いしころとまとの花野果村(はなやかむら)

野菜ソムリエ全国大会金賞受賞料理教室『花野果村キッチンガーデン』主宰 
いしころとまとのベジフルこぼれ話

庭へ。畑へ。。。

2011-03-28 06:41:50 | Weblog

私が今住んでいる家は、私の両親が住んでいた家です。

私の母は庭がとっても好きな人で

気がつくといつも庭で、なにやらかにやらやっておりました。

ある日のこと。。。

西公園の植木市に行っては、これも欲しい、あれも欲しいとなってしまい

結局持てないくらいの重たい植木をついつい買ってしまって、

自分でも収拾がつかなくなっていたんだと思います。

たまたま同じバスにあとから乗った私が

母に気づいて、声をかけたら

「地獄に仏とはこのことぞ」と言いながら、

重たい植木を私にさっさと渡して、

結局二人で重い植木を背負って家に帰ってきた想い出があります。

そんな母が3度目の入院となり、絶望の淵にあったにもかかわらず

娘には心配をかけたくないという思いがあったのでしょう。

病院に向かう朝、春の日差しの中で

庭をぐるりと見回して、庭への想いを断ち切るように、

決然として家を後にした後ろ姿が、、、

今では春の暖かい日差しと共に

忘れられない母の姿となってしまいました。

あれから、もう既に25年もたち、母の笑顔の写真も

いつのまにやら古ぼけている事に・・・

ふと、気がつきました。

果たして今回の震災を母は知っているのでしょうか?

笑顔は直ぐそこにあるけど・・・

母の笑顔はなにを語っているのでしょうか?

今回の震災後、2つ違いの姉家族と一緒に時間を過ごすことが多かったけど

私の人生を思い返すと、いつも母が亡くなってから

すぐ側に姉夫婦がいたから

辛いときも悲しいときもお互いに助け合って

この日までこられたような気がします。

あの日見た、病院の庭に咲く小さなピンクのねじり花も、、、

心は冷たく重く立ち上がれそうもないのに・・・

容赦なく照りつける夏のまぶしい日差しも

人生の中の一点の絵として、今でも心の中に描かれているけど・・・

その絵の中にはいつも暖かい姉の姿があった気がします。

そして今回の震災も、1年が経ち、2年が経ち

そしていつの日か遠い思い出になる時が来ても

たぶんそこには・・・

暖かい姉夫婦の姿、そして一緒に夜を過ごした家族の姿

そして遠くから心配のまなざしをずっと向けていてくれた

同窓生たちの姿が・・・描かれていることと思います。


このたびの震災では、家族みんなの優しさに助けられると共に

遠方の同窓生たち、そしてブログを通しての皆様には

本当に沢山の優しさを頂きました。

 

そして明日からは、思いを新たにして、

母の愛した庭へ・・・

そして雑草がいっぱい生えているけど

慈しみの思いがこみ上げてくる、わが畑に

戻りたいと思います。

色々とご心配をお掛けいたしましたが

皆さん、本当に有り難うございました。

 

 



 

 

 

 

 

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14 コメント

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Unknown ( 桃猫)
2011-03-28 14:43:00
姉妹仲良助け合ように、お母様が笑顔でみていると思います。

天国に行かれた方は、それは安らかな国みたいで神さまに守られて幸せに暮らしているそうですので、あちらからは、いつでもこちらにおりてきて様子をうかがえると。

今回の震災でも心配でそっとそばにいらしたのでは~私がいしころさんに電話したときに、お姉さまの笑い声が聞こえてきました。
きっとこんな状況でも明るく元気に助け合う姿をみて安心して天国におかえりになったことでしょう

我家では、にゃんの生まれ変わりみたいな三毛猫(近所にいない、みたことない猫)がうちの中をじっとみていたのに主人が気がつき、私も猫をみたとたん消えたんです。大丈夫かと心配で姿をかえておりてきたのでは。

明暗 どんなことがあっても朝がきて夜をむかえる、生かされている命一度きりの人生希望をもって笑顔でいることが、一番の供養ですね
Unknown (しずママ)
2011-03-28 16:33:57
お母さまと、お姉さま、そしていしころさんの、優しさがにじみ出るような内容で、気持ちが優しくなりました


Unknown (kazutyan)
2011-03-28 19:52:35
優しいお母さんの笑顔の思い出と、暖かいお姉さん夫婦に支えられて日常を取り戻し、庭や畠に出る気になられたようで安心しました。畠や庭づくりのセンスはお母さんのDNAゆずりでしたか、いいものをゆずってもらいましたね。
Unknown (チョロピコ)
2011-03-29 01:18:01
やっぱりね!きっといしころちゃんの人格形成にはお母ちゃんが色濃く投影され、有形、無形のステキな宝物をいっぱい戴いた訳ですね。そして、心優しいお姉ちゃんがいつも傍に居てくれて。お母ちゃん譲りの笑顔と気働き、プラス工夫と好奇心の塊もねウフフ良く分かるでしょ?!だからね、悲しみの中を彷徨っておいでの方々に少しでもいしころちゃんのオーラでほほえみが戻ってきますように!!遠くから応援していま~す。張り切りすぎて怪我をしないように。アラッ真夜中とっくに過ぎちゃった。節電なのにスミマセンお休みなさい。
いしころさんへ (ひすじみ)
2011-03-29 06:03:10
安全な町といっても
どうなるかわからない
ただ 60歳近い人は残って
若い人は安全なところへ
と思ってしまいます
いしころさんはお母さんが守ってくれてるから安心
桃ちゃんへ (いしころとまと)
2011-03-29 19:58:20
電話したとき、外野がうるさかったでしょう。
姉はかなりの天然ぼけで、義兄はすごく楽しい人なので、みんなで話し始めると、盛り上がりまくり・・・となります。
ニャンコちゃん、懐かしいですね。
お二人と言うよりも・・・たぶんシャイなご主人のことを案じてね、来たのかもしれませんね。
にゃんこも恥ずかしがり屋で、いつも隠れていたのに・・・
一度だけ、どういう訳か逃げないで
私のところで丸くなってました。
桃さんといるといつもわらってばっかり。
どんなときにも笑顔は周りを明るくしてくれるから、100万ドルのおばさん笑顔で行きましょうね。
しずママへ (いしころとまと)
2011-03-29 20:00:11
有り難うございます。
いざとなるとやはり頼るは・・・
身近な家族となりますよ。
お陰様で今回は姉たちと楽しい時間を多く
持つことができました。
いつか年をとったときには
懐かしい思い出になると思います。
kazutyanへ (いしころとまと)
2011-03-29 20:03:24
色々とご心配をお掛けしました。
やっとお外に目がむくようになりました。
今日はお庭のお手入れや畑の雑草取りの姿が見うけられました。
私は本当は雑草取りも嫌々だったですし
虫が大嫌いで、庭にでるのはいやだったんですが・・・
たぶん今の私の姿を一番いぶかしく思っているのは
私の母だと・・・思います。
チョロピコさんへ (いしころとまと)
2011-03-29 20:13:40
たぶん、自分ではわからないながらも
色々な影響を受けて来たんでしょうね。
母とは、30年一緒にいることができましたが
いつもいつも動いてばかりで、よく体が疲れないな、と思うほどでした。
私は若い頃ぐ~~たらだったので、不思議でしょうがなかったです。
母はきっと・・・
今こんなに庭づくりやお料理など
若いときの3倍くらい?動き廻っている
今の私を不思議な思いで見ているとおもいます。
チョロピコさんは、夜行性?
私は朝方生物で、どうしても目が覚めてしまいます。チョロピコさんの夜の生活は
どんなんでしょう?
ちょっと気になります。。。

ひすじみさんへ (いしころとまと)
2011-03-29 20:17:52
丸森は安心ほっとする町ですよ。
福島原発はまだ心配ですが
放射性物質は、空気中も水道水も問題なくなってますから、大丈夫です。
息子さんもボランティア活動をなさっているようで、立派なむすこさんですね。
丸森に戻られましたか?
お父さんに似て、黙々と仕事をなさるような
イメージがあります。
今回はボランティアの活動と言うことで
本当にお疲れ様です。

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