溝家から寄贈され修復工事を経て、
今は観光客や農村生活の体験にやってくる市民を出迎えています。

表門と道路の間には水田があり、横浜市民限定ですが稲作の体験が出来るようです。



年間を通していろいろなイベントが催されていて充実した施設のようです。
今回城址としての資料や史跡の案内は得られなかったので
獅子ヶ谷城の詳細はわかりませんでした。
しかし、昔の日本家屋も好きなので横溝屋敷があったことで充実した気分でした。



平成30年3月4日登城



横浜の戦国武士たち (有隣新書70)
下山 治久
有隣堂

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