係長の立花は、どこにでもいる普通の青年サラリーマンである。ただ一つ、立花は異常なほど食に拘(こだわ)りを持っていた。それがまさか、事件まがいの警察沙汰になろうとは、露ほども思っていない立花だった。
半年前の昼どき、立花はいつものように屋上へ上がり、自分で調理した手作り弁当を楽しみながら食べていた。会社の連中も立花の食フェチを知っていたからか、遠慮して誰も屋上へは上がらなかった。そんな暗黙の申し合わせが社内にできていることを知らない立花は、一人のんびりと屋上で昼の休憩を取っていた。そのとき一羽の鶴が音もなく屋上へ飛び降りた。その鶴は別に恐(おそ)れるでもなく、おやっ? どこかで見た人だな…みたいな顔でジイ~~~っと立花の姿を見続けた。立花の方も、おやっ? どこかで見た鶴だな…と不思議にもそう思え、鶴を見続けた。立花は少しずつ鶴へ近づいていった。鶴の方もトコトコと歩いて立花に近づいた。双方が目と鼻の先に近づいたとき、一人と一羽は忽然(こつぜん)と屋上から消え去った。他には誰もいない屋上なのだから、当然、誰もその事実を知らなかった。
「おい! 立花君はどうしたっ!」
課長の弘瀬は帰りが遅い立花のデスクを見て、同じ課の東郷に訊(たず)ねた。
「妙ですね。いつもなら、もう席に戻(もど)ってるはずなんですが…」
その日を最後に、立花はすべての人の前から姿を消した。
「昼休みまでは本当にいたんですねっ!」
刑事の敷島(しきしま)は小声で弘瀬に訊(たず)ねた。
「ええ、もちろん! おい皆、そうだろ?!」
弘瀬は課員達の同調を求めた。課員達は弘瀬に促(うなが)されるかのように全員が頷(うなず)いた。
「…」
敷島は訝(いぶか)しげに首を捻(ひね)った。次の日、会社から捜索届が三笠署に出され、立花のデスクの上には縁起でもない写真立てが飾られた。
「ただいま、戻りましたっ!」
何事もなかったかのように立花は半年後の昼どき、課へ戻った。
「お、お前…」
弘瀬を筆頭に、課員全員がまるで幽霊を見るかのように立花をシゲシゲと見つめた。
「どうしたんです? 皆さん…」
立花は訳が分からず、課内を見回しながら訊ねた。
「こっちが聞きたいわっ!」
弘瀬は興奮して立花に言い返した。立花はキョトン? とした顔で自分のデスクへ座り、飾られた自分の写真立てとカレンダーの日付におやっ? と思った。立花の半年は消えていた。
三笠署に出されていた捜索届が取り下げられたその頃、立花とともに消えたあの鶴が会社の屋上でのんびりと羽根を広げて寛(くつろ)いでいた。不思議なことにその日以降、立花の食フェチはピタリ! となくなった。
完
世の中には妙な事件もあるものだ。事件といえば犯人による犯行と被害者・・とするのが相場だが、浮世坂(うきよざか)で起きた事件はその常識をうち破る事件となった。
コトの発端(ほったん)は、毎日、同じコースをジョギングで歩き続けている絵師(えし)という男が出合った偶然の不思議な出来事だった。
その日も早足で絵師は歩き続けていた。外は次第に夕闇を濃くしようとしていた。絵師が浮世坂の橋近くに近づいたときだった。
「あのう…もし」
絵師は気味の悪い浮浪者風の男に声をかけられた。立ち止まった絵師は近づく男の顔をジィ~~っと凝視(ぎょうし)した。その男はやつれた風体(ふうてい)で、顔の色といえば蒼白く、とてもこの世の者とは思えなかった。季節は秋深く、瞬く間に辺りはとっぷりと暮れ、月明かりもなく、街灯以外の明るさは何もなかった。
「はい、何か?」
「いえ、なにも…。人違いでした、どうも」
その男は絵師にそう言うと、スゥ~っと闇に消えた。絵師は一瞬、ゾクッ! と身の毛がよだったが、夏でなかったのが幸いし、すぐ平静に戻(もど)り、その場からやや急ぎ足で立ち去った。
そしてその後は何事もなく、数週間が経過した。そんなある日の朝、絵師がなにげなく新聞を捲(めく)っていると、地方版に大きく出ている記事が目に入った。見出しは[闇夜の男 ますます深まる謎]と、あった。写真も大きく掲載されていて、よく見れば、絵師がいつも通るコースにある見慣れた橋が写っているではないか。
「…」
心当たりがなくもない絵師は真剣にその記事を読み続けた。記事の内容は、夜な夜な現れ、同じ質問を訊(たず)ねただけで消える男・・警察は不審人物として捜査を開始したが、まったく手がかりは得られず、被害届も出されていないこともあり、それ以上、手の打ちようがなくなっていた。
蒲鉾(かまぼこ)署である。
「迷惑防止条例違反っていうのはどうなんでしょうね?」
新米刑事の板和佐(いたわさ)が老練刑事の翔遊(しょうゆう)に訊ねた。
「馬鹿野郎! 被害届が出んとダメだろうがっ!」
「すみません…そうでした」
板和佐は小さくなり、翔遊に美味(うま)そうに食われた。
その後、どういう訳かその男はパッタリと姿を現わさなくなった。結局、浮世坂の謎は闇に葬(ほうむ)られたまま、事件にもならない一件で処理され、曖昧(あいまい)な終結を見た。その不審人物の男が翔遊に隠し味を与えた旨味(うまみ)という男だったことを誰も知らない。その男の消えた謎は、今もサスペンスとして蒲鉾署内の語り草となっている。
完
この話は人類にとって夢のようなパラダイス事件である。
「なに?! んっな馬鹿な話があるかっ! ガセ[デマカセ]だ、ガセっ!! そこなら俺も一度行ったことがあるが、そんな池はなかったぞっ!」
『はあ。確かに私も行きました。しかし、そこからもう少し奥の山村なんですよ、この池は…』
「俺には信じられん! そんな話が成立するなら、科捜研はいらんわっ!」
デカ長の細井は横山からかかった携帯に怒りを沸騰させていた。
『いや、ほんとなんです、ホソさん。死んだ人の遺体をその死なず池に浸(つ)けると、仏さんが生き返るんですっ!』
「ははは…冗談は休み休み言え! 死なずの池・・そんな便利な池なら、明日、葬儀の釜土(かまど)先輩を生き返らせたいわっ!」
まったく信じられない細井は怒鳴りぎみに言った。釜土は細井の先輩刑事で、すでに退職していたのだが、二日前、病院でポックリ亡くなっていた。
『残念でした。池の蘇生有効時間は村人の話では24時間だそうです』
「… ともかく俺もそっちへ行く!」
信じられない細井だったが、横山の冗談とも思えない真剣な話しぶりに、困惑ぎみだった。
「ホソさん、どうした?」
浮かぬ顔の細井を遠目に見て、課長の蚕(かいこ)が声をかけた。
「いえ、なにね。ははは…よしましょう。馬鹿言ってますよ、横山は。ともかく私も現場へ飛びます! まあ、事件といえば、逆事件ですから…」
「逆事件?」
意味が分からず、蚕は訝(いぶかし)げな顔をした。
「いや、なんでもないです!」
細井は現場へ駆けつけたが、横山が言ったとおり、そこからまだ少し奥の村だと村人から説明された。山奥の細道を車で走り、ようやく細井はその村へ出た。村は池に面していた。村民は多くの者が100歳を超えていた。その事実に細井は唖然(あぜん)とした。
「こちらの方は昨日、友人と喧嘩(けんか)して死んだそうですが、見てのとおりピンピンしておられます」
「殺人事件ではなくなった訳か?」
「はあ、まあそういうことですかね、ははは…」
「なんか、妙な事件だな」
「死んでも生きかえりゃ、死んでないってことですよね」
「ああ…。課長が1cm以上伸びた鼻毛を切らないのに似た謎(なぞ)だ…」
「…はい」
横山は納得して頷(うなず)いた。
完
室下(むろした)は平凡な市職員である。その室下が妙な事件に巻き込まれた。事件といえばサスペンスを連想しがちだが、室下の場合は、ただの間違いから出来事が発生して大きくなった・・という一件である。
「そうすると、あなたがその家へ行ったのですね?」
「はあ、まあ、仕事ですから…」
生活環境課の室下は刑事の天童に堂々と返した。室下は普通に仕事をしたと思っているから別に悪びれていなかった。
「通報は、安川さんからいつあったんです?」
「朝方でしたか…」
「安川さんは、どう言われたんです?」
「家の前で二匹の大型犬が喧嘩(けんか)してるから出られない。何とかしてくれと…」
「ほう! それで行かれたんですね?」
「はあ、まあ…。仕事ですから」
「それで行ってみると、別に何も起こっていなかったから帰ったと」
「はあ、まあ…。いや、私もそのとき確認の携帯をかければよかったんですが、一瞬、イタズラか…と間違えまして」
「そのまま役場へ戻(もど)られたと…」
「はあ、まあ…」
「すると、上司の方に、まだ行ってないのかっ! と激しく怒られた訳ですね?」
「はい。妙だな? とそのとき思ったんで、行ったと報告しますと、どうも一丁目と二丁目を誤解して間違えたようでして…」
「偶然、二丁目にも安川さんのお家(うち)があった訳ですね? その頃です、一丁目の安川さんは、もう大丈夫だろうと家を出られて犬に飛びかかられ、怪我(けが)をされたと…」
「はあまあ、そのようで…」
「安川さんは業務上過失傷害で訴える! と息巻(いきま)いておられるんですが…」
「そんな大げさな! 犬に噛(か)まれられたのはお気の毒ですが、それは自己責任でしょう。私が行かなかったからという理由は納得できないなあ!」
室下は、やや語気を強めて刑事の天童に言った。
次の日の朝、告訴はまるで何もなかったように取り下げられた。電話をかけた安川の早とちりで、安川は『二丁目の安川です』と室下に言ったのだが、言った本人は 一丁目と言ったと間違えていたのだった。その電話が刑事の天童にかかったのだ。室下はホッとした。
「間違えるなっ!!」
天童だけが、いらぬ手間をかけさせられたと、警察で一人、愚痴っていた。
完
法廷である。検事の笹山(ささやま)と弁護士の南宮(なみや)が対峙(たいじ)して民事裁判に臨んでいた。裁判長の子早川(こばやかわ)は初めて裁判長を受け持つことになった若手で、左右の老練な裁判官はその不手際な発言のたびに、裁判長の顔を見て咳(せき)払いで間違いを指摘していた。弁護席の前の被告席には被告の関原(せきはら)が座っていた。関原は大欠伸(あくび)をしながらどうでもいいような顔で証言席に立つ原告側証人、浮田(うきた)の証言を聞いていた。
「そうすると、被告は大根を齧(かじ)ったんですね?」
「はい! ボリボリと…」
「尋問(じんもん)を終わります!」
笹山はしたり顔で自信ありげに南宮を見て、検事席へ座った。
「弁護人、質問は?」
眠たそうな声で子早川は弁護席の南宮に言った。
「はい。…その大根は現場では発見されてませんが、それはどう説明されます。葉のついた大根を丸ごと一本、被告が食べたとは、到底(とうてい)、考えられませんが…」
南宮は立つと、浮田を尋問で攻めた。
「いや。そう言われても…。鳥かなんかが…」
浮田は南宮の尋問にたじろぎ、引いた。
「いえ、それは考えられません。被告がシゲシゲと出来のいい大根を見ていたのを、齧っていると錯覚されたんじゃないですか?」
南宮は、なおも浮田を攻め立てた。
「そう言われれば…」
浮田は、ついに敗走した。
「異議あり! 裁判長、誘導尋問です! 撤回を求めます」
スクッ! と笹山は検事席から立ち、怒りぎみに裁判長の子早川に訴(うった)えた。そのとき、子早川は眠気(ねむけ)でウトウト…と首を項垂(うなだ)れつつあった。そんな小早川を見て、左右の裁判官は両側から大きく咳払いをした。その咳払いにハッ! と目覚めた子早川は、どうしたの? とばかりに左右の裁判官を交互に見た。
『…却下(きゃっか)』
左右の席から小声が聞こえた。
「却下します! 却下、却下!」
子早川は左右に倣(なら)えで、却下を何度も口にした。
「以上です…」
引き際(ぎわ)よく、南宮は質問をやめ、弁護席へ座った。
結審し、判決が申し渡されたのは数週間後だった。検察の敗訴、いや、それ以前の訴訟(そしょう)の不当性が認められたのである。言うまでもなく、関原は無罪放免となった。その後、検察は上告したが、上告は棄却され、南宮の天下な裁判で終結した。
完
厄介(やっかい)な一件に関(かか)わったもんだ…と、ボリボリ頭を掻(か)きながら、三課の刑事、鶏冠(とさか)は、アアァ~~! とひと声、けたたましく鳴いた、いや、大声を出した。署内の一室で、幸い誰もいなかったからよかったが、なぜ俺だけがこんな捜査担当なんだっ! と鶏冠は少なからず頭にきていた。他の刑事は、けっこう格好いい聞き込みに回っているというのに、一人取り残された鶏冠にお鉢が回ったのは、この手の捜査だった。
「頼んだぞ、鶏冠」
「はい! 課長」
上司にそう言われては仕方がない。内心はともあれ、鶏冠は快(こころよ)く立ち上がった。
鶏冠が捜査に出向いた先は、取り分けて変わりがない一般家庭だった。
「野鳥(やとり)署の鶏冠です」
鶏冠は電話があった尾長(おなが)家の玄関前にいた。
「態々(わざわざ)、ご足労かけて済みません…、どうぞ」
インターホンから主婦らしき声がした。
「野菜が度々(たびたび)、冷蔵庫から消えるそうですが、現金や預貯金、貴金属とかは?」
「はい、妙な話で買ってきたお野菜だけです。他にこれといって盗られたものは…」
「妙ですね…、まあ一応、盗難は盗難でしょうから捜査はしますが…」
口ではやんわりとそう言ったが、怒りで鶏冠の内心は煮えたぎっていた。こんなことぐらいで電話するなっ! が鶏冠の内心である。まあ、それでも仕方がない。鶏冠は聞き込みを開始した。家人のそのときの状況、アリバイ[現場不在証明]、そのときの家の戸締りの状態、消えた食材の保管状態などである。
「失礼しました。今日のところはこの辺で…」
聞き込みを終えると軽く敬礼し、鶏冠は尾長家をあとにした。
次の日、捜査届は取り下げられた。盗った・・というより持ち去ったのは小学校の息子だった。その息子は野菜の食わず嫌いで、冷蔵庫の野菜を学校の動物飼育小屋へ持っていっていたのだ。尾長家へ出向く前、その話を課長から聞かされた鶏冠は、黙って持ち去ったのは悪いが、なかなかいい話じゃないか…と溜飲(りゅういん)を下げた。
完
菜飯(なめし)は最近、売り出し中の新進作家である。締め切り作の切りがついた次の日の朝、今日は一日、のんびりと過ごすか…と近くの皮毛(かわげ)公園に出かけることにした。皮毛公園は市営で、多くの動物が飼育され、運営費は市税で賄(まかな)われている。市外の人の場合は入場料がいるが、当然、一般市民は市民証の提示で無料開放されていた。けっこう珍しい動物も飼育されていて、市職員の獣医、飼育員の建物も併設(へいせつ)されていたから、全国の有名動物園と引けを取らないと国内でも有名になっていた。そうなると、それを目当ての観光客やら何やらと市は賑(にぎ)わう。事実、経済効果も馬鹿にならず、市の商業観光課はホクホク顔だった。ただひとつ、大きな問題はあるにはあった。観光客のポイ捨てゴミなどによるマナーの悪さで起こる生活環境の悪化である。公園周辺の住民は自治会長を先頭に、環境保全の名目でついに立ち上がろうとしていた。運悪く、菜飯が公園を訪れたその日、公園内では住民達による決起集会が開かれていた。
「いったい、何事だっ?」
菜飯は公園の動物を見るというより集会の人だかりを見る破目に陥(おちい)った。出直そう…と菜飯は早々に公園から退去した。
事件の勃発(ぼっぱつ)は次の日の朝刊の地方版に大きく出ていた。住民達が市庁舎へ乱入し、市長との直接談判に臨(のぞ)んだのである。その経緯(いきさつ)を再現すれば、次のとおりである。
市庁舎内である。
「市長を出せっ!」
自治会長の拡声器がうなる。勢いづいた住民の怒号(どごう)が飛び交う。
「いえ、市長は公務で出かけていて、おりません!」
助役が懸命に拡声器で叫んだ。その場しのぎのデマカセである。そのとき市長は怖々(こわごわ)、市長室で震(ふる)えていた。市からの緊急要請で警察の機動隊が出動したのは小一時間後だった。
「外へ出なさい! これ以上、騒げば、公務執行妨害で逮捕しますっ!」
興奮した機動隊長の拡声器がうなる。興奮した助役の拡声器がまた、うなる。興奮した自治会長の拡声器がまたまた、うなる。その喧(やかま)しさに業(ごう)を煮(に)やした一般市民の来庁者が警察へ通報した。別の警官隊が出動し、機動隊長と助役、自治会長は騒音防止条例違反で警察へ連行された。なんとも、ややこしい突発的なサスペンス事件で、三人は事情聴取のみで解放された。
「なんだ、そんなことか…」
菜飯は、新聞の記事を読み終え、こりゃ小説に書けるぞっ! とばかりにニヤリとした。
その後、皮毛公園周辺の環境は改善され、定期的に市のパトロールが行われ、生活環境課主導によるボランティア活動で、ポイ捨てゴミ問題も解決したそうである。
完
交番の警官、平林は難解な一件に遭遇(そうぐう)していた。といっても、その一件は事件と呼べるほど深刻ではない、ほんの些細(ささい)な出来事だった。その出来事とは、遺失物の届け者と紛失者との言い分の食い違いである。普通の場合、遺失物は拾った者が警察署とか交番へ届け、落とした者は届けがなかったか交番に尋(たず)ねに行く・・という過程を辿(たど)るのが相場としたものだ。それが、平林が受けた一件は違ったのである。どう違ったのか? といえば、確かに拾った者は交番へ遺失物として届けた。モノは紙袋に入った三本の矢ならぬ三本のサツマイモだった。モノがモノだが、百歩譲(ゆず)ってそこまではよかった。だが、そのあとがいけなかった。落とした者が交番へ届けたのは遺失物届けから小一時間も経っていなかった。
「どうされました?」
「置いておいたサツマイモを盗られました!」
「サツマイモを盗られた? あの…もしかして、これじゃないですか?」
平林は保管した小一時間前に届けられたサツマイモの袋を持ってきてその男に示した。
「ああ! それです! 盗まれたのは」
「盗まれたって、届けた人は落ちていたと言ってましたよ」
「いいえ! 私は置いておいたんです。ですから、窃盗ですっ! 被害届を出します。その人を捕らえてください!」
男は興奮して捲(まく)くし立てた。瞬間、平林は、ははぁ~この男は天然だな…と感じた。モノはたかだかサツマイモ三本で、興奮するようなことではないからだ。しかし、遺失物ならコトは民事だからそれで済むが、盗難となれば刑事事件となる。
「どうしたの?」
そこへ現れたのが、偶然、交番に立ち寄った名刑事の塚平だ。塚平は平林から状況の説明を受けた。
「なんだ、それは君、簡単なことさ、アレだよ」
「はあ?」
「分からんか? なら、説明しよう。つまり、そのサツマイモは届けた者が交番前へ置いておいたのさ。そのとき君はいなかった。そして、戻った君がその袋を拾ったのさ。だったら、盗難でもなんでもなかろう」
「なるほど…それもアリですか?」
「警察は捕らえてコトを荒げるだけが能じゃない。市民、大きく言えば国民を守って治安を維持する・・となる。そう教わっただろ?」
「はあ。確かに…」
塚平の名裁きで一件は平穏に落着した。
完
岸川は名刑事として知られていた。だが、別に彼の犯人検挙が辣腕(らつわん)で上手(うま)かったからという訳ではない。岸川は自然な流れで犯人を自白へ追い込む名人と言っても過言ではなかった。警察の剣道仲間は、滅法弱い彼の流儀を自然流と呼んだ。そして、事あるごとに、剣の腕と逮捕は別だな・・と岸川の稽古ぶりを見ながら自然な流れで言い合った。
ある日、岸川は事件に遭遇した。とある町の有名な土産漬物の製造会社、遠州漬物の漬物石が何者かによって盗まれたのである。数多くある石の中の数個なのだが、被害届が出された現場に岸川が出向くと、間違いないと製造責任者で工場長の森松(もりまつ)は答えた。
「もう一度、お訊(たず)ねしますが、数え間違いということはないんでしょうね?」
「ええ、そりゃもう…。なあ?」
「はい!」
森松に促(うなが)され、工場の現場責任者、紙緒(かみお)は大声で言った。
「そうですか。こんな石が…いや、失礼。石が他で金になるとは思えないんですがね、私にゃ。その辺は、どうなんでしょうな?」
「はあ…なんとも。ただ私らにしてみりゃ、商売ものですから、戻(もど)らないと困るんですよ。製造にたちまち困るってことでもないんですがね…」
紙緒は小声で訴えるように返した。だったら、いいじゃないかっ! たかだか、こんな石、数個のことでっ! こっちは忙しいんだっ! と内心で怒れた岸川だったが、そこはそれ、顔で笑って思うに留(とど)めた。
「そうですか…。一応、調べてみましょう」
重大事件でもないことを強調し、岸川は一応という言葉で捜査する立場上、精一杯の嫌味を言った。
「そうですか。ご足労をおかけしますが、よろしくお願いいたします。いや、正直なところ、私もお電話するか迷ったんですがね」
岸川はその言葉を聞いた瞬間、するなっ! と思った。その日は、状況と出入りした者の確認や調べをして岸川は警察へ戻った。岸川が警察へ戻ったとき、課長が岸川を呼んだ。
「あっ! 岸さん。アレ、数え間違いだったそうだ。少し前、遠州漬物から電話があったよ、ごくろうさんだったね。まあ、自然な流れだ」
「でしたか…」
岸川は課長の言葉を聞き、何が自然な流れだ、石が流れるかっ! と思え、気疲れからか、身体が石のように重くなった。
完
田村は犯人、通称・戸仲井(となかい)の潜伏先を特定できないまま追っていた。
「この男なんですが、知りませんかね?」
田村は一枚の写真を見せた。
「さあ…」
家人は首を横に振った。
「いや、どうも。もし見かけられたら、ここへ一報ください」
不特定に訊(たず)ね回っていた田村は、その家の玄関前で礼を言って頭を下げると、『ここも駄目か…』と思いながら外へ出た。
犯人、戸仲井は普通の中年男だったが、ただ一つの特徴は、トナカイの被(かぶ)りもので頭を覆(おお)っている点だった。その男の容疑は単純窃盗だが、窃盗にしては今一、釈然としない疑問が戸仲井にはあった。盗られた物は複数だったが、不可解なのは、どの盗難現場にも、サンタがあとで支払う・・というメモ書きが残されていた点である。普通の窃盗犯ならそんなことは絶対にしないから、妙といえば妙だった。
田村が署へ疲れて戻(もど)ると、意外なことに犯人、戸仲井は検問の網に引っかかり一も二もなく、特徴的な外見で捕(つか)まったとのことだった。田村としては、なんだ! 人が必死で追っていたのに…と簡単に捕まったことが内心で面白くない。しかし、その不満を解消する手立てはなかった。
戸仲井の取調べが始まった。戸仲井は孰(いず)れの犯行も容疑を否認した。その言い分は、あとからサンタが支払うから盗みではないという言い分だった。それが事実だとすれば、確かに窃盗は成立しない。
戸仲井の取り調べは田村が任(まか)されたが、留置[時間]+勾留[日数]の最大期限、約28日が切れる日、被害者達から被害届を取り下げる旨(むね)の電話が相い次いで警察へ入った。理由は単純明快で、サンタと名乗る人物から現金が送られてきたから・・とのことだった。品物代金に上乗せした金額に被害者達はホクホク顔で電話してきたという。田村はそれを課長から聞かされ、名コンビだな…と馬鹿馬鹿しくなった。被害者達が取り下げたその日は、クリスマス・イヴだった。その夜、留置場の署員が鍵を開けようとしたとき、戸仲井の姿は忽然(こつぜん)と消えていた。その謎は今も署内の極秘事項とされている。
完