「生きるヒント」
(五木寛之)
の本を読みました。
その中に、「落葉帰根(らくようきこん)」があります。
中国から出て、海外の地で成功をおさめた中国人華僑(かきょう)たちは、あくまで自分が属しているのは中国の本土であるという意識から出た言葉。
自分の母国は根の国である中国という考えです。
しかし、最近では
「落葉帰土(らくようきど)」
という考えに変わって来たという。
根に還るのではなく、ひろくその場所の土になる。
多くの樹木や多くの雑草の成長に未来を託するという意味です。
「ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありが
たきかな」
(石川啄木)
「ふるさとの
山に向かいて
言うことあり」
(五木寛之)
五木寛之はたくさんのふるさとを持っているが、それぞれに忘れがたい思い出にかられた大事な根の国がある。
しかし、もっとも長く住み着いた横浜は異邦人や外来者を拒まない自由な港町の気風がとても楽で、終(つい)の住処(すみか)になると思うと述べています。
私も横浜ですが、同じように感じています。
しかし、私はいま生きている所を母国と感じていますのでこれから
行く旅の先を
ふるさと
と思って
生きたいと思います。
「人間到る処
青山あり」
死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもあるのだから、
大望を成し遂げるために、どこにでも行って活躍すべきであるという意味。
生きるヒントになれば
合掌
(五木寛之)
の本を読みました。
その中に、「落葉帰根(らくようきこん)」があります。
中国から出て、海外の地で成功をおさめた中国人華僑(かきょう)たちは、あくまで自分が属しているのは中国の本土であるという意識から出た言葉。
自分の母国は根の国である中国という考えです。
しかし、最近では
「落葉帰土(らくようきど)」
という考えに変わって来たという。
根に還るのではなく、ひろくその場所の土になる。
多くの樹木や多くの雑草の成長に未来を託するという意味です。
「ふるさとの山に向かひて
言ふことなし
ふるさとの山はありが
たきかな」
(石川啄木)
「ふるさとの
山に向かいて
言うことあり」
(五木寛之)
五木寛之はたくさんのふるさとを持っているが、それぞれに忘れがたい思い出にかられた大事な根の国がある。
しかし、もっとも長く住み着いた横浜は異邦人や外来者を拒まない自由な港町の気風がとても楽で、終(つい)の住処(すみか)になると思うと述べています。
私も横浜ですが、同じように感じています。
しかし、私はいま生きている所を母国と感じていますのでこれから
行く旅の先を
ふるさと
と思って
生きたいと思います。
「人間到る処
青山あり」
死んで骨を埋める場所ぐらいどこにでもあるのだから、
大望を成し遂げるために、どこにでも行って活躍すべきであるという意味。
生きるヒントになれば
合掌