生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

日本とポーランド秘話

2020-08-21 09:59:56 | 日々の暮らし

【知られざる第一次世界大戦の偉業】シベリア出兵とポーランド孤児救出劇 現在も続く両国の友好。
第一次世界大戦(1914~18年)末期、同盟国・ロシアで起きたロシア革命に干渉すべく、日本は、米国、英国、フランスなどの連合国とともにシベリアに派兵した。世にいう「シベリア出兵」です。
最終的に、兵力7万3000人と戦費10億円を投じ、約3000人もの戦死者を出しながら、得るものがなかった対外戦争だったと酷評されてきました。
だが、結果として、765人のポーランド孤児を救うことができたことをご存じだろうか。
ときは19世紀、ロシアからの独立を勝ち取るために戦いを挑んだポーランド人が、政治犯としてシベリアに送られた。
また、第一次世界大戦で戦場となった母国を離れて逃れてきた人々など、当時のシベリアには15万~20万人のポーランド人がいました。
第一次世界大戦が終結し、ポーランドは独立を回復したが、シベリアのポーランド人はロシア内戦の中で凄惨(せいさん)な生き地獄に追い込まれ、多数の餓死者や病死者、凍死者を出したという。
その惨状を知った極東ウラジオストク在住のポーランド人が「せめて親を失った孤児だけでも救わねば」と、「ポーランド救済委員会」を立ち上げ、東奔西走した。これに、ロシア革命の余波を警戒して、第一次世界大戦終結後もシベリアに兵をとどめていた日本が手を差し伸べたのです。
1920年6月、ポーランド救済委員会から救援の打診を受けた日本政府は、日本赤十字社に「救済事業」を要請し、救護活動を決定した。2週間後には、最初のポーランド孤児らを乗せた輸送船がウラジオストクを出発し、福井県・敦賀港に到着した。
このとき、日本赤十字をはじめ、軍や警察、役場、敦賀市民は孤児たちを温かく迎え入れた。食事や菓子でもてなし、病気の治療にあたるなど、手厚く養護したのである。22年8月までに、日本が救出したポーランド孤児は計765人に上った。
 ポーランド政府の要請に基づき、元気を取り戻した孤児たちは横浜港や神戸港から母国に向かった。船で日本を離れるとき、感動的な出来事がおきた。ポーランド孤児たちは「日本を離れたくない」と泣き出したのだ。
シベリアで極寒・極貧の生活を強いられ、愛情に触れたことのなかった孤児にとって、日本はまさに天国だったのだ。
孤児らは船上から「アリガトウ」を連呼し、「君が代」とポーランド国歌を高らかに歌い感謝の意を表して別れを惜しんだという。
日本では、この感動的な史実はほとんど知られていない。だが、ポーランドでは今でも、この孤児救援劇が語り継がれ、恩返しが続いている。
 阪神・淡路大震災(95年)を受けて、ポーランド政府は95、96年、被災児童らをポーランドに招待した。首都ワルシャワで4人のポーランド孤児と対面させるなど、日本の子供たちを温かく励ましてくれた。
東日本大震災(2011年)でも、ポーランド政府は被災した岩手県と宮城県の子供たちを2週間もポーランドに招いてくれた。批判にさらされてきた「シベリア出兵」だが、日本とポーランドの友好を育んだ物語を忘れてはならない。
兵藤長雄著『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)
ありがたい話にであったことに感謝。

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神の愛

2020-08-21 01:05:18 | 日々の暮らし

「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
私は正しい人を招くためではなく、罪人(つみびと)を招くために来たのです。」
(聖書マタイ9-13)

イエスは軽蔑されていた「罪人」と食事を共にし親しくしていました。それを批判する人たちに形式にしばられて生きるのではなく、ほかの人に対する愛をもって生きなさいといいました。
ここで思い出したのが「良寛と遊女」です。
 ある町に入り、遊郭(ゆうかく)の前を通り過ぎた。
 その時、一人の遊女が良寛の袖を引き泣き出した。
 良寛は訳が分からなかったが黙って立ち続けた。
 そして、声をかけました。
「何があったのか、どうして泣いているのか?」と。
 彼女はその訳を話します。
 「わたしは幼い頃に事情があって、生まれ故郷を離れ遊郭に暮らすようになったのです。
 父母の姿がどのようであったか覚えていないけれど、お父さんお母さんを慕う気持ちが強くて、とても会いたいと思っていました。
 昨夜父が会いに来てくれる夢をみました。
 そして、今あなたを見て、お父さんに違いないと思ったのです。」
 良寛は彼女の涙をそっとぬぐってあげ、その手を取って優しく話しかけた。
 「今はたくさん泣いてもいい。
でもまた元気を出しなさい。
今までつらい事にも、たくさん耐えてきたね」
 遊女は良寛の言葉に聞き入ります。
 「仏様の教えは、このように説かれているのだよ。
今つらいことや耐えがたいことに耐えている人には、やがてその百倍も千倍もの良いものが与えられると。
 仏様の真の教えというものは、つらい事に良く耐えて、その命を精一杯生き抜いた人を決して裏切ることはない。」
 彼女の顔には、かすかなほほ笑みと安堵の色が浮かびました。
 「元気でいれば、その内またきっと会えることだろう。
だから、つらい時にもくじけないように勇気を出して、生きていくんだよ」
そのあと、良寛は遊女とおはじきをして戯れていた。
 それが、僧侶の身であるまじき事と非難を受けたが、良寛は「遊女もこの世を生きている人間、自分もまったくそれと同じこの世を生きている人間である。」と答えたといいます。
神が求めるのは苦しむ人と共に苦しみ、彼女らと同じに見られることを惜しまない深い思いやりの愛なのです。
イエスの言葉、良寛の言葉を心に刻みましょう。
       
 

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