アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

足助すげの里で石窯の会

2023-01-28 21:45:50 | アンティマキの焼き菓子とパン

   足助にある豊田市の施設、すげの里で、昨秋2回にわたって、石窯の会お試し会を開きました。

   すげの里は、田舎暮らしをちょっとだけ味わってみたい人たちのための施設で、五平餅や味噌づくり、餅つきなどの、田舎ならこそのWSができる広いスペースと農機具や調理道具が豊富にそろっています。

   室内は、薪ストーブと薪ボイラーが完備されていて、会合場所としても宿泊場所としても使えます。建物は豊田の森で育った木材を使い、会合場所としても宿泊場所としても使えます。宿泊費は1泊1800円と格安。  

   そのすげの里に、こんなかわいらしい石窯があるのです。かわいいのにあまり使われていないのだそうです。

   そこで、稲武のハウスポニーで私とオクダキヨミさんが開いているような石窯の会が開けるかどうか、まずは試してみることにしました。

   1回目のお試し会に集まったのは、大人7名ほどと子供たち。石窯が小さいので、ハウスポニーより定員はかなり少なめに設定しました。

   すげの里の屋内にはちゃんとした厨房があり、その厨房に接して広い作業場があります。この作業場が使いやすかった。

   メニューは、いつもの会同様のピザとスープとパンと焼き菓子。ただし、パンはいつもより小さめにしました。

    自分たちが伸ばして具をのせたピザを誇らしげに持つ小さな子。 

   こちらの小学生も、うれしそうです。

   はじめての窯を扱うキヨミさん。大きさも保温力も違うので、いつもよりずいぶん気を使ったと思います。

   この日のスープは、エスニック風重ね煮スープにしました。いつもは竈に仕掛けた大鍋で煮るので、弱火でじっくり煮続けたい重ね煮は難しいのですが、こちらでは厨房のレンジで調理できるのです。

   お昼からは焼き菓子作り。

 窯の火の温度が下がらないうちに、いつもとは逆ですが先にスコーンを焼きました。

   無事、焦げずに完成。

   つづいてパンの焼成。

   焼き立てをほおばるふたり。満足気です。

   この1週間後、2回目のお試し会を開きました。

   この日も7名ほどの方が参加してくださいました。

   両日とも好天に恵まれ、半ば外での調理は気持ちよく進みました。

 

   お手伝いしてくれる2歳の子。

   こちらは室内のキッチンです。

   重ね煮スープ。煮るのは中です。

  この日のピザは、全くこねずに仕込みました。少しやわらかめ。

   2回目の会は薄焼きピザを2種類焼きました。こちらはジャガイモとローズマリー。

   昼食後、この日は先にパン焼き。

   スコーンはリンゴ入りです。

   窯は、小さい分窯の余熱が続きにくく、パンとクッキーが焼けるまで暖かさが保たれるかどうかが気になるところだったのですが、2回とも、なんとかクリアできました。

   2回とも、お越しくださった方には、ほぼご満足いただいたようです。でも、窯と厨房・作業場の距離が長いのが玉に瑕。行ったり来たりがけっこうしんどいものでした。主催のおいでんさんそんセンターが取ったアンケートでは、大半が「お得」「満足」に〇をつけてくださって、一安心でした。

   稲武の石窯の会をはじめて4年か5年になるかと思うのですが、一度いらした方も、まだいらしたことのない方からも、「行きたいと思うのだけれど、稲武は遠くて」というお声をよくいただきます。足助の街よりも稲武側にあり、伊勢神トンネルよりずっと足助側にあるすげの里なら、気楽にお越しいただけそう。山里の良さも十分満喫していただけます。

   稲武の石窯とはまた違った魅力をもつすげの里の石窯。春から本格的にすげの里での石窯の会も、開きたいと考えています。追って告知いたしますので、お楽しみに。

   なお、写真はすべて、おいでんさんそんセンターのスタッフが撮ってくださったものを使いました。

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映画「豚と軍艦」

2023-01-26 22:53:00 | 映画とドラマと本と絵画

  しばらく前に、1961年公開の、今村昌平監督の「豚と軍艦」を見ました。豚と軍艦 - Wikipedia

  舞台は米軍基地のある横須賀。戦後15年たち、高度経済成長期に差し掛かるころなのですが、基地のある横須賀は、米軍相手の娼婦とその娼婦たちを組織するやくざ、中国系やくざ?や日系のやくざなどが利権を争っています。

  経営していた娼館に手入れが入り、資金源を失った地元やくざは、米軍の残飯を手に入れて養豚業をはじめます。長門裕之ふんするチンピラの欣太が主人公。彼は豚の飼育の役目を負わされます。彼の幼馴染み春子の姉は米兵のパンパン。春子も姉や母からパンパンになることを半ば強要されています。二人の家は、みすぼらしい掘立小屋。欣太と春子はお互いに好意を寄せていて、まずしくて汚れた生活から足を洗いたいと切望していますが、ふたりの夢は同じようにみえて違っています。

  欣太が望むのは一攫千金を手にすること、春子の望みは二人で堅気の仕事をしてつましく暮らすこと。

  やくざの組の古株が、分け前をもらおうと地元に戻ってきます。彼を邪魔に思う組長は、組員に命じて彼を海に沈めて殺します。しかしじきに古株のやくざは浮かんできて警察の知るところとなり、欣太とやくざたちはすきを狙って死体をそっと運びだします。ところがある晩、みんなで食べた餃子?の中から欠けた歯がごろっと出てきます。死体を埋めるよう頼まれた組員が、面倒くさがって死体を豚舎に放り込んで豚に食べさせたのです。やることが粗雑で無茶。彼らのありさまを描いた滑稽で、情けないエピソードの一つです。

  すったもんだの末、地元のやくざは争いに負け、頼みの米軍の残飯も手に入りにくくなります。しかも組の金は組員がごっそりネコババ。踏んだり蹴ったりの欣太とやくざたち。ラストに近いシーンでは、豚をぎっしり積んだやくざの数台のトラックが横須賀の街の真ん中で立ち往生。豚の中に潜んだ欣太の逆上で豚が逃げ出し、通りを歩く人々に構わず走り出し、追いかけるやくざたちを踏みつけにします。このシーンは圧巻です。街にあふれる貪欲な豚は、彼らそのもののようででもあり、彼らを踏みつけにする中国系やくざたち、あるいは置いてきぼりにする一般市民のようでもあります。

   そして、何回か写される海に浮かぶアメリカ軍の軍艦と娼婦と戯れる米兵の姿は、終戦直後の風景が15年たっても変わっていないことを表しているようです。

   映画の公開された1961年は、安保条約が改定された翌年。最近知人に借りて、立て続けに、マンガ「日米地位協定」、マンガ「知ってはいけない」、「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていることー沖縄・米軍基地観光ガイド」を読んだところ。安保条約と日米地位協定が、日本の法律を越える存在であることを、いやというほど知らされました。60年前にできたこの映画は、いろんな意味で見ておいたほうがいい映画だとおもいます。勉強になりました。ただし、古い日本映画のご多分に漏れず、発音が聞き取りにくいのが難点です。

 

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本「捨てないパン屋」

2023-01-24 17:50:21 | 映画とドラマと本と絵画

  広島のパン屋ドリアンの店主、田村陽至さんの著書。ドリアンは、大きなパンを薪窯で焼いているパン屋さんです。本書は、パン屋の三代目である彼がたどり着いた、パンとパン屋の形をつづったものです。

  「はじめに」を読めば、本書で彼の言いたいことがほぼわかります。

   「社会から「ありがとう」と言ってもらえる仕事をして、しっかりお金も儲かって、かといって長時間労働せず、ほどほどに働いて、時間にゆとりがあって長期休暇もとれる。そのような働き方が理想なのかもしれません」

   彼はヨーロッパ諸国のパン屋で働いたり、一般の人たちの家に泊まったりして、パンを通じて幸せになる働き方を調べて回りました。その後帰国して、これまでのパン屋とは違うかたちのパン屋をはじめました。

   どこが違うかというと、「徹底的に手を抜く」ということ。20種類ほどあったパンの種類を4種類に減らし、しかもいずれも500gから1キロの大きなパン。具なし。代わりに、材料は有機無農薬国産の小麦粉を使い、自家製のルヴァン種で発酵させて、窯は石窯に変えました。

   こうすることで、焼く量はこれまでと変わらないのに、従業員が不要になり、店番の妻が一人いればやって行けるようになりました。人件費や具材の節約ができるので、これまでの小麦粉の2倍もする小麦粉を使っても売値を抑えることができる。大きいので、一見すると高いようにみえますが、彼によれば「グラム単価でみれば、スーパーで売っているバケットと同じ値段」なのだそうです。

   これは、ヨーロッパのやり方を真似ただけ、と彼はいいます。「ヨーロッパでは、パン屋もほかの商売も、会社も、はては公務員や政治家まで、こんな感じの「素敵な手抜き」の良いループを描いているのです」「「手を抜くことによって質を向上させている」からです」

   近頃のパンブームで、テレビでは目新しいパンをいろいろ紹介しています。本書を読むと、だいぶ前から、まるでファッションのように、パン業界では「今はこれがはやる!」といった調子で目新しいパンが次々に登場し、パン屋はその「流行」に追われるようにして品数を増やし、挙句の果て過重労働にならざる得ないのだそうです。そういう状況からすっぱり縁を切った彼。縁を切って舵を切り替えたからこそ、今や年商2500万円のパン屋になった、ということです。

   共感する点や勉強になることがいくつもありました。なかでも、私が知らなかったのは、ヨーロッパのもともとのパンは酵母菌ではなく乳酸菌発酵だということ。

   タンパク質であるグルテンは乳酸菌によって分解されるけれど、酵母菌は分解しない、というのです。つまり、昔から小麦を食べていたヨーロッパの人たちは、からだによくないグルテンを徹底的に乳酸菌で分解することを体験的に学び、パン作りを進化させていった、というわけです。

   「昔ながらのパン作りは、乳酸菌が主役の発酵。そんなパンは食べても消化不良を起こしにくいのです」

   彼が作るルヴァン種は、酸っぱいパン種。「乳酸菌が増殖している」からです。乳酸菌と酵母菌が程よく合体したのがルヴァン種だそう。これまでわたしは、単に小麦やライ麦から起こした種、という認識しかありませんでしたが、そもそもの菌が違うとはおどろき。

   とはいえ、ルヴァン種は自家製のフルーツ酵母よりさらに手間がいりそう。でも、ネットで検索してみたら、私が使っているホシノ酵母とヨーグルトと小麦粉で、普通より簡単にこの種ができる方法が載っていました。名付けて「ホシノルヴァン」。本物には程遠いかもしれませんが、まずはこの冬、ホシノルヴァンを作って、パンを焼いてみたいな、と思いはじめました。

    ところで、たまたまこの本を読み始めたころに、前から頼んでいたドリアンのパンが届きました。二回目の注文です。大きなパンが、ビニール袋にどさっと入っているだけ。おしゃれなシールも、しおりもリボンも何もありません。あるのは、納品書と原材料表示とパンの食べ方と、毎月書いているらしい彼のエッセイ。

   今回は、冬だけ製造するパンデピスを食べたくて、友人たちと共同購入しました。パンデピスはバターをつかわず、スパイスと蜂蜜と黒糖の入ったしっとりしたケーキ。ヨーロッパのパン屋で学んだパンデピスだそうです。本物を食べたことのないまま、米粉とみりんでパンデピス風のケーキをつくっているので、勉強にと思って取り寄せました。

    ほかのパンはどれも、じわじわと味わい深いものばかり。ルヴァン種発酵独特の酸っぱさが特長です。バターやチーズと食べると、おいしさ倍増。賞味期限は一週間と長めです。大雪注意報が出ているいま、ちょうどよい食料となりました。

 

 

   

  

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映画「レイジーマン」

2023-01-24 15:00:27 | 映画とドラマと本と絵画

   ナマケモノ倶楽部主宰の辻信一氏が監修した、タイの少数民族、カレン族の長老ジョニとその子供たちに取材したドキュメンタリー。

   「レイジーマン」とは英語で怠け者のこと。カレン族に伝わる民話に登場する、稀代の怠け者ジョッカルに由来します。このジョッカルは、三年寝太郎同様、寝転がっているだけで食べるのすらめんどうくさがる。果物の木の下に口を開けて寝転がり、果実が落ちてくるのを待つ。喉が渇けば雨のしずくを口の中で受け止めることができるまで待つ。日本の寝太郎と違うのは、いざというとき頑張る寝太郎と異なり、ジョッカルは雨水のしずくが自分の口の中に落ちるのを邪魔した虹に腹を立て、虹に向かって刃物を投げつけて欠けさせてしまう。その虹のかけらが草を刈り、畑を耕し、実りをもたらしてくれる。そして最後に彼は王様に。あくまで自然の何かが彼にしあわせをもたらす話になっています。

   ジョニは、この話を「自然と共生するカレン族の教えが込められている」といいます。

   カレン族は長いこと、森に暮らし、その森で焼き畑農業をおこなって生活してきました。しかし、近代化が進み、焼き畑農業は自然を破壊する行為と目され、森の木々は伐採されてコーヒーなどのプランテーション化が進みました。化学肥料が施され、大量の農薬がまかれ、単一作物の栽培が奨励されました。コーヒーの次は、遺伝子組み換えトウモロコシ。家畜の飼料にするためです。木々のなくなった丘は土砂崩れが起き、村人は飲み水にも事欠くようになりました。トウモロコシは立ち枯れし、農民たちには借金ばかりが残りました。

   こうした中、ジョニの息子は、コーヒーの栽培を始めます。栽培法は、以前とは大違いのもの。森の木々の木陰に植え、日陰の植物として育てます。すると、無肥料、無農薬での栽培が成功し、村の産物として成り立つようになりました。名付けて「レイジーマンコーヒー」。ジョッカルが口を開けて作物の実りを待ったように、あえて人間の手を施さず、自然の共生を壊さずに実りがやってくるのを待ったのです。ジョニは、「今こそ、カレン族の教えを全世界が知るべきだ」といいます。

   地味なドキュメンタリーですが、世界中の森が危うくなっていて、少数民族の暮らしが成り立たなくなっている現状と、世界規模の趨勢に抗して、なんとか自分たちの文化と暮らしを守るべく奮闘している人たちのいることを知ることができました。ジョニの末娘は、都会暮らしを経験した後、村に戻り看護師として働く一方、村に伝わる伝統的な自然療法を施すセンターを建設し始めています。屈託のない彼女の笑顔は、美しく印象深いものでした。

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マンガ「日米地位協定」

2023-01-06 23:44:03 | 映画とドラマと本と絵画

  マンガですが、半分以上が文章。マンガだから手っ取り早く勉強できると思ったら、案に相違して、重い! あまりに知らないことが多すぎて驚愕の連続です。

  日米地位協定の存在を知ったのはわりに最近のこと。 「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」 - アンティマキのいいかげん田舎暮らし (goo.ne.jp)を読んで、日本は到底独立国と言えないのではないかとおどろいたのですが、本書でさらにその感を強くしました。

  さて、簡単に紹介します。

  本書の主人公の女子高校生は、父親が遭遇した交通事故の加害者が米軍の兵士だったことから、日米地位協定の存在を知ることになります。

  米軍兵士の側に事故の責任はあるのに、保険は効かないと保険会社に言われて、主人公一家は驚きます。兵士は休暇中であったにもかかわらず、勤務時間内での事故とみなされ、罪は免れたのです。在日米軍基地の米兵が勤務中に罪を犯しても、日本の法律ではさばけません。近代日本史で習った「治外法権」がいまもまかり通っているのです。

  地位協定によってまかり通っている大きな事柄の一つが、「横田ラプコン」。

  「東京の西半分から栃木、群馬、埼玉、神奈川、静岡、山梨ーー 長野、新潟にまでまたがる巨大な空域がアメリカのものなんだよ」「富士山が・・・ あの空が日本の物じゃねェなんて・・・」

  主人公たちは羽田空港で、大阪からの飛行機が西からではなく、南からやってくるのを目撃します。「西からだと横田ラプコン内を通過することになる。だから房総半島の南まで来て大きく北に旋回して着陸するんだ」

   基地で使う燃料漏れなどによる横田基地や嘉手納基地周辺の川の汚染もひどい。

  「2016年、沖縄県は基地周辺の川から高濃度の発がん性物質を検出して、一億7千万ものお金をかけてこの物質を除去した」が、その防衛局に費用を請求しても「米軍と発がん性物質の因果関係は確認されてない」と拒否。地位協定のせいで、日本は米軍基地への立ち入り調査もできません。日本同様に敗戦国であるイタリアやドイツでは、自由に立ち入りができ、賠償もさせている事柄が、日本では「賠償どころか責任も認めてもらえない」のです。

  講和条約発効後から実に70年にわたり、この地位協定を存続させているのは、「日米合同委員会」です。主な構成員は外務省や財務省、農水省などの官僚トップと在日アメリカ大使館のトップ、それに在日米軍のトップ。官僚は、県知事ですら簡単に会えないほどの高級官僚なのだそうです。それなのに、驚くことに、日本の政治家もアメリカの政治家もこの委員会に属していません。

  「戦勝国の軍人が敗戦国の官僚を呼びつけ、今後の日本の運営方針を命じているのに他ならない」

   本書は、軍事知識を身に着けることを説いています。「軍事の知識を学ぶことは、戦争や軍国主義を美化する事とは違う。ウイルスについて何も知らなければ感染症とは戦えん」「平和を尊び、戦争を遠ざけ軍国主義を断固拒否するために軍事知識は必要なのだ」

   そして、日本の自衛隊の能力がほんとはかなり優れていて、日本は軍事大国なのだということを、かなり強調していますこの論調には賛否両論ありそうですが、どちらにしても、現実を忌避するのはいいことではなかろうとおもいます。

   ところで、蛇足ですが、この本は小学館から出ているのに、やたら誤植が多い。ちゃんと校正する暇がないままに出版を急がせたのだろうか、とちょっと気になりました。

   

  

     

 

  

  

 

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草を採り草を食べ草の話を聞く会~秋の部、開きました。

2023-01-02 18:20:31 | アンティマキの場所に生きる動植物

  昨年春の草の会に引き続き、秋の草の会を11月の初旬に開きました。パンデミック以来まる2年のブランクがあっての再開。草の数は春よりさらに増えて、アンティンマキの草の庭の雑草は50種類近くになりました。

   会に先立って、10月のおわりころ、講師の前田純さんと友人たちの手でうっそうとした草地をきれいに除草。その後、ずいぶん寒くなったので、はたして会にまにあうよう、うまく草が生い茂ってくれるか心配でした。でも、前田さんの言う通り「大丈夫!」でした。彼が枯れたように見える草地から次々に草を採取し、ならべてくれました。

 

   20年たっても実のつかない三本のイチョウの黄葉が美しい。

    春の会の折には発見されなかった大事な草、メナモミ。前からほしいと思っていた雑草です。このメナモミが、今回は3か所ほどで大きくなっているのを知りました。うちの地所の崖の上、よその土地なのですが、そこにたくさん生えているのを前田さんが見つけました。一昨年杉の木を何本も伐採したため明るくなって、上の田んぼ周辺の植物がうちの地所にまで広がってきたらしい。

    メナモミは効能の多い植物だそうで、この会の折は、葉っぱはほ枯れ、実が落ちんばかりになっていました。春が楽しみ。

   数本ずつ縛った草は、カヤツリグサ。炭水化物を含んでいる草なのだそうで、スープに入れてみることにしました。おいしくはなさそう。半分は、たわし代わりに使います。

   名前を忘れましたが、立派な菜っ葉みたいな草も。

   参加二回目の親子。草摘みは大人も子供も楽しい。

   実生であちこちに生えているお茶。山の人達は、枝のまま採ってきて焚火にかざしてあぶり、お湯の中に入れて煮だしてお茶にする、と聞いたのでやってみることに。 

    10種類ほどの食べられる草が並びました。

    野菊の花束。可憐です。食べられます。

    ハウスポニーに移動して、石窯で草ピザ、かまどで草スープの準備に入ります。

   ピザのトッピングは、チリメンジャコとレンコンが主。あとは好みで好きなだけ草を。

   炙り茶はうまくいかず、結局フライパンで葉っぱを炒って煮だしました。

    お昼は、焼き立てのピザとニンニクたっぷりの草スープ。

    お茶ができました。うっすらですが、ちゃんとお茶の味がしますが、青臭さや渋さはありません。いけます。

    災害時や野菜がないときのビタミン補給となる雑草、民間薬としてお茶やエキスにして使える雑草を知りたくて始めたこの会、もう5年ほどになります。なかなか名前を覚えられませんが、草に対する愛着と関心は増しています。農地としてではなく、また完全な放棄地でもなく、人の手がたまに入り、人がときどき集う草地として、だんだん落ち着きのある場所にかわってきました。当初、厄介に思っていたカナムグラはかなり姿を消し、葦やネコジャラシなどの禾本科植物も減ってきました。代わりに柔らかい草も顔を見せるようになり、色々見つけるのが楽しみになりました。

    でも、よそには困るほどあるというスベリヒユがない! べなばなボロギクも消えました。今年は草の移植や播種も試みたいことです。そして、そろそろピザだけでなく、以前のように、雑草料理や雑草焼き菓子の講習も再開したいと思います。春の部は、5月から6月にかけて開催の予定です。お問い合わせは、アンティマキの問い合わせメールからどうぞ。

    

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今年度の醤油、できました!

2023-01-01 16:30:04 | 手作りのたべもの

   8年めか9年目になる私たちのお醤油作り。今年度も無事に絞りの日を迎えることができました。

   絞ったのは昨年晩秋。11月の末日でした。

   絞り師の井上時満さんは信州からお越しになります。今期は彼が手作りした新しい「ふね」で絞ります。木の香りがしてうれしい。

   彼の到着後、すぐに湯を沸かし始めます。

   3月に仕込んだもろみ。時さんがなめて「うん、いいね」と言ってもらえると、ほっとします。今年も言ってもらえました。今期は一度だけちょっとカビのような白いものが浮き、心配しましたが、その後は問題なく過ごしました。昨年よりもさらに温度が上がったようで、いっとき、ぐぐっと量が減ってどろどろになったことがありました。気温がぐんと上がったのだろうとおもいます。この方法の醤油作りには、まずまずの天候だったようです。

   このもろみに、竈で沸かした湯を入れ、適度の濃度に調節します。

    そして、時さんが布袋に、湯で薄めたもろみを入れていきます。

   入れた端から袋を寝かせ、次々に積んでいきます。

   すべて入れ終わったら、上から圧搾。出ました、今期の醤油です!

    この生醤油をなめるのが、この日の一番の楽しみ。この生醤油ができるころ、お昼ごはんにします。

    竈の隣の小さなぬかくどで煮ているのは、野菜汁。みんなの持ち寄りです。使っているお釜は、私が小学生低学年のころ家で使っていたものです。毎年この時だけ活躍。今も使えているのがうれしい。

   野菜汁の出しは昆布だけ。野菜が煮えたら、醤油だけで味をつけます。野菜のいい出しも出ているので、シンプルだけどおいしい。今期は、汁のほか、地元稲武の製麺所・末広屋の生うどんだけ。うどんに生醤油と大根おろしやしょうがのすりおろし、刻み葱をかけただけなのですが、これがまたついつい後を引くうまさです。素朴なお昼ごはんですが、豊かさをじんわり感じました。

   昼食の後は、生醤油を加熱します。アクをしっかりとっているところ。

    袋から取り出したのは、もろみの滓。昨年はこの滓で、何度かふりかけを作りました。クッキーも作りましたが、今年は、ぜひともゴマ油やニンニク、ショウガなどをまぜて、何にでも合うたれを作ってみたい。いつも、生醤油とこの滓を差し上げている自然食の総菜屋さん・ラカンカは、ゴボウを炒めてこの滓で味付けした料理をことのほか、好むお客様がいらっしゃると教えてくれました。雑味も加わった複雑な味がおいしさを引き出すらしい。ゴボウとの取り合わせ、私も試してみよう。

   最後の仕事は、袋を湯で洗って脱水すること。たぶん真っ白だったと思われる袋がいい色に変わっています。醤油染め。

   絞りのすんだ1週間後、瓶詰めをしました。ほぼ一家族の一年分の醤油ができました。来期の仕込みは、3月か4月。それまで、醤油の仕事はお休み。ちょっとほっとできる期間です。

 

 

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