まるぞう備忘録

無題のドキュメント

【個人メモ】 死(=死後)と共に生きるということは、生(=生命潮流)と共に生きるということ。

2020-10-28 10:13:59 | 陰と陽の理論

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臨終の意識についてのメモ。

 グルジェフ翁によると、臨終の際に意識を維持していると死後の自由になるそうです。ふうむ。
 私達は、そうか死後も自由でいたいな。自由でいるためには臨終の時、意識を持っていればいいのか。そのように考えます。
 それを実践するために死ぬ直前まで歩き回って意識を維持しようと実験した方がおられるようです。がきっとそれは残念ながら本末転倒だったかもしれません。


 多分それは逆で、死ぬ時に意識を維持しているのではなく、生きている今死後の意識の状態であること。がポイントなのだと思います。

 私の仮説では、私の自我の想念はアカシックレコードに保存されて宇宙の彩り点描写の一つの点となる。
 そして本来の私は生命潮流に戻って行く。私とあなたの区別のない、生命の脈動の流れに戻っていく。



日本古来からの死生観。

 死後も魂の自由が欲しい?その動機自体がトリックであります。そもそも本来の私は自由そのものです。自由すぎるから、自分自身を観るために制約の多いツーリング制度を創って、自分自身を無数に分化してツーリングの体験をしている。点描画の点を一つ一つ描いている最中。という風景です。

 自我の要素は固定化される。DVDの中で繰り返される世界。
 本来の私の要素は還っていく。生命の大いなる潮流に。

 だから生きている今この瞬間。私達は半分半分。
 半分は私という自我。じたばたあがいて格好の悪い画でも精一杯生きた画を描いてやろうと思います。
 今この瞬間の自分の想いや行動が永遠に宇宙に刻まれる。そう思って、精一杯描きたいです。

そして生きているこの今の瞬間。半分は本来の私。生命潮流の一つの形態。自分=我というものがない。エネルギーとしての脈動としての自分。
その視点では自分と他者との区別はありません。私はその潮流の一部だから。

ああ、昔からの日本人の意識とは、このように半分は生命潮流の視点だったんだなあ。と改めて思う。
私達の生命潮流への入り口は家系から。父親と母親。そして親戚の方々という家系の流れから、住んでいる土地の自然。そして国土の自然。日本人が古来から八百万の神々として祭っていたもの。それは観えない世界であり同時に観える世界。
粘菌の世界に生命潮流の脈動を感じるのは当然なのであります。私達の世界は無数の微生物の波動で守られている。

放っておくと空き地にどんどん雑草が生えてやがて森林になる日本の国土。それは地中の微生物たちが雑草を呼ぶから。そして空気中の微生物と一緒に、発芽→成長→枯腐→発芽→・・・この三拍子ワルツを育む土壌となる微生物たち。私達の体内もいて、生命潮流の一部であるわたし号を育んでくれている。



死と共に生きる。生と共に生きる。

死後魂の自由が欲しい。でもそれはトリック。
自我の要素が濃いほど固定化される。
自我の要素が薄いほど生命潮流に戻る。

自由が欲しいと願うのは自我の願望だ。なぜなら自我ではないもう半分の私はもともと自由だから。それは生きている今も。過去も未来も。本来の私は「死後も自由を」など願うことはないから。

だから自我の私は思う。不自由上等。固定化上等。私にしか描けない私のじたばたをこの宇宙の一つの点として残す。
そして残りの半分の私がそれを暖かく守っている。私と他者の区別のない、大いなる生命の一部としての私。

死(=死後)と共に生きるということは、生(=生命潮流)と共に生きるということである。という個人メモです。





おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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もしも可能でしたら、いつの日か、「男の面子」について解説していただけないでしょうか。
私は一応性別が女なので、男性のこの特性がどうしても理解できません。
長年の経験で、面倒臭い相手ほど、面子を立ててあげたほうがトラブルがない、ことはわかっていますが。
逆の立場だったら、多分、私が女性なので上手く想像できてなくてそう思ってしまうのだとは思いますが、面子を立てられるなんて、逆に恥ずかしいし情けない気持ちになってしまうと想像してしまうのです。
職場で社長の親戚だからという理由だけで、仕事ができないのに小さな地位を与えられている男性が一番面子に拘っています。逆に面子だけでも立ててあげないと、何にも仕事できないから、、、と思って立ててあげていますけど。(心底ではバカにしてるかもしれません)
心から尊敬する上司に対しては面子を立てる以前に心底尊敬しているので、わざわざ面子を立てる必要がないです。
 私の中で、ご先祖様に感謝して良心に沿って生きていきたいと思う男性ならば、面子の一つや二つ気にしないのでは?という思い込みがあったのですが、どうやらそうではないようですし。
 男性の面子とはいったい何なのでしょうか?対処法はわかっていますが、本質が理解できないです。

→ 面子とは承認欲求の一形態だと思います。
自分自身に自信がない人ほど、自分を上げ底にしないと不安です。怒るとは不安の裏返し。

上げ底の人は、定年後肩書が外れた時に、それまでの因子の借金を返済する人生となるのでお気の毒です。

自分の半分は間違っている。相手の半分は正しい。という柔らかい生き方は、実験してみる価値はあるというのが、私の人生経験での知恵です。いかがでしょう。

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感情的になることはあります。
でもその時、「あ、今感情的になってる」とか、「なんか、自分は怒ってる」って思うもう一人の自分もいます。昔から、そういう傾向はありましたが、最近はほとんどそういうです。

→ 感情を無理に抑える必要はない。しかし観察していることは自分にとても役に立つ。というのが私の人生経験でのコツでした。
そもそも無理に感情を抑えるとどこかで反動が来ますから。

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昨日の会議からの流れで、今朝からメールを送ってしまいましたよ。ゼロイチ思想でしょうかねぇ。ちゃんと向き合ってあげたいのですよ。

→ 自分の半分は間違っている。相手の半分は正しいという視点はいかがでしょうか。

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私もどうしたら、旧人類の癖を回避できるのか?試行錯誤しているのですが・・
今朝も妹とつまらない口喧嘩が始まりつつあったのですが妹が文句のあとに「ありがとう」をつけて返してきたのでイライラが半減しました。
それで自分も「なにその言葉、いらいらする。ありがとう」といってみたらなぜか心にゆとりができました。
あのお笑い芸人のぺ〇パさん達の前向きがえし風でしょうか。
頭でわかったつもりでも癖をとるのは、なかなかです。

→ 癖をとるのではなく、その癖でジタバタ描いてやろう。と思うのはいかがでしょうか。自分は今描いている真っ最中なんだという視点です。

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菌との会話は生命潮流との会話って素敵ですね。育ててくれてありがとう、こちらこそありがとう、とお互いに言い合っているイメージです。
菌=生命潮流は自分の内側にも外側にも全てに満たされていると思うとひと呼吸ごとにありがたい気持ちになります。

→ そう。周囲に無数に存在する菌たちの大きなうねりは、この空間の生命潮流と同調している。という個人的な風景であります。古来の日本人はそのうねりを肌で感じていたのでした。家系や土地の神様の流れを含む大きなうねり。

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まるぞうさんの、貴方も私も半分こ!って思い方、とても好きです。まるぞうさんらしいなぁー。
それはとっても良い考えですね。どっちが上で下か勝つか負けるかよりもずーっと大切なことだわ。

→ ありがとうございます。ゼロかイチかではなく。ゼロでありイチであるという考えはこれからの今風になる。人類の振り子は折り返し地点を過ぎて逆方向に振れ始める。
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