秋の風景☆特別編(2の2) 水本爽涼
特別編(2の2) 硬いもの
じいちゃんの入れ歯がまた不調となり修理の運びとなった。食欲の秋だというのにさっぱりだ! と言いたげな顔つきでじいちゃんはお箸を手にした。しかし、いつやらの正月騒動のような不調ではないようで、一週間ほどでOKらしい。だから、そう落ち込んだネガティブさはなく、僕としては幸いだった。とはいえ師匠は、硬いものが食えない! と、嘆(なげ)いておられた。
「フガガガ…ガガ(煎餅は…硬いな)。フガガ、ガガフガフガ(そうそう、ドラ焼きの貰[もら]いものがあったな)」
離れに僕が招待されたとき、じいちゃんは抜け歯語でそう言うと、立ち上がって戸棚を開けた。中には幾つかの菓子箱があり、まだ真新しかった。じいちゃんによれば、かつて剣道で世話になった弟子連中からの貢(みつ)ぎものらしかった。
僕はそれを有難く口中(こうちゅう)へ放り込んで頂戴した。じいちゃんは? と見れば、こんな柔らかいものが…と思えるほどフガフガとやっている。いつもなら一、二口で平らげられるものが、少し齧(かじ)っただけだった。これじゃ愛奈(まな)の離乳食じゃないか…と思えたが、言わずに心に留(とど)めた。
「お父さま、今夜は雑炊(ぞうすい)にしておきましたわ。新しい牡蠣(かき)が手に入りましたの」
「フガガ!(それは、どうも!) フガフガフガ~(有難いですな~)」
母さんは束の間、首を傾(かし)げたあと、離れから去った。
夕飯となる頃、僕はポチの散歩から戻り、タマとポチにいつものように餌をやっていた。彼等は普通の硬いものなら大概は食べた。特にポチに至ってはスペアリブの硬い骨が好物らしく、宝物のように庭を掘って埋めた。いわば、秘密倉庫だ。そして、食べたくなった頃合いを見計らって掘り返し、ゴリゴリガリガリと食べてしまうのだった。愛奈はすでに今のじいちゃんより硬いものが食べられるから、じいちゃんは雑炊を啜(すす)りながら羨(うらや)ましげにチラ見する。母さんは愛奈に食べさせてから幾らか遅れて食べ始めるパターンが我が家には定着しつつあった。
「どうです? 父さん」
「フガガ、ガガフガ!(見りゃ、分かるだろ!)」
父さんは正確に聞き取れなかったのか、返さず語らなかった。その殺伐(さつばつ)とした間合いを消すかのように愛奈がバブバブとやり、場が和(なご)んだ。愛奈効果、ここにあり! とは、まさにこれだ…と思いながら僕は硬い沢庵をバリッ! とやった。次の瞬間、しまった! と思った。横のじいちゃんの手が一瞬、止まったように思えたからだ。僕はふた口めからモグッ、モグモグの静けさへと切り替えた。
「フガガ、フガフガ…(正也、気を遣わんでもいい…)」
じいちゃんは笑顔で僕にそう言った。僕は抜け歯語が通訳できるから、父さんとは違い、聞き洩らすことは決してないのだ。母さんが愛奈を寝かせつけて食べ始めた。父さんはもう食べ終えて茶を啜っている。じいちゃんは、ようやく終えようとしている。師匠に気を遣(つか)う僕は態(わざ)と遅らせているから最後になりそうだ。まあ、母さんがいるからいいか…と思ったとき、タマと顔が合った。次の瞬間、ニャ~~と言ってタマは目を閉じたが、どうも、『あなたも大変ですね…』とでも憐(あわ)れむような声に聞こえた。日没が早まり、外はすっかり暗くなっていた。