11月の初め、豊田市御内町の森歩きをしました。
案内してくださったのは、御内町に住む藤澤あやさん。彼女は数年前、持ち山を整備して、ゴンゾレトレイルと名付けた気持ちのいいフィールドを作りました。GONZORE TRAILの森を訪れました。 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)
その彼女の厚意で、御内の私有林とトレイルを友人たちと歩くことができました。
はじめは上りの山道。ほぼ人工林なのですが、足元がちょっと不安定なので、ついて行くのにやっとの私は写真を撮れず。写真は同行した友人が撮ったもの。
この日、自分で初めて撮ったのがこのボケ写真。虫が食べている最中のどんぐりです。これは初めてみました。
最初の休憩地でようやく撮ったのがこちらの苔です。ふわふわ。キツネのカミソリ(雷の褌とも)も青々としてきれいでした。
緩やかな傾斜の山道が続きます。陽の差す林が美しい。
苔はあちこちに。これは2種類の苔?
数年前に間伐したそうなのですが、間伐の仕方がとても整っているように、素人目にも思えます。そして切った間伐材の置き方も丁寧。土砂崩れなど自然災害を防ぐよう、目的をもって置いているのがわかります。
道の下には湿地帯が広がっています。間伐の折、極力注意を払って、苔にダメージをおわせないよう作業したそうです。
道の左手、山側にも湿地帯が。
こちらに移住してから私が知っている人工林は、うっそうとして暗く、湿っていて、光が差さないので下草が生えない、まるで死んだような森ばかり。こういう明るい人工林、というのにほとんどお目にかかったことがありません。
ずっと間伐を続けてきた森ではなく、国産材の需要が減ってからは半ば放置されていたはずの森をここまで回復させるには、相当の手間と時間がかかったはず。広葉樹の原生林の森を歩く時とは違う種類の感動を覚えました。すがすがしい。人の手の入った森がこんなに気持ちいとはびっくり師でした。
以前、豊田市主催の自然観察会に参加した折、植物に習熟した北岡明彦氏が、「人工林であても、手入れをきちんとすれば原生林に引けをとらない素晴らしい森になる」とおっしゃったのは、ほんとにこのことだなと実感しました。
針葉樹が主体ですが、広葉樹もちらほら。美しく紅葉した木は、シラキだそうです。
子供たちは元気に先を行きます。時々こんなことする子も。
御内は林業が盛んな土地で、明治期から植林が行われていました。村の人たちは、山深い集落からどこへ行くにも山道を歩いて行き来しました。
赤い目印は五差路の真ん中というしるし。「役場道」「学校道」そのほか、山の畑へ行く道などなど、人々が行きかった細い山道がいくつもこの山には残っているそうです。
こちらは大木の山桜。花の咲くころ、見に行きたい。そういえば、3月の終わりから4月の初めころ、車で走っていると、山々に淡いピンクの花の塊をたくさん見かけます。あの山桜を間近で見たことはなかった。いつか木の下で見てみたい。
山を下ると川が現れました。この川を越すとゴンゾレトレイルのフィールドです、。
この日の行程のうち、私が最も自信がなくて、みんなについて行けるかどうか心配だったのがこの川渡り。長靴で行けばいいのですが、この場所のためだけに歩きにくい長靴をはきたくいし、リュックに長靴を入れてしょって歩くのもたいへん。
それで、みんな同様、裸足になってわたりました。実は私、昔これよりもっと山深い場所の沢で濡れた石にすべって転んでメガネを割り、割れたメガネをかけたまま、車の運転をして帰宅したことがあるのです。だから、濡れた石の上を歩くのは、かなり怖かった。でも、若い友人たちが次々に手を引いたり手を差し伸べたりしてくれて、難なく通過できました。写真真ん中の赤い帽子をかぶっているのが私。
それにしても、山の中の清流は澄んでいて、そして冷たい。後しばらくしたら足を入れるのもはばかられるほどの冷たさになりそうです。
ゴンゾレトレイルの「ゴンゾレ」は「金蔵連」という地名からとったもの。武田信玄が金を採掘した跡地があるときいたので、この地名になったのかなと思いましたが、あやさんによれば、それが地名の由来になったかは不明だとか。あやさんたちはこの「金蔵連」に住んでいるのですが、いまや集落に残っているのはわずか5軒だけ。それも彼女の家以外はみな高齢者。
豊田市に合併してからは「金蔵連」という小字名はなくなったので、せめてこの言葉を残そうと、名付けました。
あやさんは、このトレイルの整備をはじめてから精油と芳香蒸留水のブランド「Sunlit Earth」を立ち上げました。スギ、ヒノキ、クロモジ、タムシバ。すべて、御内の森で採取した植物です。それぞれの植物から、その植物が持つ成分のもっともよく醸し出される時期を待って採取し、しかも、採取には、元の木の生長を阻害しないようおもんぱかりながら進めます。
かぐわしい香りは、この森の中で嗅ぐと、いちだんと気持ちを落ち着かせるような気がします。私は、スギの精油を購入しました。ミョウバン水を作って自家製の芳香蒸留水で薄め、その中にこの精油を入れて、ルームコロンにしようと思います。
この地は、整備するまでは、スズ竹があたり一面を覆っていたそう。刈るだけではすぐにまた生えてくるし、しかも根っこが危ないので、根こそぎ除去し、いまのこのやわらかな地面に戻しました。
トレイルとしての使用のほか、自然観察会やライブそのほかさまざまの活動場所として企画実行したり提供したりしています。
帰り道は、なだらかな地道をゆっくり歩きました。ところどころ沢が流れていて、岩川に合流します。
山をあるくとなぜか必ず見かける朴の落ち葉。高木なので、その辺を見渡しても木のありかは見つからない。
行きの人工林とは違って、多種の広葉樹がたくさん育っている岩川沿いの道。今はほとんどこんな道は見られなくなりました。この日初対面だった女の子たちは、手を取り合って仲良く歩いています。
この日は、人の手を入れてバランスのいい森になりつつある人工林と、黄葉の美しい自然林の両方を堪能することができました。桜の時期や新緑の時期は、また違った趣があるのだろうな。ぜひまた、訪れる機会を持ちたいと思います。
数日前、稲武地区の大栗山にあるオオキツネノカミソリ群生地に行ってきました。ずっと前から見たい見たいと思いながら、なかなか開花期にちょうどうまく訪れることができないまま、何年もたちました。
今回はたまたま山歩きを予定していた日が運よく開花時期に間に合い、数年越しの願いが叶いました。群生地は、県道沿いに車を止めて山に入り、およそ600mほどで登ったところにあります。沢筋の苔むす岩々も風情があります。写真上の赤い実は、ウワミズザクラ。きれいなオレンジ色です。
同行した友人の子供が見つけたエビガライチゴの実。この実はイチゴのうちのひとつぶ。大きなイチゴのようです。見たかった。
よく見かける苔ですが、名前を知らない。草は、チャルメル草の一種だそうです。
アブラチャン。
うちにもある洋種ヤマゴボウですが、やけに生育がいい。近くに水があるせいか、日陰だからなのか、立派過ぎて別の草に思えました。
こちらも稲武のたいていの山同様、スギヒノキの人工林となっています。でも、間伐がさほどされているようでないのに、暗くはないのは、オオキツネノカミソリ群生地の保護のために、人々が行き来しやすいよう手入れしたおかげかもしれません。
これはアワブキ? 燃やすと泡が出るからこの名前がついたそうです。
オタカラコウという葉の大きな植物。うちの裏の林にもあります。こちらに来た頃は、この草とフキの区別がつきませんでした。
いい写真が撮れなくて残念なのですが、小さな谷川はきれいで、こもれびが心地よく、群生地までの山道はときどき急坂はありますが、おおむねなんとか私の足でもたどり着けました。
山歩きしていると、しばしば見かける岩や切り株を一面に覆う苔やシダ植物。見ていて飽きない風景です。そこに一株何かの苗が育っているのを見ると、さらに愛しい。
マツカゼソウ。可憐な白い花が咲いています。葉っぱもかわいい。
シダなのですが、これは覚えやすいシダです。裏表どちらもほぼ同じように見えるのです。だから名前は、両面シダ。
コクサギだそうですが、この植物、クサギとは無関係だそう。
でも、臭いことは臭い。変わっているのは、葉のつき方。ふつうは、対生か互生。葉が茎に対して向かい合っているか、互い違いになっているか、なのですが、こちらは、右右、左左・・・と二枚ずつ同じ側についています。そして茎をよく見ると、ぐるぐるっと回っています。なんなんだろう。コクサギ型序列というのだそうです。
こちらも白い花。
群生地に近づきました。想像以上に広い場所です。
このあたり一帯は、木地師たちが住みつき、木を伐っては道具を作っていたそう。オオキツネノカミソリは、彼らが薬草として使うために栽培していたということです。ケヤキは村人が神社建立のために苗を植えたものだとありますが、このケヤキも生地の材料として大事なものだったのでしょう。
木地師の集落や住居跡はまったくありませんが、炭焼き窯のあとはあります。このあたり一帯、あちこちにみられるのだそうです。木地師集団とは別に炭焼きを専業とする集団がいたのか、それとも村人たちが副業で携わっていた仕事の場所だったのかは不明です。
オオキツネノカミソリは彼岸花と同じ科で、春は緑の葉があるのですが、花が咲くころは葉がなくなっています。おしべが花弁より長いのがオオキツネノカミソリで、短いのがキツネノカミソリなのだそうです。
オオキツネノカミソリの群生地にはケヤキが。周囲は針葉樹で囲まれているのに、こちらは広葉樹地帯になっています。上の方に黄緑色の葉が見えます。新緑の時のようにきれい。
群生地は、ぐるっと一周できるように整備されています。
例年は盆過ぎが見頃だそうですが、今年は一週間ほど早め。まだほとんどつぼみばかりの群落もありましたが、ほぼだいたいピークをちょっとだけ過ぎている感じでした。でも、夢のように続くオレンジ色の群れは、見ていて飽きない。
草アジサイというのだそうです。確かにアジサイっぽい。
こちらはカエデだそう。カエデといえば「カエルデ」から来た名前といわれるくらいだから、みんな水かきのようなものでつながっている形の葉だとおもっていたら、こんなのもあるのだそうです。名前はミツバカエデ。言われてみれば、たしかに葉っぱは3枚ずつになっています。3枚一組でミツバカエデ。
あまり記憶が定かではないのですが、こちらに越してきたばかりのころ、地元の人に誘われて、「オオキツネノカミソリを守る会」に参加したことがあります。種取りに行ったのだと思う。その当時は、今ほど群落が広くなかった気がします。地元の人たちの努力で、ここまで自生地を広げたのではないかと思います。
多分、100年以上前の人たちが植えた薬草が、こうして後代の私たちの目を楽しませてくれているのだなとおもうと、なんだか感無量です。白っぽい肌のケヤキとオレンジ色のオオキツネノカミソリ。美しい夏の日の思い出になりそうです。
1年半前に一度訪れたことのあるハッピーマウンテン。幸山明良さんが切り開いた山に牛を放ち、育てている山です。昨年再訪の計画をたてたのですが、パンデミックのため断念。先月やっとかないました。
以前は、幸山さんが開墾した山に牛は放たれていましたが、いまは、山のふもとに囲いをつくり、一か所に居住(?)。山の放牧場はただいま、牧草を育てている最中だそうで、いずれはまた前のように山のあちこちの草を食べながら行き来できるようにするのだそうです。
1年半前より頭数は増え、現在雌6頭に雄が一頭になりました。雄はまだ少年。もうじき青年になり生殖可能になるのだそうです。
牛とともに彼が飼育しているのはチャボをはじめとする鶏。牛にとってはなくてはならない存在です。
牛にたかる無数のアブ。そのアブを好んで食べるのが鶏。背中を襲うアブをたたいて鶏にやると大喜びします。この日一緒に行った子供たちは、じきにアブたたきに熟達し、鶏に餌をたくさん供給できました。
牧場内にしかけた罠にかかったり、近隣で仕留めたりした害獣の肉のうち人間の食べない部分も、鶏の大好物。細かく切って与えます。
以前もさせてもらったカウカドリング。手のひらを握るか広げるかして最初に牛の鼻先にもって行き、匂いを嗅いでもらう。彼女は私のからだを嗅ぎまわり、しばらくすると、そのまま私の膝に顔をうずめました。「もう友達になりました」と幸山さん。牛の腹から背に向かってなでてやると喜ぶというので、あちこちを撫でさすりました。私が慣れたせいか、前よりリラックスして身を預けることができました。牛の鼓動が聞こえます。気持ちいい。
のんびり育った牛はゆったりと人間を受け入れてくれるのだな、と思っていたら、そうとは限らないこともごくたまにあるとか。「人間が先輩風を吹かせているといやがります」と、幸山さん。居丈高だったり乱暴だったりすると、牛は敏感に分かるのでしょう。匂いも関係しそう。整髪料や合成洗剤、柔軟剤、化粧品の匂いの強い人も、嫌がられるかもしれないなと思いました。
私が寄りかかっている牝牛の名前はリツ。昨年牧場内の崖で滑り落ちて重症を負い、再起が危ぶまれましたが、幸山さんの看病で一か月後に立ち直り、その後、ひとつきかかってリハビリ完了。背中には重症を負ったときの傷が今も残っています。
唯一一頭だけいる雄は、ひときわ活発。雄は気が荒く、人間の手では御しがたいので、いま大抵の酪農家は牡牛を飼わずに人工授精で子牛を出産させています。
でも、幸山さんがおっしゃるには、牡牛がいるかいないかでは、牛の集団行動にはっきり差が出るのだとか。牝牛と子牛だけだとクマが襲いに来るそうですが、一頭でも雄がいると、敬遠するのだそうです。場内の移動は順番が決まっていて、その順番があることで秩序が守られ、いざというときの助けになるのだそう。「一頭だけだとパニックになる。牛は群れでないと生きられない動物なのです」
幸山さんはただいま、一頭だけいる少年牛を、心優しくたくましい牡牛に育てることに力を入れています。
牧場内は、3年前開拓を始めたときは一面の笹原でした。その笹原を牛が食べ、場内は徐々に本来の多様性を取り戻しはじめました。
大きな葉にびっくり。桐の葉です。毒草のタケニグサもあちこちに。大きくておどろきました。牛糞のおかげか、土地が肥えているのでしょう。
前にはなかったゲル。なかでコンサートや小さな集会のできる広さがあります。
寝泊まりもできます。
マウンテンツアーは、牛を含めたこの山の自然を見て触って匂いを嗅いで楽しむ会。この日のツアーの最初は、キノコ栽培している湿り気のある場所から始まりました。途中の道には、牛たちが好んで食べている笹が。まだまだあちこちに群生しています。
幸山さんに勧められて、笹の先っぽの芽を出したばかりの葉を食べました。柔らかくて甘い。いけます。整腸作用があって、これを食べると便の切れが良いのだそう。野雪隠のおり、笹ならその辺にあることが多いから手ごろな拭き紙になりそうです。ただし柔らかい葉に限りますが。いいことを聞きました。
案内されたのは、苔が育つにふさわしい場所。よく見ると異なる種類の苔がいろいろ育っています。
こちらに来て無類の苔好きとなった幸山さんは、苔テラリウムのワークショップも開いています。
こちらは、ハッピーマウンテンの周辺にある散策路。作られたばかりらしい立派な桟道が、歩きやすくて格好よくて、楽でした。
ソヨゴです。近くにアブラチャンもあったのですが、写真を撮り忘れました。ソヨゴは昨年ある染色家の方法で手順を踏んで染めたらいい色が出ましたが、アブラチャンも染め材料になりあmす。以前一度だけ染めことがあるのですが、アルカリ抽出できれいな茶色っぽいピンクが出ました。薬効もあるようで、今度どこかで見つけたらハーブウォーターにしてみたいと思っています。
トラノオも咲いていました。
乾燥した牛糞。前に来た時も驚きましたが、全く匂いがない。食べるものがいいとこんなに匂いが違うのかと感動しました。こちらはだいぶ土と馴染んだ糞のようです。
問題のある飼料を一切食べていない牛糞は、肥料としては貴重品。
冬場、このあたりは他の草が全部枯れても笹だけは豊富。だから、牛の主要の食べ物は固い笹です。その笹を分解できる胃袋が反芻によってつくられ、何億ものバクテリアが住み着きます。そしてそれがたんぱく質に合成され、植物だけ食べているにもかかわらず、立派な筋肉を作るのだそうです。
ハッピーマウンテンの頂上。前方は南信州の山々です。ところどころカラマツが。この日、下界は相当な暑さだったと記憶していますが、こちらは別天地。
ここで昼食を取りました。
差し上げた黒パンを、いつも身に着けている鉈で切る幸山さん。ワイルド!
2か所に設置されたブランコ。ブランコなんて久しぶりに乗ったので、漕ぐ、という行為をあえてしなくてはちゃんと揺れないことをすっかり忘れて、ただぶらぶら揺れていました。それでも、十分楽しかった。写真は友人。
枯れかけたカラ松も。でも、下から幾本も枝が伸びてきています。針葉樹でこういう光景は珍しいように思います。
崖にあった木。切ったら、年輪に偏りができていることがわかりました。手前は年輪の幅が広く、向こう側は狭い。土のある方は太り、少ないほうはやせ気味? こうして、木は倒れないよう、バランスをとって立っていたのだなとわかります。
昨夜通ったシカの足跡らしい。
ウリハダカエデというのだそうです。蛇のような柄にぎょっとしましたが、名前を聞いて得心。確かにシマウリそっくりです。
昨年だったかに、土砂災害に見舞われた林道。こういうところは、道を作るために水みちを無理に寸断したために災害に見舞われるのでしょう。自然に流れるようにしておけば、壊れるということもなかったのではないかと思います。
この土石流が発生したため、下の沢筋に意外なことが起こりました。粘土質の基岩という石が現れたのです。幸山さんにとっては、怪我の功名というか、うれしい出来事です。
粘土質のこの石、いわゆる「クレイ」にちかいものらしい。幸山さんは、このところ石鹸も歯磨き剤も使わないで、この石を使っています。石をちょっと水に浸けてこすると、黄色いクリーム状になります。手に塗ると、心なしかすべすべするような。彼はこの石で土器を作るワークショップも開催しています。機会があれば、参加してみたい。
地元の中学生たちが作ったツリーデッキ。地元の子供たちは、山の近くにいながら山で遊んだことはほぼなかったはず。それがハッピーマウンテンの誕生によって、山を近しく感じられるようになったのではないかとおもいます。
前に来た時にはなかったこうした人工物が、森のところどころにあります。ひとの手の入った自然の森は、安らぎを覚えます。
今は子供の牛たちが近い将来母牛になったら、母乳を分けてもらって、乳しぼりやバターづくり、生クリームづくりなどのWSができたら、たのしそう。ふもとには石窯も作ったそうなので、搾りたての牛乳を飲みながら、焼き立てのパンに出来立てのバターを塗って食べたら、もういうことなし。1年半前に訪れたときよりさらに、これからが楽しみのお山になりました。
ハッピーマウンテンでは、随時、放牧場内の見学やワークショップを開いています。詳しくはホームページをご覧の上、幸山さんにお問い合わせください。(長野県根羽村の山地酪農「ハッピーマウンテン(Happy Mountain)」 (happy-mountain.life)
今月の山歩きは、お隣の町、足助の足助城へ。21世紀の初めころ、ふるさと創生の目的で配られた一億円を使って、中世の山城の遺構を発掘。ついでその遺構に基づいて建物を再現したのが足助城。近いところにいながら、来そびれていたので、この月の目的地に選びました。
山城なので、中腹から小山を上ってお城へ。入ってすぐのところにある大木は、ネズミサシ。スギの一種だそうですが、スギよりもっととげとげ。ネズミを刺すからネズミサシ。
文書としての記録はほとんどなかったようで、発掘によって全体像はつかめたものの、遺跡の一つ一つが何の建物だったのかとか、なにに使われていたものなのか、と言ったことはあくまで想像の域を出ません。敷地内のあちこちに貼られたプレートには、「・・・・よくわかりません」の文字が散見されます。「・・・・不明」ではなくて「よくわかりません」という書き方に、調査にあたった学芸員の方たちの苦労と誠実さがにじみ出ているようで、好感が持てました。
ところどころ、巨石も。
運んだのか、もともとあったのかわからないのですが、もしかしたら石の町、岡崎から運んできたのかもしれないな、と勝手な想像をめぐらしました。
シダの一種が出はじめているところ。やわらかくておいしそう。
ちょっと高い建物から遠くを望むと、てっぺんに真っ白の花が。イワガラミの花らしいのですが、陽光を求めて、こんなに高いところまで登ってしまうとは生命力旺盛です。隣の木にはテイカカヅラが絡みついていました。
建物を再現したのは30年前。釘を使わず、臍を切って伝統工法に基づいて建てているようです。当時はまだ、伝統工法を学んだ大工さんが結構いらしたのでしょう。
野外の台所。中央の棒には鍋をひっかけられるようになっています。吊るしさえすれば、かまどの形はどうであっても大丈夫。簡素でいいなあ。
屋内はいろり。
左から二つめか三つ目のわらじは、足先の半分しかないもの。あえて足先だけのわらじにしたのは、早く走るためだそう。かかとを地につかないで走り続ける飛脚のような職業の人がはいていたらしい。名前がついていると思うのですが、忘れました。
建物は壁土を塗り、板もわざわざふるぼけさせています。
板ぶきの屋根には石が載せてあります。
お城の最上階から撮った写真。こけら葺きというのだそうです。この最上階、だいたい8畳くらいしかなく、城主が客と応接するのに使ったと書かれていました。狭い。こんな場所では、客人が城主を殺そうとしても逃げられないからあきらめろ、ということなのでしょうか?
子どものころよく見たことのある花。ニワゼキショウだそうです。かわいい。
笹百合が結構咲いていました。
ツタウルシ。こんな時期でも紅葉しています。きれいなので思わず触ろうとしたら、一緒にいた子供に止められました。「ツタウルシだよ」とのこと。かぶれるそうです。
ツルアリドオシ。
2個の花から1個の実ができるそうです。
足助城の横から裏山に入ると、ミニ植物園のようなものができていました。途中まで行って引き返し、友人の、古民家を改修したカフェをめざして出発。
カフェの名前は、アトリエ・チェルシー。生花やドライフラワーなどを使ったリースやブーケ、スワッグ、店内とかイベントなどでの花のアレンジ、装飾を手掛ける友人が、毎月1日から5日だけ山の中のアトリエで開いているカフェです。
この日のメニューは、シカそぼろご飯。タケノコの汁に、このあたりで採れた素材で作った保存食~ゆべし、伽羅ブキ、甘い梅干し~がついています。どれも素朴な味わいのある食べ物でした。窓から窓へ抜ける風が心地よい。
この月は、焼き菓子や古道具、エプロンなど、いろいろなものを作ったり売ったりしている人たちの品が並んでいました。
軽いウォーキングと歴史のお勉強のあとは、おいしいものを食べながら、この日初参加のお城マニアの方から、珍しいお城の話をいろいろお聞きしました。こういう散策も楽しい。
はじめて、愛知県民の森を友人たちと訪れました。新城市の旧鳳来町にあり、こちらから行くとおよそ1時間15分ほど。湯谷温泉のすぐ近くです。
ゲートをくぐってから駐車場にたどり着くまでに数分。広大な敷地に驚きます。今回は、ともかくほぼ中央に作られた道をひたすら歩くことにしました。もともとはホソバシャクナゲの見頃に訪れたかったのですが、果たせなかったので、自生地にはいかずに道の突き当り方面にある滝を目指します。
このあたりは、愛知県では唯一の、活火山だった地帯。以前訪れた鳳来寺山もその一つ。そのため、独特の岩や石がむき出しになっていておもしろい。
こちらに来る途中、黄色い花らしいもののついた木を何本も見かけましたが、ツブラジイかスダジイの花らしい。人工林が主流の稲武や豊田山間地では見かけない色合いの花です。
川床も岩でできているせいか、水がきれい。
ほとんどツツジは終わっていましたが、このやさしいピンクの花だけはひっそり咲いていました。
道の両側には、実にいろいろの広葉樹や灌木が育っています。クロモジを見つけて一同興奮。芳香にしばしうっとりします。
写真には写っていませんが、小さな魚もたくさん泳いでいました。
目立つ花の、ヤブウツギ。普通の白いウツギの花とは色も形も違います。
巨木もあります。
県民の森は、敷地面積12,333㎡。明治百年を記念して50年ほど前に整備された土地だそうですが、高度成長期に作られた場所だからか、あちこちとてもふんだんに資金を投入した跡が見られるのだそうです。乳岩峡や鳳来寺山に続く山を背景にしたなだらかな土地なので、街の喧騒とは隔絶されていてしかも歩きやすく行きやすい、まさに県民の森、と呼ぶにふさわしい土地のように思いました。
当時は拡大造林の時代のはずなのに、よくまあ、この広大な敷地を大きな公園として残そうとかんがえたな、と感心します。もともとの土地にあったもの以外の植樹もなされたのでしょうが、それにしても後代の私たちには、うれしい財産です。
アメリカフウの実生。「楓」とかいて、「フウ」と読むのですが、楓とは無関係の種だそう。ややこしい。音読みさせたところにひそかに違いを主張したつもりかしら。
いつか誰かが差し込んだもの? 清水なんでしょうか。うまいこと流れています。
終わっているはずのホソバシャクナゲの花、発見! シャクナゲの種類は世界に多いのだそうですが、なかでもこのホソバシャクナゲは珍重されているものだそう。小ぶりの花のピンクが美しい。葉が細めなので、「ホソバ」です。
子供たちはカナヘビに夢中。
名前を忘れましたが、つややかな葉っぱが特徴的。ヤマボウシの花の咲く直前の姿?
下の写真は、タムシバ。香りをかぎたかったのですが、周辺に葉は落ちておらず、残念。
ヤブムラサキ。葉っぱが毛むくじゃら。こするとよくわかります。
ビロードのような厚地の葉っぱの大木がありました。常盤柿というのだそうです。
豆柿のような小さな実をつけ、周年葉の落ちない常緑樹の柿なのだそうです。だから「常盤」。
訪れたのは、ゴールデンウィークの最終日。広い駐車場は満杯で、臨時駐車場の一つに止めたほどだったのに、歩く人影はまばら。尾根伝いにあるくコースとか、そのほかあちこちに楽しめるコースがあるらしく、メインの道を歩いていた人は意外と少なかった。
マツカゼソウ。この草はうちにもありそう。
ユクノキ? 姿がいい。
子供が拾った蝶の羽。
友人の肩に止まった大きなトンボ。
別の友人の帽子にも止まりました。大きなブローチみたい。
道の突き当りにある休憩場所で、昼食。ここにも清水が湧き出ていました。
昼食を終えて、足場の悪い山道をのぼりました。目指すは、蔦の滝。
道は、大きめの平たい白っぽい石がごろごろ転がっていて、とても歩きづらい。しかも細いうえに急坂。登るのがやっとで、全く写真を撮る余裕がありませんでした。やっと少し広いところに出られたので、撮ったのが上の一枚。
大きな平たい岩の上を覆うようにして幾筋も流れている滝。覆っているところが、「蔦」と名付けられたゆえんかしら。滝のそばまで下りていくと、ひんやりとして寒いほど。まわりの巨岩も見ものです。
行きには気が付かなかったガクウツギの花。可憐です。
二つ目の滝見学。「亀の滝」と名付けられています。こちらは行きやすい。雨がしばらく降っていなかったので、どちらの滝も水量が少なめでした。多いときはもっと壮観だろうと思います。
帰りは、途中まで同じ道を辿り、橋を渡って、川向こうの小径を歩きました。ああいう小径、大好き。ちゃんと草刈りがしてあるから歩きやすくてありがたい。
県民の森は思った以上に素晴らしい場所でした。一人で歩くにはちょっと怖いけれど、人といっしょなら、歩きやすくて楽しい場所です。いつの季節に訪れても満足できる森です。また行こう。
昨年の夏と晩秋に次いで、先日3回目の佐久島訪問を果たしました。
今回の目的は、ウォーキング。地図を手に、島の山側の道をあるくこと。
春休みとあって、船は人でいっぱいでしたが、港に降り立って山への道を辿ると、私たちのほかには観光客の姿は全く見えなくなりました。山と言っても標高は30m。なだらかで歩きやすい美しい小道が続きます。
ついた先は丹梨海岸。前に訪れたときも静かで気持ちのいい場所でしたが、きのうは干潮だったこともあって、海の生物をたくさん見ることができました。
海藻三種。手前の緑色の藻はアオサだと思います。黒いひじきのようなのはアマモらしい。黄緑色の藻は不明。どれもちょっとずつ食べてみました。アオサがやはり一番おいしい。黄緑色の藻は苦みがありました。
アマモはこの辺りにたくさんあった海藻だそうです。今はかなり減っているとか。
たくさんのイソギンチャク。指を突っ込むと食われそうになります。左の石の壁に張り付いているのは、親玉? 緑色しています。
イソギンチャクの卵? 石にへばりついています。
小さいなかわいい花。浜にある草花は、どれも稲武辺りでは見ない雑草がほとんど。
ハマダイコンです。若芽と葉と花を食べてみました。どれも大根の味がちゃんとします。根元を見ると、立派な大根ができていました。このハマダイコン、あちこちで群落を見ました。
山椒の香りがするのですが、棘がすごい。なんとかザンショウとかいう名前なのでしょうか?
海岸の岩にへばりつくように生えていたという植はツルナ。一見アイスプラント風。
白いタンポポをはじめてみました。花も綿毛もやけに大きい。島で見る植物は、この辺にある草より大きく見えます。葉っぱも大きい。栄養が豊富なんでしょうか?
民家の庭先にアラメが干してありました。久しぶりに見たアラメ。昔は、昆布よりアラメのほうが、食卓に上ることが多かった。おせちの昆布巻きはアラメ巻きでした。20代のころ湘南海岸でアラメを拾って帰り、京都の下宿で煮て食べたことを思い出しました。昔は、昆布より下級の食材だったのですが、薄いので早く煮えるのがいいところ。だしは取れるのかしら。
匂いタチツボスミレ。歩く道にたくさん群生しています。
まだやわらかそうなサルトリイバラ。山帰来とサルトリイバラは違うものだそう。なんとなく同じだと思っていました。山帰来は中国産の外来種で葉が大きい。京都で食べていた麩饅頭は笹に包まれていましたが、三河に来て、山帰来の葉で包まれた麩饅頭を初めて食べました。
シイ、おそらくスダジイだそうです。常緑樹も広葉樹もほぼ手付かずのこの森、昔は島民の薪炭を得る場所として大事な里山だったところなのでしょうが、いまは伸び放題となっています。
カクレミノ。大きな葉です。
こちらは、ひだまり広場にあるヤマモモ。ものすごく大きな木です。ヤマモモの大木は、森の中で何本も見ました。実のなる時期は壮観だろうな。
昨年夏に来たときは、山の小径は蚊が多くて往生しました。いまは、蚊も蛇も蜂もいないので、一番快適な時かもしれません。
海岸べりにたぶん人の手で植えられた松。防風林なのでしょう。松くい虫の防除のため、薬が注入されています。
オダマキのような葉っぱのヒメウズ。ヒメウズ属と一般には分類されているそうですが、オダマキ属に分類される場合もあるそう。ウズとは烏頭と書き、トリカブトのことだそう。花がトリカブトに似ていて、小さいことに由来するとか。目立たない花ですが、かわいい。
シイの大木の下に一杯あったドングリ。こちらの山で見かける物より大きい。
北の海岸を望む展望台から。
葉の先がとがっているスミレを見つけました。マキノスミレというのだそうです。牧野富太郎命名のスミレ。
ウラシマソウを初めてみました。ただのテンナンショウはうちの敷地内にも結構あるのですが、これはない。テンナンショウの花の先から長い紐のようなものが伸びているというだけで、浦島太郎を思い起こすとは、想像力がたくましいというか、つねになにかにこじつけて遊んでやろうという気もちが旺盛というか、とにかく感心します。
木に巻き付いて、こんな鮮やかな実をつけているのは、風藤カヅラという植物。胡椒の近縁?だそうで、食べるとかすかにコショウの味がするのだとか。葉っぱをかじってみましたが、強い香りはするもののコショウとはいいがたかった。
この島は縄文期から人が住んでいて、古墳時代には海を渡って交易する人たちで栄えていたのだそうです。だか、小さな島に古墳があちこちにあります。こちらもその一つ。石室がちゃんと残っています。
アートの島として、ここ20年の間に佐久島は観光地としてずいぶん有名にはなりましたが、島の人口は、こちらの山間地域同様激減しています。島おこしのプロジェクトの一つとして再生した古民家・大場邸の中庭です。
島に点在するアート建造物の中でもっとも有名なおひるねハウス。たしかに、波の音を聞きながらお昼寝するにはふさわしい場所です。
泥岩と砂岩が混じってできたという独特の地層。砂岩だから簡単に割れます。
おひるねハウスから民家の間の細い路地を抜けて南の海岸べりを辿り、西港へ。早朝6時過ぎに稲武を出て、一色港発9時半の船に乗り、帰りは5時過ぎに一色港に到着。帰宅したのは8時半でした。往復にかなりの時間を費やしましたが、島では、のんびりと山歩き、海岸ベり歩きを楽しむことができました。
小さな島ですが、一回だけでは到底巡り切れません。行きも帰りも、船は満員でしたが、私たちが歩いた道ではほとんど誰にも会うことはなく、心ゆくまで暖かい島の春をゆるゆると楽しむことができました。また違う季節に、ぜひとも出かけたいと思います。
ほぼ月に一回近隣の野山を歩く会を友人たちと催しています。一昨日は、松平の王滝渓谷の散策でした。こちらの駐車場は、岡崎へ行くときにいつもトイレ休憩に利用するところ。でも、渓谷へはまだ一度も行ったことがありませんでした。
駐車場隅にある階段をのぼると、もう散策が始まります。ときどき折れてはいますが、ひたすら続くコンクリートの階段。両側は常緑樹です。青木が目立つ。鹿の好きなアオキが健在ということはシカの出没がまぬかれているということかしら。大きな実もなっています。
階段上りは遅れがち。やすみやすみ前進です。
大きな岩にすっくと立つ木。杉?
一本だけではありません。落ち葉で腐葉土ができてそこに実生の苗が育ち、こんなに大きくなったということなのでしょうが、根は下に伸ばせないから岩を囲むように水を探して広がっています。たくましい。
シロダモの木。葉脈が特徴的です。葉の裏が白いから「白」ダモ?
ワイヤープランツに似ているマメヅタ。いたるところで見ました。
なぜかあいている深い穴。水のせい?
ヒノキの実。こうして固まっていると、森の動物が集めて、持って帰るのを忘れたのかな、と思いたくなります。
カマツカの実。バラ科なので、野茨の実にそっくりです。赤かったのが色あせてこの色になったのだそうです。
中央の大きな木がカマツカ。これほど大きいのは珍しいのだとか。
手前左はイヌシデ。右はアカシデ。イヌシデは私宅の敷地内にも、実生で育ち、結構大きな木になっています。実が、ホップのような形のものが房になって垂れ下がるのですが、それが神社などに張られているシデに似ているので、この名前がついたのだそうです。
梟ケ城展望台から。
包丁で誰かが切り分けたような岩。何の説明版もないのですが、これはすごい。なぜこんなことになったのか、だれか教えてほしい。
小さな子だと入れるのかな。入って出られなくなったら大変。
枯れ木に実生の苗が。よく見る風景なのですが、いつも惹かれる。
アベマキの枯れ木に生えたなめ茸発見!
三枚の葉が連なっているタカノツメ。ほんのり漂う匂いは、キャラメルそっくり。
虫こぶの一種だそう。虫こぶは丸い形のこぶ状だと思い込んでいましたが、こんなのもあるとはびっくり。
1時間以上歩いて、やっと渓谷に出ました。椅子があり、トイレもある場所に出たので、そこで昼食にしました。
ぽつぽつ雨が降ってきたので、この日はこれで帰路につくことに。古い時代に作られたらしいでこぼこのアスファルト道から見える、巨岩や小さな滝が、なかなかおもしろい。
宗派は不明ですが、お寺に到着。鐘つき堂わきのイチョウの木がまるで乳牛の乳房のようになっていて、新芽がずくずく伸びているのを発見。イチョウの生命力は強そうだから、こんなことがおきるのでしょうか。
車道に出て駐車場に向かう途中で見つけた赤い実は、サネカヅラ。
大きな案内板の左上に、「B29墜落跡地」とあるのを発見。豊田市街地~当時は挙母町~を爆撃した後の飛行機なのか爆撃前に墜落したものなのか。パイロットは死んだのだろうか、捕虜になったのだろうか。捕虜になったとしたら、そのあとどうなったのだろう。
この日歩いたのは、王滝渓谷全体の、多分3分の1ほどのようです。ツバキ園地や紅葉のきれいそうなところもあるので、いつか別の季節にまた歩いてみたい。前半はだいぶ歩くのがきつかったのですが、翌日も翌々日(きょう)も、筋肉の痛みはなく、ほっとしています。階段がことのほかつらかったのですが、何とか無事でした。