『余花(よか)』とは桜などが都会ではすでに散ってしまっているのに、山里ではまだ少し咲いて残っていることがありますこのことを 『余花』といいます。 小野小町が百人一首で 「花の色は 移(うつ)りにけりな いたづらに わが身世(みよ)にふる ながめせし間(ま)に 」 美しかった桜の花の色も、長雨に打たれてすっかり色あせてしまったことだなあ。 長雨を眺めながら物思いにふけっている間に私も浮世のあれこれに悩んで時を過ごしている間に容色が衰えてしまった。 との句を残しています。 私は若さは失っても、 年を重ねた美しさは あるものだからあまり悲観しないで下さいと小野小町にいいたい。 熟年の美しさも魅力的です。 まだまだ咲く時期はこれからもありますと。 『人生の余花』 余花満開を願って 合掌
「看護にいかすカウン セリング」という本の中に出てくる言葉に 「リフレーミング」が あります。 ものの考え方を変えるという意味です。 例えば、こんな事故にあってしまったと思うか、これですんで良かったと思うか。 または「よく言えば…、悪く言えば…」。 ものの見方、考え方を変えることをリフレーミングといいます。 この方法をカウンセリングに使うと書いています。 その例題に取り上げられた文学作品に 森鴎外の「高瀬舟」があります。 江戸時代に罪人を乗せた小舟で遠い島に島流しする役目の役人庄兵衞は、いつもと違う様子に困惑するのです。 人殺しの罪人喜助の顔 がにこやかで、明るかったからです。 それで、話しかけた。 彼の家はとても貧しかったのです。 年老いた母と、病気持ちの弟との三人暮らし。 その弟が病の苦しさからのどに小刀を刺して 苦しんでいました。 それを見つけた喜助は 、医者を呼びに行こうとすると、弟が泣きながら死なせて欲しいと頼むのです。 喜助は泣きながら、小刀を抜いてやり、死なせました。 奉行の判断で、人殺しの罪となり島流しになったのです。 罪人への手当てとして渡された200文のお金を今までに見たことがない大金と言って喜んでいたのです。 これが、罪になるのだろうか? と庄兵衞は悩みながら 、京都の高瀬川を下るのです。 この作品のテーマは 「安楽死と罪」 なのです。 カウンセリングにこの 作品を取り上げているのは、リフレーミングですから、考え方を変えることです。 前向きにポジティブに 考えることなのです。 喜助は弟の思いで 死なせて良かったと思い、また大金も貰って、知らない島での暮らしを楽しみにしているのです。 事故にあい、片腕なくした人に、両腕なくした人がいたのに、あなたは良かったねと見方を変えさせる。 生きて行く上で大切な ことかもしれない。 リフレーミング。 どんな境遇になろうとも、同情はいらない。 明るく生きる勇気が出ますように。 合掌