古稀を過ぎた主夫の独り言日記

主夫の独り言
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アフリカの想い出

えっ

2019-01-30 01:16:44 | 看病
100歳までは生きるだろうと思っていた母が、亡くなった
老々介護で母より私が持つだろうかと、密かに心配しいた
余りにも突然だった

27日の夜、熱を再び出した母に、明日は病院に行くからねと話した
25日にも熱を出して医者に行ったのだが、風邪の診断で4日分の薬を貰った
解熱剤も勿論ある
それでも熱を出したので、インフルエンザではないかと私は訝った
夜中に風呂を浴び、気になったので母の様子を覗った
いつもとは違う様子に私は灯りを点けてベッドの母を見た
口を開けて動かない
体が硬直していた
体温も下がっていた、と言うより人の温度では無かった
私は狼狽した

こんな時人の行動は不思議だ
妻を起こし、姉に電話し、救急病院に電話した
119番しなさいと言われ、ようやく救急車を呼んだ
オレンジ色の服を着た隊員は、心電図を見たが当然反応はない
本部に報告していた「硬直を始めていますから搬送しません」
そして、警察を呼びますと言われた

この寒空に夜中の玄関は開け放たれ、大男達が5人も6人も入れ替わり入ってきた
消防署員は警察に引き継ぎ、警官が別の部屋で私たちの聞き取りを始めた
事件性の有無の判断をするのだと説明された
その後も新たな人の行き来が有ることを感じた
4時近くまで調べが入り、事件性はないので明日の朝早めに医師に来てもらうと言われた
警察官達は立ち去り静かになったが、もはや私は眠ることは出来なかった
息子も眠れなかったが、妻は眠りについた
女は、強い

私は母のことを考えていた
苦しんで亡くなったのではないか、と
翌朝7時過ぎ、警察官が医師を連れて来てくれた
忙しい医師は、説明は警察でしてくれるからと帰った
個人病院の医師で、診察があるからと言うことだった
老衰だった

身体は正直で、呼吸が突然停まって窒息状態になると諸処に反応が出るそうだ
時間を掛けて、体力が無くなり亡くなったのだという
老衰と聞き、私は慚愧に堪えない気持ちから良かったと変化した

前の晩、ゼロゼロ音がしていたので母に痰を吐かせようとしたのだが、出来ずに終わっていたのだ
だから、痰が喉に絡み苦しみもがき死んでいったのではないか、と考えたのだった
そうではないと知り、ようやく自分自身を許すことが出来た
それでも、平静にはなれなかった

コメント
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