アンティマキのいいかげん田舎暮らし

アンティマキは、愛知県北東部の山里にある、草木染めと焼き菓子の工房です。スローライフの忙しい日々を綴ります。

いなぶプレーパークに遊びに行ってきました。

2022-01-30 16:58:14 | 稲武のモノ・コト・ヒト・バ

   半年ぶりにいなぶプレーパークに遊びに行ってきました。

   今日の主な目的は、ぐるぐるパンを焼くこと。

   昨夜仕込んだコーンミール入りの、私にしてはちょっとだけ甘めの生地をもって、どんぐりの里にほど近い会場にお邪魔しました。

   パンを焼く、というのでいつもより立派な?焚火ができあがっていました。数年前、初めて試みたときは、火が弱くて時間がかかり過ぎたので、スタッフがわたしの到着前に盛大に燃やしておいてくれたのです。

   枝はその辺で拾ってきて、各自まきまき。棒状にした生地を枝に巻き付けるのですが、平たくしてらせん状に。まえより薄めの生地にしたこともあって、今日はあまり待たずに火が通りました。なかなか上出来です。焦げたところもそれなりに食べられました。

   生地の三分の一ほどは、ダッチオーブンでちぎりパンに。ところがこちら、火力が強いのに時間をかけすぎて、こんな状態に。

   大事を取り過ぎました。でも、固い表面を頑張って二つに割ったら、半分ほどはパンのまま。おいしく食べられました。わずかながら救出できて、よかった。

   参加者の一人が持ってきたリンゴもダッチオーブンで。

   バターとシナモン味の焼きリンゴ、おいしゅうございました。

   2歳の女の子。シーソーにも、ブランコにも夢中。

   小学生の子供たちは、屋根に乗り木に登り、そり遊びに興じました。

  そり遊びはこちらで。新しくできた、第二プレパーク。人力で堀ったため池があります。これまでのプレイパークには水場がないので、ありがたい場所です。

  プレイパークのモットーは、「こころの根っこは遊びで育つ」。私の子供のころと比べたら、めっきり外で遊ばなくなった子供たちが、このパンデミックで、さらに人との接触を制限され、思いっきり遊ぶことが減りました。「こころの根っこ」の育っていないこどもが、この先さらに増えそうです。

  こういう場所なら、大声を出すことも駆け回ることも自由。ソーシャルディスタンスをとることに気を遣いながら、テーマパークや都会の屋内で遊ばせるより、ぜひとも子供たちを野に放ってほしい。大人もしばし、焚火で体をあたためながら、ゆっくりした時間を過ごせます。

 

 

 

 

 

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コレカラフーズのアイスクリーム

2022-01-26 09:46:55 | たべもの

  豊田市旭地区にある廃校を利用した施設つくラッセル。そのつくラッセルの元理科室で、昨年春ころから、アイスクリームの製造が始まりました。

  製造を始めたのはコレカラフーズの水澤孝司さん。彼は豊田市山間地域に移住してから、ケイタリングをはじめ、イベントでもよくご一緒していました。数年前には、豊田市街地に店を開き、おいしくて手ごろな値段の定食をいただけたので、何度かたずねたことがあります。個人宅の講座に参加した時は、講座の内容もさることながら、彼の持ってくるベジカレーも楽しみでした。

  もっぱら料理専門の方と思っていた彼がアイスクリームを始めたと知り、かなり驚きました。でも、きっと彼のことだから、飛び切りおいしいに違いないと思って、手に入るのを心待ちにしていました。

  やっと手に入れたのは、夏過ぎころ。旭のてくてく農園の卵を使った彼のアイス最中を、足助のパレットで販売していることを知り、購入しました。卵の味がしっかりしていて、甘さはほどよく、しかも脇役にとどまらずに十分おいしく食べられたのが最中の皮。もち米でできています。

  2回目に手に入れたのは、昨秋の耕ライフマルシェ。こいけやクリエイトの蜂蜜をたっぷり使ったアイスキャンディーをいただきました。

 フェイスブックで、彼は次々に新作アイスを発表。クリ、梨、チョコレート、ミカン、イチゴ・・・・。なかでも栗と梨はぜひとも食べたいと思っていたら、やはりパレットでも発売開始と知り、手に入れました。アイスクリームそのものをあまり食べない私ですが、きらいではない。そそられて買うのはたいていハーゲンダッツなのですが、1個は到底食べられません。甘すぎるのです。

  コレカラのアイスクリームは甘さが私好み。甜菜糖を使っているから、甘さが白砂糖のようにストレートに来ないこともありがたい。

  いただいた栗アイスクリームは、栗がたっぷり。栗きんとんとマロンクリームの中間のような味があって、和菓子と洋菓子のいいとこどりした食べ物になっていました。

  そんなこんなで、材料にも作り方にも興味津々のコレカラフーズ。昨年暮れに、見学する機会に恵まれました。

  理科室がアイスクリーム製造所。ピッタリの場所、という感じです。

   静かで空気のきれいな元お山の学校で、水澤さんにお話をお聞きしました。

   「使っている果物類はほぼ、友人や友人を介して知った人たちが大事に育てたものばかり。彼らと彼らの産品を紹介したくて、アイスクリームという食べ物に託した、そんな気持ちでつくっています」

   その果物のおいしさを生かすためには、糖度をどれくらいにするかに腐心なさったこととおもいます。ジェラートの糖度はだいたい40度くらいだそうですが、彼のものは26~28度。かなり低めです。それだけに果物の味がよくわかる。

   「果物はただそれだけで食べるとしっかり味があるのに、ジェラートやアイスにすると、どうも味が生かされないものが多い。ミカンも梨も、全体量の8割入っています」

  梨の場合は、シャリシャリした食感を生かしたくて水分量を調節。元の食材の味を生かす苦労というのは、私も多少は経験していますが、生でほぼ直接的に味わうのが身上のアイスクリームやジェラートは、また違う苦労があるようです。

  ところで、わたしがこちらのアイスクリームを食べてみたいと思った理由の一つは、山地酪農の牛乳を使っているから。

  「ミルクが苦手で、一般の牛乳は使う気がしない。だけど、良質のグラスフェッドの牛乳なら使ってみたいと思って選びました」

   乳脂肪分の少ない山地酪農の牛乳だからこそ、他の具材との相性の良さも際立つのでしょう。

   ところで、安定剤を使って形を保つのが普通のアイスクリーム。かわりに水澤さんはこんにゃく粉を使っています。それで無添加アイスクリームができるというわけです。入っているのは、くだもの、甜菜糖、こんにゃく粉。あるいは、牛乳、こんにゃく粉、甜菜糖。いたってシンプルです。

   菓子類の製造には興味のなかった彼が、氷菓とはいえ、甘いお菓子の製造に踏み切ろうと決意したのは、一昨年の暮れ。

  「お世話になっている方の家で勧められるままに酒を飲んだのです。その方は癌で奥さんが入院なさった直後。かなり参っていた時なので、慰めたいという気持ちもあって、相当飲んだんです。完全に酔っぱらい、地べたで寝てしまった。目覚めたときに突然やろう!と決意し、その翌々日、保健所へ行き、製造に関する許可を申請するための条件などを聞いたのです」

  「アイスクリームはポップなものだけど、嫌いない人はまずいない。誰の口にもあう。幼児にもお年寄りにも。そしてさまざまな材料が使える。可能性がとても広いな、という直感がひらめいたのです」

    こちらは、開発中の甘酒アイス。原材料は、甘酒とレモンと蜂蜜だけ。

「旭では、牛乳の採れる牧場はありません。でも、田んぼなら有り余るほどあります。米はおいしいのに安い。これは、甘酒を煮詰めて糖度をあげてコクと甘みを出し、空気を入れて柔らかくしています」

   甘酒なら体にもいい。一口いただきました。甘酒独特の臭みは消えていて、口中に嫌な甘みは残りません。食感もいい。なんだか体がふわっと満足しているような、そういうおいしさを感じました。

 「今はレモンで試作していますが、ゆくゆくは旭の柚子でつくりたい。完成したら、全部この辺りだけで採れた原材料を使えることになります」

  甘酒の素である米も蜂蜜も旭産。地元産の柚子が加われば、正真正銘の身土不二、地産地消です。素晴らしい試みです。

  「田舎に移住して田舎暮らしの良さを満喫し、一方で都会でもちょっとずつ商売して、そこそこ満足していたのですが、どうも心底では暮らしと仕事が切り離されているような、田舎暮らしの良さを自分だけでただ満足しているだけのような、物足りなさを感じていました。アイスクリーム作りを思い立ち、さまざまな食材を求めて生産者たちとかかわったり、その食材をより生かすために工夫しているうちに、しだいに、「あ、自分の仕事と生活と社会がなんだかつながったぞ!」と思えるようになりました」

  米を作り続けることは耕作放棄地の解消になり、養蜂は生態系の回復につながります。水澤さんは、春から米作も始める予定だとか。ますます地に足のついた活動が期待されます。

  「いろんな生産者とのコラボを試みたい」という彼、アンティマキの焼き菓子との組合わせも考えてくださっています。当日もって行った焼き菓子のうち、特にオートミールとナッツやシード、レーズンの入ったザクザククッキーに、山地酪農ミルクのアイスクリームがよく合いました。どちらも負けずに主張しつつ、相手を生かす、そういう味わいになっていました。

  どういう形で販売までこぎつけられるか未定ですが、楽しい試みに参加させてもらえるのは、うれしいことです。

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秋~冬の保存食 花梨シロップ、柿酢、柚子いろいろ

2022-01-20 18:14:15 | 手作りのたべもの

  晩秋から今冬にかけて、柚子、渋柿、カリン、シークワーサーと、豊かな貰い物が続きました。柑橘系はこの土地にはできず、渋柿も甘柿も家の敷地内からなくなって久しく、カリンは高いところに毎年数個だけなるのですが、それも今年はひとつも見当たらず。というわけで、どれも貴重な果実類です。

  柚子は、写真を撮り忘れましたが、果汁たっぷりのポン酢と柚子味噌に。種は35度の米焼酎を注いで、種一杯のぜいたくな化粧水をつくりました。化粧水というものを買わなくなって何十年にもなりますが、かわりに使っている種や草のエキスが重宝しています。なかでも、柚子の種と枇杷の種化粧水はすぐれものです。

   渋柿は、干し柿にした残りを柿酢にしました。昔一度試みて失敗したので、手を出せなかったのですが、とにかくなんでも保存瓶に放り込めばいいと聞いたので、そうしました。

   カビっぽいものが浮いたこともありましたが、押し込んでおいたらそれ以上広がらず、何とか完成。

 いささか白濁していますが、カビくささやアルコール臭はしません。おいしいのかな? ちょっとなんともいえませんが、酢にはなりました。

   カリンはひと月も前にいただいたのに、手を付けられず、やっときょう加工。切って砂糖に漬けるだけのシロップだと、えぐみが強いので、はじめて、ゆでて皮をむき、種とわたを取ってからさらに3回ゆでこぼす、といういつもに比べたら結構めんどうな手順を踏みました。

   そのあと、シークワーサーを輪切りにしたものと柚子の果汁を用意し、カリン、粗糖、シークワーサー、粗糖、カリン、粗糖・・の順で重ねて瓶に入れ、上から柚子果汁を注ぎました。

    こんなに手をかけてつくったのだからきっとおいしくなることでしょう。10日ほどときどきゆすってやって汁気が出てきたら、いったん沸騰させて完成となるようです。手をかけただけのことがあるといいな。

    さて、今度の空いている日には金柑と甘夏または八朔で何かを作ります。何がいいかしら。

 

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映画「アメイジング・グレイス」

2022-01-19 23:20:35 | 映画とドラマと本と絵画

  1800年代のイギリスが舞台の映画。https://eiga-watch.com/amazing-grace/

  西インド諸島のプランテーションの労働力を確保するため、アフリカからの奴隷貿易が盛んにおこなわれていたころの話です。当時イギリスは、アメリカと独立戦争の真っ最中。フランスとはナポレオン戦争。

  その戦時中に大儲けしたのが奴隷商人たちで、イギリスの東インド会社が莫大な利益を上げていました。当時、国会議員で、唯一人奴隷貿易反対を唱えていたのがこの映画の主人公、ウィルバーフォース。実話に基づく話です。

  彼は子供のころ教会で聞いた牧師の話がずっと心にひっかかっています。牧師は元奴隷船の船長。奴隷船には、棺よりも小さい空間を与えられたアフリカ人たちが、糞尿と血にまみれて3週間の航海をします。鉄鎖でできた手かせ足かせ首輪でつながれ、ほんの少しの食糧だけ与えられるだけなので、半数以上が病気にかかり、端から海に投げ捨てられます。この牧師が作詞したのが有名な「アメイジンググレイス」。主人公は、この歌を美声で歌い上げます。

  しかし、実態を知る人たちの話をいくら国会で主張しても、実利を得る人たちには通じない。一般市民の署名を集めても無駄。くじけそうになりながら、最後には奴隷貿易禁止の法律が通ります。

  映画は、ほぼ再現ドラマのようで、物足りないところも多いのですが、イギリスと奴隷貿易との関わりは知らないことだったので、勉強になりました。「ああ、ヨーロッパの人たちは、こうしてひとつひとつ、戦って正義を勝ち取ってきたのだな」ということを実感することのできる映画でした。

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できものに枇杷の葉療法

2022-01-08 22:32:17 | アンティマキ風自然的生活

   たしか6年ほど前、家人の背中に大きなできものができて、枇杷の葉で治したことがありました。以下、3枚がその折の写真です。

 

   患部に枇杷の葉をすりおろしたものを塗ってガーゼで押さえ、テープで止めただけの枇杷の葉療法。半信半疑で始めたのですが、数日後には、膿が出てきて、腫れが引いてきました。

 

  その後、膿は数か所の穴から噴出。

   おさえるとまだ固くはあったのですが、かなり腫れが引いてきたので、このあたりで治療は終了したらしく、こののちの写真はありません。ともあれ、患部のありかははっきりわかるものの、痛みはないし、目立つほどの腫れもなかったので、そのまま放置していました。

   ところが、このおできが、この冬また腫れてきたのです。暮れの中ごろのことです。その前はいっときより固さが取れて、むしろより治ってきたようにみえたのですが、突然痛むようになり、腫れも、以前の時よりひどいほど。パンパンに腫れあがり、今にも破裂しそうでした。

   最初は葉がなかったので枇杷の葉エキスのみで、手に入れてからは、ガーゼに枇杷の葉エキスをたっぷりしみこませて、その上にちぎった葉を並べて、患部に貼りました。効果は数日で現れました。

   一日3~4回交換したのですが、そのたびに膿がどんどん出てきました。血も出ました。出るごとに腫れは引いていきました。上の写真は、ほぼ半月後ほどのようす。実は、最初からずっと撮影したのですが、トラブルが生じてアップできなくなったため、ほぼ治りかけの写真しか載せられません。

 

   貼り替えるたびに患部を抑えて膿を出しているのですが、今日のはすごかった。まず先に、これまでの膿とは違う、脂の塊のようなものがドロッと出てきて、そのあと、水気の多いいつもの膿がものすごい勢いで、飛び出てきました。

   手前の影の上方にある、チューブから出した軟膏のようなものが脂肪の塊らしきものです。

  これではっきり、快方に向かっているなと確信できました。治療を始めてから、まだ半月ほど。おできの直径は最初5センチほどありました。高さは1.5センチほど。それがだいぶしぼみ、床に就いても痛みはなくなったということです。

  前は使わなかった枇杷の葉エキスが、今回はより功を奏したのかもしれませんが、とにかく素晴らしい効果でした。前回は治療半ばにしてやめてしまいましたが、今回は、固い部分がほぼなくなるまで、治療を続けてみようと思っています。

  わたしも、昔、肩の所に小さいけれど、同様のできものができたことがあるのですが、当時は自然療法で治そうとは考えていなくて、すぐに病院に行きました。そうしたら即日切開。記憶では、麻酔なしだったとおもいます。だからものすごく痛かった。再発するだろうと言われましたが、固い部分だけ残ったまま、大きくならずに済んでいます。家人ほどの大きさのおできとなったら、麻酔しないはずはなかろうから、大事になっていたと思います。手間もお金もかからずに済んで、よかった。

  ところで、枇杷の葉エキスは、枇杷の葉を35度の焼酎に浸けたもの。私は毎年大量に作って、化粧水や虫刺されに使う薬として重宝しています。

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稲武のかきもち、製造始めました。

2022-01-07 20:32:31 | アンティマキの焼き菓子とパン

  すっかり遅くなりましたが、やっと玄米かきもちの製造を始めることができました。

   粗糖と塩を入れて玄米もちをついて、乾燥したら切り分けてさらに乾燥。すっかり固くなったら、オーブンで焼く。いたって簡単でシンプルなお菓子なのですが、出来上がるまでに数日かかるこのかきもち。お待たせしました。

   今年は、稲武産の無農薬餅米をつかっています。2年前に稲武の過疎の集落に移住した若いご夫婦が栽培したもの。ココノエモチという品種のお米です。今年初めて栽培したそうで、いただいた餅米でおこわともちを作ってみたらとてもおいしかったので、かきもちにしてみました。

   販売は、来週から。まず最初は、豊田市街地、桜城址公園そばにある空飛ぶ羊kuraに納品いたします。11日の午前のうちにお持ちする予定です。その後、多分次の週くらいにヘルシーメイト岡崎店にも納品の予定です。納品日が決まったらお知らせいたします。

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デフォー「ペスト」

2022-01-06 15:56:56 | 映画とドラマと本と絵画

   一昨年パンデミックが始まってしばらくしたころ、本棚に並べっぱなしになっていた「ペスト」をやっと読む気になりました。

   夜寝る前に少しずつ読んで、一月ほどかかって読了。

   この本は、1600年代、ペストが大流行した時代の、街や田舎に住む人々の暮らしの様子、死に行く人達、家族の嘆きを微細に描く一方、物資不足に乗じて大儲けする商人たち、教会に救いを求める人たちを無慈悲に追い返す神職者たちを、冷静な筆致でつづっています。そして、都市から逃げ延びた難民に、住居や食べ物を提供する村人の話も取り上げていて、当時のパンデミックの様子が手に取るようにわかります。

    今とは比べにならないほど衛生状態が悪く、病院の設備はろくになく、医薬品も不足の時代なので、混乱を極めるのは当然ですが、役所の対応や地域の首長たちの発言や行動は、今回のパンデミックに通じるところがうかがえ、興味深いものがありました。

    もちろん、デマに惑わされる人はものすごくたくさんいたので、より混乱を招く結果になったようです。読みおわるまで、作者のデフォーが、同時代のロンドンの街に生きていて、当時の様子を活写した作品だとおもいこんでいました。感染をものともせず、市街地を往復して取材を続けたものと思ったのですが、最後にあとがきを読んで、じつはデフォーは、1665年のロンドンのペストの大流行のおりは、まだ5歳だったと知って、びっくりしました。

   この年のペストによるロンドンの死亡者数は、全人口の5分の1に達したとか。大人になったデフォーが、何十年か前の大流行の時代を生きた、親戚や生き残った人たちに話を聞き、資料を調べ、「ロビンソン・クルーソー」のように、フィクションだけれど、ノンフィクションぽく描いた作品に仕上げました。

   描写の力もさることながら、しつこいほどに数字をあげ、死者の数の推移を問題にしたり、論拠にしたり、事実を淡々と伝える一方で、自分の意見や感想もしっかり述べる。ジャーナリズムに徹した、その粘り強い態度に感心しました。今のうちだと、400年の時代を飛び越え、臨場感あふれた名作として読めると思います。

 

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映画「オー・ヘンリー フルハウス 人生模様」

2022-01-05 22:20:01 | 映画とドラマと本と絵画

  100年前のアメリカの作家、オー・ヘンリーの短編を集めた50年代の映画。人生模様 : 作品情報 - 映画.com (eiga.com) 最近、友人とのメッセージのやり取りで「警官と讃美歌」のことを書いたついでに、確認したくてネットで検索したら見つけた映画です。

  彼の代表作「警官と讃美歌」「賢者の贈り物」「最後の一葉」のほか2編のオムニバス映画。「警官と讃美歌」には、マリリン・モンローがちょい役で登場しています。かわいい。

  世界恐慌のころのアメリカ。不景気のどん底にあえいでいた庶民を描いた佳品揃い。とくに「警官と讃美歌」は、パンデミックで職をなくした人たちが路上生活者として公園やガード下にあつまる人が増えているというニュースを聞くたびに思い出します。

  ホームレス生活生活を続けている男が主人公。彼は木枯らしが吹く季節になると、「別荘行き」をもくろみます。つまり、小さな犯罪を犯して、屋根と食べ物のある刑務所で寒い冬を乗り切ること。皮肉とユーモアの利いた作品です。

  つい最近、この主人公同様のふるまいをしているのをニュースで見た、というひとがいました。何か犯罪を犯した人が、いかにも「逮捕してくれ」と言わんばかりに、両腕を前に出して現場に駆け付けた警官に向かっていったというのです。最初から逮捕されるのが目的に見えたとか。胸がふさがる話です。

  5作品のうち2作品は、読んだかどうか記憶にありません。また、少々原作とは異なると思われる部分があり、文章で読んだほうが機微がわかると思われる話もあり、また退屈なものもありましたが、オー・ヘンリーを知らない人には、手っ取り早いのでおすすめ。上記の3作品は特に、ことわざや故事成句のように、知っていてほしいお話です。

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映画「キャラバン」

2022-01-02 16:23:25 | 映画とドラマと本と絵画

  しばらく前に見た、フランスとネパール、スイス、イギリスの合作映画。『キャラバン』 (werde.com)

  標高5000mのネパールの奥地ドルポに住む部族は、岩塩を切り出してヤクの背中に積み、キャラバンを組んで南の地方に出向き、生活の糧を得る。キャラバンに出ていた村の長老の息子は、事故にあって遺体となって村に戻る。長老は、息子の親友に深い恨みを抱き、若い村人たちが支持する彼にキャラバンの長を任せるのを拒みます。

  長老が頼みにするのは、息子の遺児。けれどもまだ幼過ぎるので、自分がリーダーとなってつらい厳しい旅に出ることを決意します。

  村の呪術師のお告げを無視して出発した若者グループより遅れて、お告げ通りの「吉日」に出発した長老と息子の遺児、その母たちの一団は、若者グループに追いつくために、「悪魔の道」との異名のついた非常に険しい道をたどります。人だけでなく、荷物をたくさん積んだヤクを連れての強行軍。崩れかけた道に石を置いて補強しながら進みます。非常に恐ろしい道。引き返すこともできません。

  カチカチのパンのようなものを食べて、先に進む彼ら。暖は、ヤクの糞を乾燥したものを燃やしてとります。雪に閉じ込められて先が見えなくなり、死の危険を覚悟するシーンも何度か登場します。遺児の母を演じた女優以外は、ほぼ現地の人たちが出演。でも、撮影はかなり過酷なものだったろうと想像されます。

  長老グループと遭遇した若者グループ。今度は、天気の急変を心配する長老グループが先に出発します。結局長老の予想通りに悪天候に見舞われ、一同は死に直面します。

  彼らの信じる、まじないや信仰、伝統といったものは、生活に密接につながり、生き死にに直結していることが、よくわかる描かれ方でした。1990年代の映画ですが、ほんとにあの当時まだ、こういう生活をしている人たちがいたのかとおもうと、驚きを禁じえません。

  このあたりの道の駅などで、「ヒマラヤの岩塩」というものをよく見かけますが、山中で切り出したのなら、車で運ぶことは不可能だろうから、やはりヤクなどの力を借りて運ぶしかないのだろうと思います。苦労の末、運ばれてきたのかと思うと、無駄にはできないな、と改めて思います。

  それにしても、真っ白のヒマラヤの峰々、真っ青の空、妖しいほど緑色に澄んだ湖が美しかった。木々のない風景が、私たちには不思議なものとして目に映りますが、映画の最後に、長老の遺児がはじめて木というものを見る話が登場します。木のない場所で生活する人々の驚くべき映像です。

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今期の醤油ができました。

2022-01-02 16:23:25 | 稲武醤友クラブ

  今期で5年めか6年めか、覚えていませんが、友人たちと私の自宅で醤油の醸造を始めて、結構な年になりました。

  春に仕込んで、冬に絞る。このパターンで、今年もなんとか大したことも起こらず、昨年末、無事絞りの日を迎えました。

   これが、9か月間醸造した私たちのもろみ。絞り師の井上時満さんが、見るなり、「あ、これはもしかしたら!!」。真ん中が他と違う。なめるとここだけ塩辛くない。「かびる寸前」なのだそうです。最後の最後にこんなことがあるなんて。

   「でも、大丈夫。カビ予備軍かもしれない、という段階だから」井上さんの言葉に安堵し、いつもどおり作業開始。湯を入れて混ぜ、適度の濃さになったら、絞りの袋に入れていきます。

   湯はかまどで。絞りの日の最初の仕事は、かまどに火をつけて、湯を沸かすことです。

   もろみを袋に入れて、平たくして積んでいきます。

    そして、上から圧をかけると、生醤油が出てきます。

   去年はまだ歩けなかったこの男の子。今年は興味津々で醤油の垂れるのを見ています。

  そろそろ、なめ始めそう。

  今期の醤油は、いつもと違って、ずっと同じ場所に置き続けました。いつもは、冷暗所にしばらくおいて、そのあと、外にある醤油蔵に移動していました。

  でも今年は、最初から外の蔵に入れて、周囲を黒い寒冷紗で覆い、1~2か月たってから寒冷紗をはがして、そのまま12月まで過ごしました。最初から外に置いた理由は、通気性。建物内部だとどうしても湿気がこもってカビが生えやすいように思い、最初から風通しのいい場所に置いてみたのでした。

  期待通り、今年は一度も白いカビは生えず、順調に梅雨と夏の時期を過ごしました。こころなしか、蒸発がはやくて、いつもよりドロッとしたもろみになった気がします。

  味はいい。塩辛さがたっていない。毎年、別の場所で作っている知人から醤油を分けてもらうのですが、彼女の醤油のほうが、いつも私たちの醤油より味がまったりしていておいしい、と思っていました。でも今年の醤油は、彼女たちの醤油に匹敵するおいしさになったかも。

   パンデミックのため、去年も今年も、以前のようなごちそうは作りませんが、お昼ごはんには、もちよりの野菜と昆布だしで汁を作り、地元のうどん屋・末広家の生うどんを用意。搾りたての生醤油をたっぷり入れて調味した、温かい汁と、生醤油をかけたうどんがことのほかおいしい。

  お昼からは、袋に残った搾りかすを取り出して袋を洗います。

   そして醤油のほうは井上さんが味を見て水を足し、大きな羽釜で加熱します。これで一年分の醤油の完成です。

   この日は、熱い醤油を桶に戻して作業は終了。

   桶の中の醤油は、こののち1週間から10日ほど静置して、上方が澄んでくるのを待ちます。

    9日後、メンバーが再度集まり、醤油の分配をしました。

    1升瓶にして32本強、取れました。メンバー4人の家族の1年分の醤油です。今年は、同じ作り方をしている他のグループいくつかと醤油の交換をして、味比べをしようと思います。

    毎年、使った塩、置き場所、仕込みの時期、世話の仕方、天候、気温などなどによって、味が微妙に違います。今年は、これまでで一番満足できる味になったと、一同自負。今期初めてメンバーに加わった友人は、いつもと全く同じ材料で同じ作り方をしたチャーハンが、搾りたての生醤油のおかげで、ぐんとおいしくなった、と喜んでくれました。

   私は、隣村の名倉の三川農園の無農薬有機栽培の新米五分搗きを土鍋で炊いたご飯に、生醤油をかけた生みたての平飼い名古屋コーチンの卵、有明海産の酸処理のしていない海苔をかけて食べました。質素だけれど、豊かなご飯がいただけて、うれしい限りです。

    

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